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第17話 幸福と不穏のバリ島旅行

 その頃、横浜白帝学園の柊倫周は、生徒会長の粟津帝斗に誘われたバリ島の旅から戻って来ていた。  プライベートジェットが空港に降り立つと、既に粟津家の高級車が迎えに来ており、何から何までが至れり尽くせりの豪華さは、信じ難いを通り越して夢の世界だ。  が、しかし、当の倫周の顔色は優れずに暗く沈んでいた。  旅行へ出掛ける初日、ここを飛び立つ時にはまさかこんな気持ちになるなどとは想像もしていなかったことだ。 「倫、体調が優れないのかい? 少し辛そうだ」  優しげに、そして切なげに顔を覗き込まれても、倫周にできることはただただ首を横に振ることが精一杯であった。 「もしかして、怒っておいでかい? 僕が無理矢理あんなことをしたから――」 「い……いいえ! そんな、怒ってなど……おりません」  言葉を発するだけで今にも涙が滲んできそうだった。そんな様子に、帝斗は更に申し訳なさそうに瞳を歪めてみせた。 「ごめんよ、倫。本当に悪かったと思っているよ」 「…………」 「でもね、これだけは分かっておくれよ。僕は決していい加減な気持ちであんなことをしたんじゃないんだ。本当にお前のことが好きで堪らないから……どうしても、その……」 「……会長」  帝斗の辛そうな表情からは、彼が嘘を付いているようには思えなかった。では全てを赦せるのかと訊かれれば、素直にうなずけるほど割り切れるわけでもない。倫周は重たくのし掛かかる気持ちに負けてしまいそうだった。 ◇    ◇    ◇  四日前――  会長・帝斗の家の車が自宅前まで迎えに来て、空港へと向かった。そこに待っていたのは相乗りの民間機ではなく、なんと粟津家のプライベートジェット機だった。それだけでも大層驚かされたが、中に乗り込んでみると目を見張るような内装に更に驚いた。座席というよりは、もうほぼ部屋といった方がいいくらいの、しかも高級ホテルのラグジュアリールームのような造りに倫周は絶句状態だった。 「倫、飛行機が飛び立って安定高度になるまではシートベルトを着けておくれよね。その後は軽く食事を摂って、到着するまではベッドで昼寝でもするといい」  まるで当たり前のようにそう言って微笑む会長の姿にも驚きを隠せない。この人はいつもこんな生活をしているのだろうか――国内でもトップクラスの大財閥とは知っていたつもりだが、こうして直に目の当たりにすると、その凄さが身に沁みる気がしていた。  何もかもが豪華過ぎて未知の初体験の連続に、それだけで気疲れしそうではあったが、帝斗は始終優しく、身の回りの必要不可欠な世話以外は使用人と顔を合わせることもなく、二人きりの旅にホッと胸を撫で下ろす。ここには妬む同級生もいなければ、嫌みを言われて辛く当たられることもない。倫周にとってはそれだけでも安堵に値することだった。  バリ島に着いた初日には粟津家が所有するヴィラへと案内されて、南国ムードの漂う中にも豪華な造りの大邸宅に息を飲んだ。広々としたエントランスロビーには籐造りの家具や珍しい木材で作られたオブジェが置かれていて、憩いを誘うグリーンの置物には全てこの島の本物の植物が使われている。まさに異国情緒漂う別世界にため息の連続だった。  リビングを抜ければ、目の前には夕陽に輝くプラベートビーチが広がり、その絶景に思わず感嘆の声が上がる。普段はおとなしく、あまり自我を表すことのない倫周でも、思わず感動の笑顔を誘われた程だった。 「気に入ってくれたかい?」  隣には優しげにそう訊いてくる帝斗の笑顔も夕陽に負けじと美しい。倫周は夢見心地だった。 「疲れただろう。ディナーの前に湯を浴びるといい。ここのジェットバスは最高だよ」  帝斗に連れられて案内されたバスルームには、まるで映画の世界にあるようなアメニティやらローブ、リネン類が揃えられていて、大理石で設えられている床を踏みしめる度に冷んやりとして気持ちがいい。単に風呂というには広すぎる浴室は、ジェットバスがある湯船と身体を洗うシャワー室とが別々になっていて、全面ガラス張りの窓からはビーチが望めるようになっている。 「明日は市街に出て遺跡や寺院を回ろうか。ついでにショッピングに繰り出してもいい。明後日からはプールやビーチでのんびり過ごすのもいいだろう?」 「はい……あの、会長。こんな素敵なところに連れて来ていただいて……ありがとうございます」  気付けば、素直にそんな言葉を口にしていた。 「いいんだよ。お前に喜んでもらえたなら僕も嬉しい」 「あの、会長は毎年こちらでゴールデンウィークをお過ごしになられるのですか?」 「ああ。この時期、日本に居たくない訳があってね。だから毎年ここに来る」 「…………?」 (日本に居たくない理由――?)  言葉に出してこそ訊かなかったものの、『日本に居たくない理由ですか?』と言いたげに小首を傾げた倫周に、 「お前さんの気にすることじゃないよ。大した理由じゃない、単に僕の勝手な都合さ」  帝斗はそう言って笑った。 「いつもは独りなんだけれど、今年はお前が一緒だから楽しみが増えたよ。それよりも倫、いい加減その敬語はよしてくれないかい? 何だかよそよそしくて堪らないよ」  やさしく髪を撫でながらそんなことを言ってくる帝斗を見上げながら、倫周は困ったように頬を染めた。

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