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ライカンスが落ち着きを取り戻したのは、部屋にあった炭酸のボトルを半分飲み干してからだった。 申し訳なさそうに肩を叩くディーンは、どうやら、ドニーが犯人側に居る事を薄々察知していたようだ。 無言の慰めを受け、ライカンスは深呼吸を繰り返す。 「お前、ストークスの時よりもショック激しいじゃないか……」 見かねたように言葉を零すディーンを、ベッドの上に座ったライカンスは恨みがましく 見上げた。 「へこむだろ、そりゃ。命預けてる相棒だぞ。まさか、裏切られてるなんて思う訳ない。レイの方はさ、あー……まあ、びっくりしたけど。別に、俺は彼の事を全部知っていたわけじゃないし、彼はただの調査員だ。俺にどんな嘘をついてたって、だまされた俺も悪い。でもドニーは警官だ」 「正論だ。俺も同意見だからなんともフォローできない。もしライがこんな風に犯罪に手を染める側になったら。しかも、現職で街を守る裏でこそこそ犯罪に手を染めていたら、俺はお前を殺したくなると思う」 「俺もだディーン。お互い犯罪者じゃなくて命拾いしたな。殺したい、程かはわからないが、暫く人間不信だよ」 誰も彼もが、嘘をついていた。 レイは優秀な調査員で、ライカンスの事を最初から知っていた。 ドニーはライカンスを騙し、レイを拉致する男たちの手助けをしていた。 リサについてはまだ詳しくは聞いていない。しかし、ディーンの口ぶりでは今回のレイが拉致された一件の首謀者は、リサだと思われる。そうでなくとも、かなりの関りがある筈だ。 レイを拉致した男たちは、皆メイプル・ダイナーの常連だった。自分もそれなりに通っているからわかる。 彼らに挨拶をしたことはない。誰もがライカンスに気軽に声をかけたし、彼も特別面倒だとは思わずに雑談をしたが、画面の男たちは陰鬱でいつも一人でカウンターの隅に座っているような奴らばかりだった。 別に、人類皆仲良くしろとは思わない。好かれる人間がいれば、嫌われる人間もいる。 相性だってある。そういうものだ。そう思っていても、職業柄ライカンスは人相を無意識に覚えてしまう。 ドニーをダイナーに連れて行ったのはいつの事だったか。まだ、一か月も経っていないのではないか。 いつのまに、と思った次の瞬間に、いや自分が知らないだけで元々知り合いだったのかもしれないと思い直す。完全に疑心暗鬼になっている。自分の見ていた世界は何だったのだ、と手の甲を噛んだ。 「いや、お前のせいじゃないよライ。こんなの誰も気が付かないさ。別に、お前が憎くて嘘をついていたんじゃない。ただ、お前は警官で、それ故にカヤの外だったんだ。リサは最初、お前もどうにか味方につけるつもりだったようだがな」 味方、という言い方にライカンスは食いつく。視界の端では、FBIの捜査員がレイのパソコンの映像を分析している。 「そもそもの話聞いてねーなそういや。こいつらは何者なんだ。リサの本命に浮気がバレないようにレイを拉致……じゃ、FBIはうごかねーよな」 「動きたくても動けないだろ市の事件は市警察が本気出すしかないし、そんなことで人一人拉致られても困る。簡潔にわかりやすく言うとテロ未遂計画だ」 「……未遂なのに計画? テロ計画未遂じゃなくて? なんだそりゃ」 眉を寄せたライカンスに対し、手の内の炭酸飲料を奪い、一気に飲み干したディーンは、厳しい顔を画面に向けた。 「リサ・ソーウェルが定期的に連絡を取っていた人間は六人の男性だった。ストークスは一人を見逃していた。彼女の密会相手は五人であるという報告書をまとめている最中だった。まあ、そりゃそうだろう。ドナルド・フェニックスがリサの仲間になったのはつい五日前のことだからな」 つまりは、ライカンスが彼をダイナーに連れて行った後の事だ。リサにドニーを紹介したも同然だろう。また胃が重くなったが、今はディーンの話を聞く方が先決だと判断しため息を飲み込んだ。 「この映像に映っている奴らが、その密会相手だ。人生どん底のニート、リストラされた鉄道社員、不正で告訴された研究者、痴漢騒ぎで行き場がなくなったタクシー運転手……まあ、そんな奴らだ。しかしリサは、彼らと愛をはぐくんでいたわけじゃない。その方がよっぽどマシだ。ただの浮気騒動ならクライアントであるリサのパトロンに何を報告されようが、所詮痴情のもつれでしかない。だがリサと、この男たちは、誰にも密会をばらされるわけにはいかなかった。だから嗅ぎまわり、自分たちの詳細を知るストークスを拉致した」 「待てよ、まさか、リサとそいつらがテロを起こそうとしてるなんつー映画みたいなことぬかすわけじゃないよな……?」 「まさか。と言いたいところだが半分正解なんだよマジでくそくらえだ。俺たちの認識ではテロになる可能性は低い筈だ。