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純愛 2-2

     ◇  孝司が初めて片山と仁科の前に現れたのは半年前の初夏だった。  いつもは冷静沈着な仁科が、孝司を一目見た途端に様子がおかしくなった。どこか浮ついていて、仁科らしからぬケアレスミスを犯し、同僚から不思議な目を向けられていた。  そんな仁科を見て、片山は少し安心した。入社当時から完璧主義者で、今まで大きなミスをしたことがない仁科は、まるでサイボーグのような男だった。だからこそ仁科にも人間らしい側面があるのだと、片山は気にも留めていなかった。  翌日以降、孝司は現れなかった。さほど不動産関係に興味がなかったらしい。一緒に来た学生の連れだったのだろう。仁科は今まで通り淡々と仕事をこなしていた。  当時の片山の目にはそう映っていたが、ただひたすらに仕事に打ちこむ仁科は、何かに囚われているようにも思えた。  その後は何事もなかったかのように月日が流れ、孝司が社を訪れてから約一年が経っていた。  ある日珍しく仁科が無断欠勤をした。その日はまったく連絡がつかず、翌朝体調を崩して連絡ができなかったと謝罪した。  真面目な仁科はたとえ四十度近い熱が出ても平気な顔をして職場に来るような人物だったから、皆一様に彼を心配した。  だがこの無断欠勤を境に、仁科は会社を休みがちになった。片山は上司として、仁科の勤務態度を注意しなければならなかった。  部下たちの間では仁科の欠勤理由が話題になっていた。今まで働きすぎたツケが回ってきたのだろうと思う者。何か大きな病気を患っているのではないかといぶかしむ者。事実仁科は日に日にやつれていった。  しかしチタンフレームから覗くその眼だけは、常に爛々としていた。  仁科が休みがちになってから半月が過ぎた。  片山はタイミングを見計らって、出勤した仁科に声をかけた。小さな会議室に仁科を呼び出し、これまでのことを話し合おうと告げる。 「身体の調子はどうだ?」 「大丈夫です」  仁科の返答がやせ我慢だということは、誰の目から見ても明らかだった。 「人それぞれ事情があるだろうから深くは聞かないが……。だがこのまま欠勤が続くのはまずいぞ。有休もさほど残っていないだろう。体調が悪いなら、しっかり休みを取ってから――」 「片山さん」  仁科が話を遮る。対面の仁科は思いつめた表情をしていた。片山が話し出す前に、仁科はスーツの内ポケットから何かを取り出した。 「前々から決めていたので、常に持ち歩いていました。受け取ってくれますよね」 「仁科……」  仁科は机の上にそれを置き、深々と頭を下げた。 「皆さんに迷惑をかけて申し訳ございません」  部下から辞表を出されるのは初めてだった。片山は仁科の顔をうかがう。その目は対面に座る上司ではない何かを映していて、内心片山は背筋を凍らせた。 「本当にいいのか? 理由は?」 「一身上の都合です」  仁科は淡々と続ける。 「今、私が手がけている仕事の引き継ぎは任せてください。これ以上、片山さんに迷惑はかけられないので」  片山は悩んだ。正直、仁科に辞められるのは困る。しかし最近の仁科の勤務態度は上にも伝わっていて心証は良くない。今が引き際なのかもしれない。 「……わかった。今までご苦労だったな」 「ありがとうございます。最後までやるべきことは、きちんとこなしますので」  ようやく肩の荷が下りたのか仁科はリラックスした表情になった。つられて片山の空気も緩む。 「もう少し相談したいことがあるのですが、お時間大丈夫ですか?」  席を立ちながら、仁科が問いかける。片山は時間を確認した。次の来客の予定まで、少し余裕がある。 「手短にな」 「ありがとうございます。せっかく私のために時間を作っていただいたお礼に、コーヒーおごらせてください。もちろん、ロビーの自販機のやつですけれども。片山さんは砂糖入れる派でしたかね?」

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