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幕間1 仁科

 啓一が初めて私の名を呼んだ。  あまりの衝撃に、しばらく言葉が出なかった。一歩ずつ彼の存在を確かめるように近づく。  私は彼に触れ、行為に及ぼうとした。  しかしいつもおとなしい啓一が、バスルームでのこともあり、今日はやけに反抗的だった。 「あんたが欲しいのは俺じゃなくて兄貴だろ? もう俺のことは解放してくれ!」  何を言っている。啓一は君自身じゃないか。 「……あんたに必要なのは、俺じゃない」  啓一が悲しそうに呟く。今にも泣きそうなその顔に、私は戸惑ってしまった。愛する人の慰め方がわからないのだ。 「……好きだ」  私は目をみはった。 「好きなんだよ、だからっ――だから、俺を見て……」  その声が、その目が、あまりにも愛おしくて思わず笑ってしまった。不安げな彼の声に、大丈夫という想いをこめて啓一を慰める。  気づいたら啓一は泣いていた。  どうしたのかと思い、彼をよく見ると、切り傷の手当てをしていなかったことを思い出した。  流れる血を一滴舐めてみる。啓一の血は甘かった。  夢中になって舐めていると、啓一が気持ち良さそうに声を発した。  彼が喜ぶように、私は耳からうなじを愛し、歯を立てた。  啓一の身体に痕を残したのは今日が初めてだった。私は啓一に自らの名を呼ばせてみたくなった。 「……先生?」  啓一は私の言いつけを守って、先生と呼んだ。  初めは嬉しかったその呼び方が、今日はなぜか気に食わなかった。 「……名前で呼んでくれないか?」 「名前?」 「智と……あの頃のように、名前で」 「……サトシ?」  名前を呼ばれただけで、こんなにも幸せな気持ちになれるとは。  手錠を外すように啓一が訴えた。私は彼の願いを叶えた。  彼の両手を戒めていたものを外すやいなや、啓一は私に飛びつき、両腕を回して抱き着いた。啓一らしからぬ行動だ。  私の心が騒めき始めた。彼は本当に私が愛してやまない長瀬啓一なのかと。  啓一はその腕に力をこめ、私の胸に顔を埋めて笑っていた。  思わず鳥肌が立った。目の前の彼が、私の求めていた「彼」と重ならない。  私はようやく長い夢から覚め、現実を知る。 「愛しているよ……啓一」  ここにはいない「彼」を想って、私は目の前のレプリカを抱き返した。

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