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第18話 告白
「そんな、恐れ多いことです」
「ふふ、可愛いことをお言いだね。でも僕はもっと砕けてお前と話がしたいの。せめて二人きりの時はなるべくそう心掛けてくれないかい?」
「……はい、あの……」
「それに――できれば僕のことも”会長”ではなく名前で呼んで欲しいな」
「え――!?」
「帝斗――って。ほら、呼んでご覧」
「あの……いえ、そんな……」
「倫――」
言葉尻はそこはかとなく優しいものの、時折この会長の目力には逆らえない威圧感を感じるのも否めない。視線だけで『僕の言う通りにしなさい』と命令されているようで、倫周は戸惑った。
「はい、あの……では失礼して……帝斗……」
おそるおそる視線を上げて見上げれば、そこには満面の笑みを讃えた彼が嬉しそうにこちらを見つめていた。
「それでいい。これからはずっとそう呼んでおくれよね」
そう、たまに感じる奇妙な感覚――帝斗に対して恐ろしいともつかない言いようのない気持ちが、倫周は少し怖かった。
◇ ◇ ◇
次の日から、帝斗の提案通りに遺跡巡りやショッピングを楽しみ、庭に備え付けの広大なプールで満喫し、そして陽が傾く頃には見事な夕陽を見ながらプライベートビーチを散歩して過ごした。
半ば強要された”帝斗”という呼び名にも慣れ、ぎこちなくはあるが敬語もあまり使わないように心掛けて過ごす内に、帝斗に対する親近感のようなものを覚えるようになっていったから不思議だ。
今までは手の届かないところにいる”偉い先輩”という認識だった彼が、ほんの僅かにでも近しく感じられるようになったのはすごいことだ。やはり彼の言うように、言葉遣いや名前の呼び方ひとつでこんなにも違ってくるものなのだろうか、倫周は感心の心持ちでいた。
――そして、楽しい時間が過ぎるのは早い。
明日にはもう帰国が迫っていた。
エスニック情緒たっぷりの夕食を済ませ、心地の良いジェットバスで心身共にリラックスし、今は夜の帳が降りた真っ暗なビーチを見つめながら波の音を聞いている。部屋から続くデッキに佇み帝斗と二人、並んで見つめるこの景色ともお別れだ。そう思うと少し寂しい気持ちだった。
この四日間は本当に夢のような日々だった。誰に邪魔をされることもなく、優しい帝斗と水入らず、目覚めた瞬間から上げ膳据え膳の生活が待っていた。普段の倫周には考えられない程の豪華なひと時だった。それもこれも帝斗がこの素晴らしい旅に誘ってくれたお陰である。
気付けば、倫周は素直に感じたままのお礼の気持ちを口にしていた。
「本当に素敵な連休を過ごさせてもらって、すごく嬉しかった……。帝斗、ありがとう」
突如、改まって礼を述べる。帝斗の方は、そんな倫周に驚きつつも、心底嬉しそうに微笑んだ。
「いいんだよ、お前が喜んでくれたなら本望だ」
「あの、帝斗……」
「何だい?」
「あの……どうして……どうして帝斗は僕なんかにこんなに良くしてくださるんですか?」
つい敬語が飛び出してしまったが、これが倫周の本心であった。今回の旅のことだけではなく、生徒会に抜擢された理由についても倫周はとても不思議に思っていたので、だからこの機会に訊かずにはいられなかったのだ。
「どうしてだって? それは僕が倫のことを好きだからだよ。お前と一緒に居たいから」
これで答えになっているかい――とでもいうように帝斗は微笑む。
「あ、あの……ありがとうございます……」
当然だが、どう返答してよいか分からなかった。こんなに優しくて素敵な会長に好意を持ってもらえるのは確かに光栄なことではあるが、単なる一下級生にここまで良くしてもらう理由としては曖昧だ。戸惑いつつも素直に嬉しい気持ちとの狭間で揺れ動く倫周には、この直後に待ち受けている衝撃の出来事など想像さえ付かなかった。
「ねえ、倫。倫はどうだい?」
「――はい?」
「倫は僕のことをどう思う?」
突然の問い掛けに倫周はハッと我に返った。
「倫は僕のことが嫌いかい?」
「き、嫌いだなんて……! そんなことありません!」
「本当に?」
「はい、勿論です。会長の……いえ、帝斗のことは憧れですし、尊敬もしています。それに……こんなに良くしていただいて、どう感謝したらいいかも分からないくらいで……」
