3 / 65
第3話 私立桃陵学園
始業式と同時に入学式が行われる桃陵学園 では、新入生以外は少々下校時間が遅い。
混み合う下校時を避けるように、わざと遅れて校門を出てきた長身の男は、駅近くの繁華街に差し掛かった所で不穏な空気をまとった集団に気付いて歩をゆるめた。
制服から判断して、どうやら自分のところの新入生らしき連中が他校の複数人に囲まれて困惑しているようである。遠目からではあるが、それに気付いた男は若干面倒臭そうな素振りで小さな舌打ちを鳴らした。
この男は桃陵学園高等部に通う三年生であり、つまりは学年でいえば四天学園の鐘崎遼二や一之宮紫月らと同い年である。
絡まれている新入生に面識はないが、同じ学園の後輩にあたる者の窮地に知らんふりをする道理はない。面倒事はご免こうむりたいが、致し方ない――そう思って足早に歩を踏み出した、その時だった。
見覚えのある黒い学ラン姿の数人が、一足先に彼らに助け船を出すようにして割って入るのを目撃したのだ。その学ランが、自らの桃陵学園とは因縁関係などと言われている隣の四天学園の制服だということは聞かずともすぐに分かった。
まだ少し距離があったので、しばしこのまま様子を見ることにする。
と、やはり助け船だったのだろう、四天の学ラン姿の男らが他校の連中を追い払い、桃陵の制服を纏った新入生に何かを手渡す様が見て取れた。それは財布だろうか、カツアゲにでも遭っていたところを救ってもらったといったところか。
そんな彼らに近付くごとに、少しづつだが会話の内容も耳に入ってくる。
「あの……ありがとうございました」
「お礼を……その……どのようにしたら……」
新入生の二人はホッとした表情ながらも、僅かに緊張の面持ちでそんなことを言っている。カツアゲされ掛かった財布を取り返してくれた男らに感謝はすれども、格好だけ見れば彼らもまた安心できるタイプの雰囲気は持ち合わせていない。風貌だけでいえば、助けてやった代わりに財布の中身を半分置いていけ――くらいのことは言われても仕方ないような出で立ちなのである。それに怯えてか、新入生らは身を固くしてうつむき加減だ。
さて、どうしたものか――そう思った傍から、学ランの男から飛び出した意外な台詞に思わず目を見張ってしまった。
「礼なんぞ必要ねえよ」
「財布、無事で良かったな! ここいらはああいうバカも多いから気をつけて帰れよ」
学ランの男たちが交互にそう言いながら微笑ったのと同時に、新入生の一人がこちらに気が付いたようで、
「あ! 先輩……」
桃陵学園の制服姿を見て咄嗟にそんな台詞が出てしまったのだろう。むろん面識は無かったが、一応同じ学園に通う『先輩』の自分を見つけて、彼らは真からホッとしたような安堵の表情を浮かべていた。
こうなれば礼のひとつも云うべきだろう、
「うちの一年坊主が世話を掛けたようだな。礼を言う」
一先ずそう言って軽く頭を下げた。
学ラン姿の男たちは少々驚いたふうではあったが、すぐにニヤッと口角を上げて踵を返す。まるで、『どういたしまして』とでも言わんばかりの不敵な微笑みと共にこの場を立ち去っていった。そんな姿がどうにも清々しく思えてならなかった。
そう、彼らの顔には見覚えがあった。隣の四天学園で不良の頭といわれている男たちだ。
「四天の鐘崎に一之宮――か」
因縁関係などと言われ、言葉を交わしたこともなければ、面識があったわけでもない。ただ風の噂で入ってくる彼らの浮き名と、ごくたまに下校途中などに遠目に見掛けることがあるという程度の間柄だ。それなのに、何故だか不思議とあたたかい気持ちが湧いてくるようで、心が踊るような心地がしていた。
嬉しいような誇らしいような、何とも言い難い不思議な感覚――こんなのも悪くないなと思いながら、男は遠くなっていく彼らの後ろ姿を見送ったのだった。
◇ ◇ ◇
「なあ、さっきのあれ……桃陵の氷川 ってヤツだったろ?」
「ああ、うん。多分そう……。ちょっとビビったわ、俺」
「なんか……聞いてたのとイメージ違げくね? あいつ、桃陵でアタマ張ってるって聞いてたけど……何つーか、悪いヤツの気がしねえっていうかさ。不良って感じでもねえじゃん」
「どっちかっつったら”イイ奴”って感じ? でも存在感てか、威圧感はあったよな?」
「ああ、あったあった! カッコ悪りィけど妙に緊張しちったし、俺も!」
剛と京が少々興奮の面持ちでそんな話に花を咲かせている。それらを横目にしながら、遼二と紫月は互いを見合い、どちらからともなくニヤッと微笑い合ったのだった。
桃陵の氷川という男も”不良の頭”だなどと言われてはいるが、そこいらのチンピラ連中とは一線を画す何かを持っているのは確かだ。遼二も紫月も言葉にこそ出さなかったが、胸中は同じといったふうに満足げであった。
ともだちにシェアしよう!