リサはこの週末の休日に、NYにとある細菌をばらまこうとしている」 「――細菌テロじゃねーか」 「未満なんだよ。これが重大な生物兵器だっていうなら俺たちも本腰入れて捜査体制を組む。だがリサが彼らに話した細菌テロ計画は、もうちょっとおとぎ話的だ。いいか、リサがばらまこうとしているのは、天然痘だ」 天然痘。 それが何か一瞬わからず、ライカンスは映画を見ているような気分になった。 ジュラシックパークが実は存在していた、と聞いても同じような反応をするだろう。むしろ、そちらの方が現実的だとすら思える。 実はひっそりと恐竜の遺伝子から実物を作り出すことに成功していました、と言われるのと同様だ。天然痘をNYにばらまく。この言葉の意味することを、ライカンスはうまく理解できない。その不自然さと『ありえない』という実感だけは確かにあった。 「いやいや。いやいやいやいや天然痘ってお前……! あれ世界に存在しねーだろ!」 「そうだよ、人類が初めて撲滅に成功した記念すべき殺人マシーンだ。飛沫感染、接触感染による高い感染力と、四十パーセントと言われるとんでもない致死率の悪魔の感染症だ。今もどっかの国は細菌テロの為に隠し持ってるなんていう話はあるけどな。研究材料として存在はしても、そんなもん普通に考えてそこら辺のウェイトレスがさくっと手に入れるもんじゃない。リサの周辺も、ウイルスサンプルがある施設も死ぬほど洗った。絶対に天然痘じゃない。似たような何かではあるかもしれないが、天然痘なわけがない。これは、確定だ」 「あー……だから、本腰入れたテロ扱いじゃないのか。じゃあリサが天然痘だと思って持ってるもんってなんだ?」 「確証はないが、炭疽菌の一種だろうというのがうちの見解だ」 「……炭疽菌も十分やばいだろ。実際にテロがあったじゃねーか」 「二〇〇一年のテロ行為に使われたものと同じ種類の炭疽菌なら、俺たちも厳重な警戒態勢組んで速攻全員逮捕しているさ。いいか、炭疽菌ってのは自然界にごく普通に存在する。まあ、そもそも細菌なんだからそこらへんに存在していても不思議じゃないんだが、まあ要するに毒素にも強弱がある。リサが天然痘だと称して手にしているのは弱毒性のスターン株炭疽菌だと予想される。前例のテロで使用されたのは致死性が高いエームス株だ」 「本人はそれに気が付いてないのか? そういうのに詳しい奴とかがいるんじゃ……研究者が仲間にいるんだろ?」 なぜ炭疽菌を天然痘だと信じているのか。 生物兵器として利用できる殺傷能力の強い細菌である、という事以外はほとんど共通点もないような物だ。 天然痘は所謂ウイルスだ。雑な分類をすれば、インフルエンザウイルスやエボラ出血熱も同じ括りに入るだろう。ヒトからヒトへ飛沫感染する『伝染病』という事になる。 対して炭疽菌はヒトからヒトへの感染をしない。傷口から入り込む皮膚感染が主であり、NYの炭疽菌テロ事件では、封書に入った炭疽菌を吸い込んだ者が肺炭疽を発症した。 炭疽菌に感染した動物を食すことで菌が腸に入り、腸の傷口から感染することも稀にあるが、伝染病系統のウイルスとはやはり感染経路も構造も違う。 この程度の知識はライカンスにもあった。 勿論、専門家ではないので詳しくはない。このあたりの知識があるのは以前見た刑事ドラマで細菌テロの話があったからだ。その為、この見解がどこまで本当なのかは正直疑問ではあったが、ざっくりと説明してくれたディーンも似たような見識だった。 「仲間に研究者っていっても、細菌とかバイオ系じゃない。地層学だか生物学だかなんかだった筈だ。ああいう方々は専門的すぎて自分の専門外の分野はからっきしだろうし、俺たちも偉い研究者は大概頭がよくて博識って思い込んでるところもあるよな。この職に就いて初めて研究者って言うのは好奇心でできているただのマニアだって気が付いたさ。というわけで、おそらく誰も気が付いていない」 「……天然痘って伝染病のウイルスだろ……? 炭疽菌とは形状からして違うんじゃないのか?」 「そこら辺の知識なんかないんだよあいつらに。なくていいんだ」 「生物兵器テロすんのに知識なくてどうすんだ最悪自分も感染するんじゃねーかそれ」 「そうだ、感染する。だがそれでいいんだ。自衛なんかいらないんだよあいつらは」 あいつらは死にたいんだ。 吐き捨てるように言ったディーンの言葉を、ライカンスは数秒間反芻し、ああ、と絶望的な息を吐いた。 「……もしかして、大量無差別虐殺心中、か?」 「Bull’s eye。お前の頭の回転早いところが好きだよライ」 「お前の愛をもらっても若干しかうれしくねーよディーン……まじかよ。うそだろ。なんだよそれ勝手に死ねよ、とか言ったらまずいんだろうがいやでもせめて勝手に死ねよ……」 「おっしゃる通りで同感すぎる。巻き込まれたストークスもお前も俺たちももしかしたら巻き添え食らうかもしれないNY市民もいい迷惑だ。