「じゃあ、倫も僕のことを好いてくれているわけだね?」
「はい、あの……勿論です」
「そう……。だったら僕の望みを叶えてもらえるかな……?」
訊かれたと同時に抱き包まれた。――というよりも、拘束されているといった方が近いだろうか。倫周は酷く驚いてしまった。
が、それも束の間、次の瞬間には髪にチュッとキスを落とされて、ビクリを肩を震わせた。
「僕はね、お前のことが本当に好きなんだ。だからお前の全てが欲しいの」
甘やかな帝斗の声音が宵凪に乗って耳元を撫でていく――
「……か、会長……あの……」
「この旅で僕らはこれまでよりも心を通い合わせることができたと思うんだけど……」
「はい……それは、あの……もちろん」
「だったら心だけじゃなくて身体も繋がっていたい」
「え……!?」
「倫、僕はお前の全部が欲しいんだよね」
「ぜ、全部……って……あの、会長……?」
「その呼び方、よしなさいって言ったろう? ”帝斗”でいい」
「はい……すみません。会……いえ、帝斗」
「倫、分かる? 全部っていうのは、心も身体もっていう意味」
倫、お前が欲しいんだ。お前を抱きたい。倫、何もかもすべて。
僕のものになっておくれ――
「あの、待って……ください、帝斗……! 会長……!」
「僕のこと、嫌いじゃないんだろう? だったら……いいよね?」
「……や、あの……」
抱きすくめられていた腕に力がこもり、突如唇を奪われて、倫周は絶句した。そして、何がどうなっているのか分からないままにベッドへと引きずられて行き、気付いた時には押し倒され、腹の上には帝斗が馬乗りになっていた。
「会長……! 冗談はよして……ください! こんな……」
「僕は本気。冗談でも戯れでもないよ」
「……だって、こんな……こんなのおかしいです、やめてくだ……さ……!」
「拒まないで! 分かっておくれ倫。僕はお前のことが好きなんだ。愛してるんだよ。だから――」
「いっ、会長……!」
こんなの――いくら何でも……こんなの、おかしい!
僕たちは先輩後輩で、しかも男同士――
会長はいったい何を考えていらっしゃるんだ――!
抵抗と抑止の言葉が脳裏を巡れども、だが衝撃が大き過ぎて声にはならなかった。
夜が歪む気がしていた。
目の前の素晴らしいビーチの景色も、心地よい波の音も、豪華な部屋も、やさしい言葉も何もかも――すべてがガラガラと音を立てて壊れていくようだった。
◇ ◇ ◇
「倫、着いたよ。お前の家だ」
よほどぼんやりとしていたのだろうか――帝斗に軽く肩を揺すられて、倫周はハッと我に返った。
連休も残すところあと一日だ。明後日からはまた学園での生活が待っている。それらすべてが重く圧し掛かってきて、おいそれとは気持ちが立て直せない程に倫周は気重だった。
だが、何よりもやはりバリ島での最後の夜の出来事がずっしり心の杭となっていることは明らかだ。
帝斗は常に優しく丁寧で、だから別段強姦されたというようなわけではなかったが、酷く強引であったのは確かだった。お前を愛しているからどうしても僕の望みを叶えて欲しいと懇願され、返事を戸惑う内に、気付けば半ば強制的に契りを交わされてしまっていた。
無論のこと、倫周にとってはそんな経験は初めてで、身体のどこかしこに残る違和感はそう易々とは消えてくれず、何より衝撃的過ぎる出来事に心に深い傷を負ってしまったといっても過言ではない。
「連休が明けたら、これまで通り生徒会の用事をしてもらうようになるけど……構わないね? 放課後はいつものように僕の所を訪ねてくれるね?」
「…………」
「倫……? 聞こえておいでかい?」
「……あ、はい……すみません」
またもや同級生らの執拗な嫌がらせにビク付く日々が再開されるのだろう。それ以前に、これからこの帝斗とどのように接していけばいいのか分からずに、頭の中は酷く混乱していた。あんなことがあった以上、顔を合わせるのも気重になるだろう。ましてや今まで通り、普通に会話などできるのだろうか――そんな気持ちのままに、帝斗を乗せた高級車が遠ざかっていくのをぼうっと見送った。
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