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第61話 愛に気付く

 一方、遼二が紫月の家――一之宮道場――に着くと、案の定待ちくたびれたといった様子で紫月が少々眉を吊り上げていた。 「てめ、随分遅かったじゃねえか。何処ほっつき歩いて来たんだって!」 「悪りィ……。その、ちょっと立て込んじまって……」  素直に謝るも、遼二にとっては焦燥感で一杯だ。他のことなど何も目に入らないし、考えられもしない。自らの部屋に待たせている粟津帝斗という男のことについて早くこの紫月に打ち明けようと思えども、上手くは言葉が出て来ない程に遼二は混乱していた。 「そろそろ倫周たちも帰って来るってよ。今さっき、親父から電話あってさ」 「あ、ああ……そう」 「詳しいことは後でゆっくり聞くとして、なかなかいい兆候みてえだったぜ? これであの倫周ってヤツもようやく落ち着けるだろうよ。今まではやっぱ、不安も多かっただろうしな」  そう言って、心底安堵したように紫月は微笑った。  学園では不良連中の頭だなどと言われ、軽薄そうなその外見に相反して、実は心根はあたたかい。ぶっきらぼうで無愛想なところもあるが、本当のところは生真面目で優しさをも兼ね備えた、いわば包容力のある男だ。  そんな彼だからこそ湖で助けたという例の指輪の少年のことを今も案じていたりするのだろうか。それは紫月本人の言うように、単に人間としての当たり前の感情に過ぎないのだろうか。  だが例え本当にそれだけ――他意はないにしろ――気に掛けてもらえた人間からするならば、ある種感動的なことに違いないだろう。しかも相手は今しがた自身が直接目の当たりにしてきたあの青年だ。今、二人が再会すれば、必ずといっていい程、劇的な展開へとつながってしまうような気がしてならない。 『元気だったか? 今はどうしているんだ? 普通に幸せにしているのならそれでいい、安心したぜ』  そんなふうに社交辞令を交わすだけで済むだろうか。もっと親密に、もっと互いを気に掛け合い、万が一にも惹かれ合う――。そうなることを――例えどんなに望まなくとも、そんなものは自分よがりの勝手な望みでしかないのだ。遼二はあることないこと想像だけが膨らんでいく自分自身にも嫌悪感を覚えると共に、全身から力の抜ける思いがしていた。  こんなふうになってみて、これまでの当たり前のような日々がいかに至福だったのかを痛感させられる思いだった。  今、目の前にいるこの紫月と――心からバカを言い合って戯れ、はしゃいだ日が走馬灯のように脳裏をよぎる。好奇心を理由に肌を重ね合ったことさえ、ただの言い訳だったのだと認めてしまえば、涙が滲む程に心が締め付けられる思いでいた。  好奇心などではない。  若気の至りでも、火遊びなどでもない。こんなにも自分にとって大切な存在だったということを気付かなかったわけじゃない――!  見ないようにしてきただけだ。  素直に想いを口にするなんていうのは恥ずかしいから、ダサイから、クールじゃないから――。そんなふうに取り繕っては、格好をつけてきたことを悪いことだとは思わない。好きだと認めることが照れ臭かったのもごく当たり前のことだ。当たり前すぎて気付かなかった大切な想いだ。  脚が震える程に、  心臓が痛くなる程に、  目の前のこいつが好きだ。  好きで好きで――どうしようもない。  同じ想いを紫月にも抱いていて欲しい。他の誰のことも目に入れて欲しくない。  彼を独占し、又独占されていたい。今までのように当たり前に傍にいられるだけでいい、他には何も望まない。だがどれ程そう思っても願っても、この想いを紫月に強要することはできないのだ。  同じように、先程出会った粟津帝斗という男の想いをひしゃげることも邪魔することも卑怯なことだと分かっている。どんなに辛かろうと彼らの間を阻害することはできないのだと分かっている。  意を決したように遼二は拳を握り締めると、云った。 「あのよ、紫月――。俺、お前に言わなきゃなんねーことが……」 「あ?」  急に真顔になった傍ら、思い詰めたような表情で唇を噛み締める遼二の様子に、紫月の方は怪訝そうに彼を見やった。 「いきなし何? どうかしたのか?」 「いや――。俺、お前に大事な話があンだ……。けど、その前に……」  その前に―――― 「その前にちょっとだけ――い?」  そう言うなりフイと肩を引き寄せて、遼二は紫月を――そのすべてを包み込むように腕の中へと抱き締めた。 「おい……遼……? 何、急に……」 「ちょっとだけ――今だけ、少しこうさせて欲しい――」 「……て、おま……ッ」  ただただ抱き締めたままで動こうとしない遼二に、紫月は怪訝そうに眉根を寄せた。