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第8話 すれ違う二人
「すんません、親父さん! 俺が……悪いんです。俺がこいつに酷えこと言ったから……本当にすいません!」
そう言って頭を下げる遼二の様子を見下ろしながら、両親たちには詳しい経緯が分からないので眉間の皺だけを深くする。当の遼二は、父親の背に隠れるようにしていた紫月の母親の方へも視線を遣りながら、
「……すいません。マジで……頭が冷えました……ほんとに、すいませんでした」
両親の前で深々と頭を垂れながら謝罪の言葉を口にした。紫月の方も半ばソッポを向き気味ではあるが、先程までの興奮状態はすっかりと消沈したのか、うつむき加減でおとなしくしている。そんな二人の様子を見やりながら、父親は言った。
「――後は二人でよく話し合って、ちゃんと仲直りしなさい」
やれやれといった調子で静かにそれだけ告げると、母親を従えて道場のある母屋へと引き上げていった。
◇ ◇ ◇
「……ごめん」
物が散乱した静寂の部屋で、遼二はボソリと呟いた。
「悪かった……俺が。マジで……すまねえ」
「……いーよ、もう」
(俺もカッとなっちまったことだし、お互い様だ――)
言葉にこそしなかったものの、紫月の視線からそんな思いが伝わったのか、遼二は僅かに寂しげな苦笑いを漏らした。
「部屋、めちゃくちゃにしちまったな……」
ひっくり返ったゴミ箱、ハンガーから外れた学ラン、本や雑誌にゲーム類、フタの外れてしまった目覚まし時計などを一つ一つ拾い上げながら、遼二はそれを紫月へと手渡していく。紫月も素直に従い、元の場所に片付ける。
黙々と、ひと言の会話も無いままでおおかたを片付け終えた頃、鞄の下敷きになっていた一枚の写真と、それが飾られていたのだろう衝立てが壊れてしまった写真立てを見つけて、遼二はハッとしたように瞳を見開いた。そして、切れた唇に小さな苦笑を浮かべる。
そこに写っているのは、楽しげに肩を組み合い笑い合っている自分たちの姿だった。二人共に学ラン姿で、カメラに向かって中指を立てながら勝ち誇ったようにポーズを付けている。修学旅行で関西へ行った時の写真だ。
これを撮ったのは確か剛と京だったか――心から楽しそうにしている自分たちの笑顔に、何故だか心の奥深くが鷲掴みされるかのように苦しくなった。思わず涙腺にツンとくるような、今ここに自分一人だけだったなら、ためらわずに泣き出してしまいたくなるような、そんな気分だった。
幼い頃からずっと一緒にいた紫月のことが自慢だった。
男から見ても格好良いと思える綺麗な顔立ち、さして愛想のないところも魅力に思えてしまうほどに理由なく惹かれる自慢の友で幼馴染みで――
そんな彼が自分だけに見せる屈託のない笑顔は宝物だった。傍にいるのが当たり前で、自分は彼の一番の親友で、彼も自分の一番の理解者で――仲間内の誰よりも近い存在であることが誇りだった。
そんな紫月が自分以外に興味を示した名も知らない誰か――
どんな奴なのだろう。
容姿は?
自分よりも背が高いのか、それとも華奢なのか。
髪の色は?
性質は?
声は高いのか、低いのか。
知りたい――――
紫月の心を動かしたその男を一目でいいから見てみたい。
毎日、毎日、駅前で待ち伏せするくらいに紫月を虜にしたその相手がどんな人物なのかを知りたい。
湧き上がる複雑な思いを呑み込むように、遼二はギュッと拳を握り締めた。
「俺も一緒に……捜してやっから――」
「……え?」
「赤い指輪をした”朱雀”ってヤツをさ……一緒に捜すの手伝うよ」
「……何、言って……」
「さっきは……その、酷えこと言って……悪かった。許せな?」
写真立てに写真を納めて衝立てを差し直し、紫月には渡さずに今度は自らの手でそれを卓上へと飾り直すと、遼二は立ち上がった。
「――帰る」
「……なぁ、おい遼――」
「何……?」
「さっき……何で庇ったりした? 親父の張り手を……てめえで食らうなんて……よ」
視線を合わせないままでそう訊いた紫月に、遼二は苦笑した。
「何でかな……俺にもよく分かんね。お前が誰かに傷付けられんのが嫌だったから……かな。例えそれが親父さんでも……な」
そう、理屈ではない。
深い考えなど何も無く、気付けば身体が勝手に紫月を庇わんと反応しただけだ。だがよくよく考えれば最初に手を出したのは他ならぬ自分自身だ。遼二はますます苦い思いを噛み締めるような表情で笑うしかなかった。
「矛盾――してるよな。俺が一等最初に酷えことしておきながらよ」
「……別に、いいよもう。俺もついカッとなっちまったから……」
「指輪のヤツの手掛かり……何か見つかったらまた連絡すっから。お前も一人であんま無理すんなよ」
「……ンなの、」
――もういいって。
そう言い掛けた時には既に部屋の扉を閉める後ろ姿が半分も見えなくなっていた。
(……ッ……くそ……! 何だって、こんなことになっちまうんだよ……)
広くてデカい背中、自分よりもどこそこ大きく逞しげなその背中が、何故だか酷く寂しく感じられるようにも思えて、複雑な思いに紫月はキュッと瞳をしかめた。
つい今しがたまでの嵐のような一時が、嘘のように静まり返った部屋に独りきり――。見慣れたはずのいつもの光景が、無性に辛く、無機質に感じられる。
玄関の引き戸の開閉する音で、遼二が帰って行くのを感じながらも見送りに出られないでいる。紫月は床にうずくまったまま、自分自身の肩を両の腕で抱き締めた。
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