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第22話 破顔するほどの幸せとは

 まさか帰りに寄ってくれるというのだろうか――そう思っただけで無意識に心が弾むようだった。 「――いいのか?」  おずおずと尋ねれば、 『ああ、勿論! どんなのがいい?』  すかさずそう訊いてくれる声はいつも通りに明るい。 「ん、お前が選んだやつなら何だっていい。つかさ……家寄ってくれんなら、そんだけで嬉しいけどよ」  ケーキはいわば口実だ。むろん大好物には違いないが、わざわざ買って来てくれるという遼二の気持ちが今は身に沁みる。そんな心の内が伝わったのか、受話器の向こうの声がとてつもなく優しく思えるのは都合のいい解釈だろうか。とにかく数日ぶりで遼二と話ができたことが素直に嬉しかった。 『そんじゃ、お前の好きそうなの適当に選んでくわ。早めに帰るから楽しみに待ってろよ!』 「ん、分かった。じゃ、後でな」  そう相槌を打った遼二の声も、確かに嬉しそうに弾んでいるのは錯覚ではない――通話が切れた後も、紫月は携帯電話を抱き締めたまま、会話のひとつひとつを思い出すように余韻を手放すことができなかった。  一方、遼二の方も電話を終えて席に戻れば、注文していたアイスコーヒーが既に届いていた。 「紫月のヤツ、何だって?」 「あいつ、元気そうだった?」  剛と京も気になるのか、興味ありげに身を乗り出してくる。 「うん、帰りにケーキを買ってってやろうと思ってよ」 「おお! そりゃいいわ」 「だな! あいつ、マジで甘味大魔王だからな!」  と、そこへメールの着信が入る。紫月からだった。  *  剛と京にもよろしく言って  あと慌てなくていいから ゆっくり茶して来てな  *  それを目にするなり、思わず破顔するほど瞳を緩ませた遼二を見て、剛らもつられるように微笑んだ。 「やっぱさ、お前らはそうでなくちゃだよな!」 「そうそ! ここんトコ、お前らツルんでんの見てねえし、ちょっと気になってたんだ。いつもだったら連休と来りゃ、ぜってー一緒にどっか行くとかしてるだろ?」  まあ今回は指輪の男捜しに明け暮れていたから、そんな暇もなかったというところだが、紫月のことは置いておいても、今ひとつ元気が出ないといった調子の遼二のことも、二人は気に掛かっていたようだった。そんな彼らに感謝しつつ、遼二はすぐに返事を打ったのだった。  その後、紫月に買って帰る味見用として三人で一個のケーキを注文し、一口づつ食したりしながら、ライブの感想などの雑談をして過ごした。  テラス席に続く窓の外を見やれば、港を一望できる見事な眺めに夕陽が輝き、一層絶景さを増している。 「おー、もうこんな時間か。紫月も待ってんだろうし、そろそろ帰るか」  剛が手元の時計を見やった、その時だった。急に後方が賑やかしくなったと思ったら、自分たちと同い年くらいの男が四、五人、真後ろの席に着いたところだった。  皆、私服だから、実際高校生かどうかは定かでないが、服装の趣味と彼らの交わす会話の感じからして、何処ぞの良家のお坊ちゃまの集団だろうというのは雰囲気で分かった。 「ねえ、すごく良かったね今日のコンサート! まさかゲネプロまで見せてもらえるなんて本当に最高だった! 感激しちゃったよ、僕!」 「ほんとだよねー。これもミノル君のお陰だよ。ミノル君ちの伯父様のヴァイオリン、すごく素敵だったし」 「そう? ありがとう、喜んでもらえて嬉しいよ。伯父の出るコンサートだったらいろいろ融通が利くから、良かったらこれからもご招待するよ」 「ほんとにー? ありがとう!」  何だか現実離れしたようなやり取りに、思わず聞き耳を立ててしまう。遼二らは視線だけで互いを見合ったまま、しばしおとなしく会話に耳を傾けてしまった。 「それよりオーダーは何にする? 僕はね、この焼きリンゴのパイをオレンジペコの紅茶と一緒にいただくのが定番なんだ」 「それじゃ、僕はフォンダンショコラをミルクココアと一緒に!」 「うわー、甘そうだねー」 「それがそうでもないんだよ。ここのお店のシェフは僕の父の知り合いでさ、いつも僕のオーダーにはベルギー製のビターショコラで作ってくれるのさ。だから思ったほど甘くならないの」 「へえ、それって僕にも作ってもらえるのかな?」 「いいよ、頼んであげる。一度食べたら、絶対ハマっちゃうと思うよ!」  すると、隣からもう一人が、 「じゃあ僕はミルクたっぷりめのショコラケーキで。お店で出してるのより甘めのをオーダーしちゃおうかな! ホイップクリームを、お砂糖多めで作ってもらうの」  そう言ってペロリと舌を出して見せた。 「わー、マジでー。じゃあ、交換こして食べようよー!」  如何に甘い物好きの紫月がいたとしてもそれはどうかなと思うくらい、甘々な話向きである。進んで甘味類を好まない遼二ら三人にしてみれば、聞いているだけでも思わず胸焼けを起こしそうな内容だった。  コソっと小声で剛が苦笑する。 「あいつら、きっとこの近くの横浜白帝学園の奴らだな。話の内容が俺らとは別次元だ」 「そうかもな。ここいらって高級住宅街だし。同じ音楽聴きに行くんでも俺らはロック、奴らはクラシックってか?」 「世の中広いってことだな」  いわば、色んなヤツがいるという意味なのか、多少タジタジとしながらも、そろそろ席を立とうかと思った矢先だった。  少々驚かされるような――というよりも耳を疑うようなといった方がいいだろうか、とんでもない会話が飛び込んできて、遼二らは席を立つのを躊躇った。  今の今まで菓子がどうのと甘ったるい会話を交わしていたはずの彼らが、かなり口調の変わった調子でしゃべり始めたのだ。ともすれば攻撃的ともいえる感じで、それは誰かの陰口のような内容だった。

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