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狂想 12-1

「サトシ!」 「こ……孝司くん……?」  意識を取り戻した孝司は、仁科と目が合うと、晴れやかな笑みを浮かべる。  仁科はその言動に違和感を覚えた。孝司はこの状況を理解できていないのか。自らの身に危険が迫っていることに気づかないのか。 「孝司、黙りなさい」  片山は孝司の身体を抱え直して、首にあてがった凶器の位置を調整する。その腕には絶対に離さないという強い意志が宿っていた。 「さて、仁科。これからどうしようか」 「どう、とは?」  仁科がいぶかしむ。片山は器用に口の端を吊り上げて、決まっているじゃないかと言った。 「お前をどうやって追い返すか考えているんだ」 「……何?」 「仁科。俺はお前を殺したくない。これでも元上司だからな。できるだけ穏便にことを進めたい。お前が引いてくれ」 「あなたは自分が何を言っているのか理解しているのですか?」  仁科は言葉で片山を抑えようとする。少しでも動いたら、片山は容赦なく孝司を傷つけるだろう。衣服の合間から覗く痣がなんとも痛々しかった。 「片山さん。あなたのしていることは――」 「サトシ、何を話しているの? 俺の話を聞いてよ!」 「危ない!」  孝司が身を乗り出す。首筋に刃先が食いこむ。血が流れる。だが、孝司はまったく気づかないようだ。  片山も片山で孝司の行動を止めようとしない。彼もまた孝司が傷ついていることに気づかないらしい。  異常だ。孝司も片山も異常だ。  仁科は唇を噛み締める。この部屋にいたら彼らの狂気に飲みこまれてしまうだろう。 「仁科、何を考えているんだ。ああ、孝司のことなら心配しなくていい。俺が責任を持って見送ってあげるよ。だから、お前は帰るんだ。俺たちのことは忘れて、啓一くんと仲良くすればいい」 「サトシ? 聞いてる? 俺に会いに来てくれたんだろ? 早く、こっちに来て!」 「いいかい? お前は啓一のもとに行け。お前はお前の幸せを見つければいい」 「サトシ! どうして俺を見てくれないの? ねえ! どうして?」  仁科は戸惑った。足が地面に縫いつけられているかのように動かない。どろどろとした冷や汗が背を伝う。視界がブレる。黒い靄を見ているようだ。  ――誰か、誰か。私をこの空間から逃してくれ。  他人頼みとは自分らしくない。だが、なりふり構っていられない。  仁科は心の底から願った。 「仁科? 俺の話を聞いているのか?」 「ねえ、サトシ! サトシ!」  ――誰か……! 「孝司!」  大きな音を立てて扉が開く。その音に硬直していた身体が正気を取り戻す。  振り返った先には、啓一が立っていた。

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