どうにも普段と違うような遼二の様子に多少の戸惑いながらも、きつくしがみつかれた腕の中でもがく。 「あのさ、紫月……。俺……」  お前のことが――  『好きだ』と告げたかった。  だが、指輪の男という存在が現れたから、彼と紫月を再会させる前に先手を打って告げてしまおうなどと、それこそ卑怯な気がする。遼二は紫月を抱き締めながら、自らの複雑な想いを抑えるようにギュッと拳を握り締めた。 「ごめん――。実は俺、会ったんだ。お前の捜してる指輪の男――」 「……え!?」 「さっき、偶然駅前で――。ヤツもお前のこと、覚えててな。今、俺ン家にいる。お前を呼んでくるっつって、待ってもらってるんだ」  遼二は図書館からの帰り道で彼に出会った経緯と、彼が紫月と倫周の持っているものと同じ形の指輪をしていることなどをかいつまんで打ち明けた。 「すげえ偶然だけどよ――どうやらヤツは倫周の先輩らしい。倫周が行方不明になってるとかで、一人で捜して歩いてるようだぜ」  そして、倫周に赤い色の指輪をやったことや、彼らが白帝学園で先輩後輩の仲であるらしいことも告げる。 「直接ここに連れて来ようかとも思ったんだけどよ、先ずは倫周がヤツに会いてえのか会いたくねえのかとか……事情を訊いてからにした方がいいかと思って、俺ン家に連れてった」 「……そうだったのか」  紫月もほとほと驚いたようで、言葉少なだ。 「と、とにかく俺ン家に行くべ。倫周が帰って来るのを待ってからにしてもいいけど――」  そう言い掛けた時だった。役所から戻ったらしい紫月の父親の車の音が聞こえて、二人はハッとしたように顔を見合わせた。 「親父――!」 「おう、紫月か。もう帰ってたのか」 「つか、あいつは? 倫周ってヤツ」  父親の姿しか見当たらない様子に、紫月が少々焦りながら訊いた。 「――ちわッス。お邪魔してます」  紫月の後に続き、遼二もペコリと頭を下げたが、 「遼二のボウズじゃねえか! 何だ、お前さんもこっちに来てたのか?」  その姿を見るなり、紫月の父親は驚いたようにしてそう言った。 「遼がウチに来てたんなら行き違いになっちまったな。あの子がとにかく早くお前に報告してえからって、今さっきそこの角で車を降ろしたとこだぜ? 先にお前ン家に行ってるんで、紫月にもそう伝えてくれって」  その言葉にギョッとしたように瞳を見開いた。 「親父さん! あいつ、俺ン家に向かったんスか!?」 「……てことは……」 「あいつら、鉢合わせちまう――!」  別段、帝斗と倫周が会ってしまったとしても、彼らは同じ白帝学園の先輩後輩だ。どうということはないかも知れないが、突然のことでお互いに驚くことに違いない。遼二らは急いで道場を飛び出した。  ところが――である。息せき切らして自宅へと舞い戻った時には、既に彼らの姿はなかった。母親から帝斗らが一足違いで出て行ったことを告げられて、逆に驚かされるハメとなった。 「何でも急用ができたとか言っていたわよ。あんたには後で必ず連絡するから、よろしく伝えてくれって」  突然鉢合わせたことで二人は驚いていたようだが、倫周はともかく帝斗の方が酷く焦っていたようだったので、母親も気に掛かっているとのことだった。 「倫ちゃんもだけど……さっきあんたが連れて来たあの男の子も……すごく品のいい感じで……。言葉遣いも丁寧だし、とっても良い子そうに見えたけど」  母親の言うには、あんな品の良い子が嘘をつくとは思えないので、後でちゃんと連絡をくれるわよとのことだったが、遼二らにしてみれば肩透かしを食らった気分だ。 「倫ちゃんだって今夜も紫月君の家に泊まることになってるんだし、夕方には帰って来るでしょう?」  焦る遼二らを宥めるように母親は笑った。 「それよりあんたたち、お昼ご飯まだでしょう? 紫月君もウチで食べていきなさいよ。そのうちに連絡がくるわよ、きっと!」朗らかにそう言っては、台所へとうながされる。  何だかドッと力が抜けてしまう。だが、まあ――母親の言うように今は待つしかないだろうか。帝斗という男からは名刺ももらっていることだし、夕刻になっても帰らなければ、こちらから連絡も可能だ。紫月もこのまま遼二の家で昼飯を相伴に与ることにして、帝斗からの連絡を待つことにしたのだった。 ――が、結局何の連絡もないままに、既に夕方になろうとしている。遼二も紫月も格別には会話らしき会話もなく、ソワソワとしながら言葉少なでいた。 ◇    ◇    ◇

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