現状一番やばい状態のストークスが一番キレてしかるべきだけどな」 「そんなやばい奴らに捕まってて無事なのか、レイは」 「生きてる筈だ。たぶん。無差別にざくざく殺していきましょう武器は刃物と拳銃でって奴らじゃない。大量虐殺企ててるのに武器は伝染病だからな。実際にそれが天然痘だったとしても、吸い込んですぐ死ぬような魔法のウイルスじゃない。じわじわと死ぬんだ。自分の知らないところで、世界が終わっていく。そんな最期を求めてる弱虫共が、ストークスを殺すとは思えない」 「一足先に炭疽菌ぶちまけられてるっていう可能性は?」 「なくはない。が、あー……ストップ今のところ見たか? ライ、ちょっとお前もよく見ろ」 急にディーンは身を乗り出し、監視カメラの映像を指さした。 レイが男たちに取り押さえられ、口を塞がれている。襲い掛かる二人の男の体格に敵う筈もなく、必死にもがく青年は暫くすると失神したようにぐったりとした。 一人は途中から暴れる足を、一人は口に布をかぶせながら暴れるレイの腕を抑え込んでいる。 痛々しい映像だった。まるでレイプ犯の家から押収したビデオを見ているような感覚だ。 一度巻き戻し、ディーンは『指だ』とライカンスに囁く。 「指?」 「指だよ、ストークスの指だ。暴れている間の……ほら、なんか、おかしいだろう」 「……あ」 確かに、レイの指が不自然な動きをしている。 最初は一本の指を立て、次は二本、次は四本、と動いているような気がした。 「数字を伝えたいのか?」 眉を寄せるディーンがもう一度巻き戻しをする前に、ライカンスはその数字の意味に思い当たる。 「ダストボックスだ。たぶん」 「……なんでわかるんだ、これで」 「うちのゴミ箱に落書きがしてあんだよ。確かクララのいたずら書きだ。十二月四日に彼女がサインの練習をしたんだよ。だから俺の部屋のダストボックスには12/4Claraってサインがあるんだ。レイが仕掛けたカメラのアングルからも、きちんと目に入る位置にある」 「流石ストーカーだなレイモンド・ストークス……無茶苦茶理論だが悪くない。誰かダストボックス見たか? なんか入ってた?」 ディーンが声を張る。それに応えたのは年配気味の捜査員で、彼は何も入っていなかったと首を振った。おおかたこの部屋の中は捜索済みであろうことは見当がつく。 では、先ほどのレイの指の動きは別のものなのか。思いつきで言っただけなので、違っていたとしてもおかしいことはない。 しかしディーンは『まあそうだよな』と苦笑してから、レイのパソコンに向き合った。 「現実世界のゴミ箱に何もないなら、じゃあこっちだ」 その言葉で、ライカンスはPC上のダストボックスの存在に思い至り、久しぶりに旧友の頭の回転に関心した。 「……昔から変なところで本領発揮するよな、ディーン」 「天才と呼んでくれよ。ところでストークスが伝えたかったのは本当にお前の家のゴミ箱の落書き数字だったみたいだぞ。――大当たりだ」 ディーンが開いたダストボックスアイコンのフォルダの中には、一つのファイルしかない。 常にこのファイルだけは残すように、レイは毎日フォルダを整理しているのだろう。 ファイル名は『What's the flavor?』。 このなぞかけに、ライカンスとディーンはほぼ同時に答えた。 『グリーンアップル』 「…………」 「…………」 「……なんで知ってんだライ」 「いや……なんかいつも甘い青りんごっぽいにおいしてっし、よくチューブガム噛んでるしこの前チックタック食ってたから……」 「素晴らしい観察眼すぎて逆に気持ち悪いなお前」 「うるせーよ。気になる女優がCMしてる菓子はなんとなく頭に残るだろそれと一緒だっつの。つかなんでディーンは即答したんだよお前こそレイの何だよ」 「だからこっちはルースターサーチにちょっとしたコネがあんだよ。俺が個人的にストークスに興味あるわけじゃないからそんな目で見んな。盗らないから安心しろ。安心してお前はストークス助けに協力しろ」 「全力でしてんだろ。はやく開けそのファイル」 「開くよわかってるよせかすなオオカミ。っあー……あー、すげえ、ストークス、病的で素敵だな!」 勝てるかもしれない、とディーンは手を叩く。 PC上に立ち上がっていたのはオーディオだ。 ザー、と雑音が響く。それと同時に、大量の数字がウインドウの中に流れ始めた。 「……盗聴器の受信システムだ。ストークスは、常に自分に盗聴器をしかけてたんだ」 病的で素敵だ。 もう一度ディーンは繰り返す。 ライカンスも口の中で病的なカラスの名前を呟く。 レイモンド・ストークス。 今は捕らわれ、生死もわからないカラスの残した手がかりの端を、オオカミはやっとつかんだ。

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