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第25話 やっぱりお前と居ると――
「お袋がこれ持ってっけっつーからよ」
洒落たガラス製の器には紅茶だろうか、湯気の立ったいい香りの飲み物がなみなみと注がれている。
「コーヒーなら俺ン部屋にもあるっつったのによ。どうせインスタントでしょーとか、ケーキには紅茶の方が合うとか何とか抜かしやがってよ」
きっと紫月の母が気を遣って淹れてくれたのだろう、ブツブツと文句まじりの紫月の手からトレイごと受け取りながら遼二は思い切り癒やされた気がしていた。
やはりここに居るのが何よりも落ち着く。紫月は無論のこと、彼の両親やこの道場の風景も何もかも――慣れ親しんだ面々に囲まれて過ごすたわいのないひと時が、珠玉の宝物のように思えていた。
ずっとこんな時が続けばいい。格別なことなど何一つなくてもいい。隣には大口を開けて嬉しそうにケーキを頬張る紫月の笑顔、あたたかい気持ちのこもった紅茶、そのどれもを失くしたくなくて、胸が締め付けられるような思いに駆られた。
「これ、マジですっげえ美味え! お袋たちもすっげ喜んでた。遼、ありがとな」
ペロっと一個を平らげて、まだ半分以上残っているこちらのケーキをチラ見している紫月の視線にプッと吹き出しそうになった。
「ほら、良かったらこれも食えよ」
笑いながら差し出せば、照れ臭そうにしながらも存外素直に受け取ってみせる。そんな仕草も堪らなかった。
こういう気持ちを世間では何というのだろうか――心の奥底ではもう分かっているはずなのに、認めてしまうのが怖いような気がするのは、それを失った時がきっと辛いからなのだろう。今まで考えないようにしてきた気持ちに、いずれは向き合わなければならない時が来るのだと知りつつも、今はまだこのまま曖昧な関係に甘んじていたい。切なさを振り払うように遼二は温かな紅茶を口にした。
「なぁ、遼二さ……こないだはその、ごめんな」
しっかり二つ目のケーキを食べ終えた紫月が上目遣いにそう呟いた。
「いや……あれは俺の方が悪かったんだし、お前が謝ることじゃねえよ」
「ん……」
「それより……壁、傷付けちまったみてえだな。あの後、親父さんたちに叱られなかったか?」
「ん、平気。親父もあれでサッパリしてっから。それよりお前ン方はどうだった? 休み、どっか行ったりしたの?」
「ああ、まあボチボチ……かな。お前は?」
「俺は毎日、道場の稽古に顔出してた。今日もガキんちょたちの地区対抗試合があってさ。それ手伝ってた」
そういえば剛たちがそんなことを言っていたのを思い出した。それで今日のライブも来られなかったというわけなのだ。
「地区対抗か、懐かしいよな。俺もガキん頃はお前んちの道場で空手の対抗試合に勝つ為に明け暮れてたっつーかさ。あの頃は何でも真面目にやって、我ながら勤勉だったと思うわ」
「はは、勤勉かよ」
冷やかしまじりに笑う仕草も堪らない。未だにタンクトップ一丁の薄着姿なのにも目のやりどころに困るくらいだった。
「お前、いつまでそんなカッコで寒くねえのか? まあ今日は結構な陽気だったけどよ」
「ああ……これ。そうだな、そろそろ上、羽織るか」
そうしてくれたら非常に有り難い。このままだと、ついつい妙な気を起こしそうで気が気でないのだ。
「そういや、さっき風呂入ったばっかりとか言ってたな。今日は道場の試合で汗かいたろうしな」
「あー、まあ……な」
若干しどろもどろに紫月は笑んでみせた。まさか激しい自慰で大汗をかいたからなどとは、とてもじゃないが暴露できるはずもない。しかもその”オカズ”にしたのは何を隠そう、この遼二のことを思い浮かべながら――などとは口が裂けても言えた義理でない。確かに道場の試合には手伝いで顔を出したが、それも昼過ぎには終わっていたこともこの際言わないでおこうなどと、頭の中で言い訳がぐるぐるしていた。
そんな紫月の胸中を知る由もない遼二は、飲み終えた紅茶のカップをトレイへと片付けると、
「んじゃ、そろそろ帰るわ」
そう言って立ち上がった。
「え――!?」
スウェットの上着を羽織り終えた紫月は『もう帰るのか?』というように瞳を見開いた。
「まだ早えじゃん……何か用でもあんの……?」
「いや、別にねえけど。早えっつったって、もう九時過ぎてっぞ? あんまし長居すんのも……さ。お前も朝早かっただろうし、今日は疲れただろ?」
もう休んだ方がいいというように、ポンポンと軽く頭を撫でられて、紫月はくしゃりと眉をひそめた。今まで何度も――子供の頃から数え切れないくらい遊びに来ていて、それこそ我が家のようにしていた遼二がこんなことを言い出すなんて妙だ。やはり先日の喧嘩のことが多少なりとも心に引っ掛かっているのだろうかと不安が過ぎる。そうであれば尚のこと、遼二に話しておかなければならないことがあるのを思い出して、紫月は彼の後を追い掛けた。
部屋を出て、既に玄関先で靴を履こうとしている後ろ姿に胸が苦しくなるのは何故なのか――
「な、遼二よぉ……」
「うん? 何?」
「その……用がねえなら……泊まってけば?」
――え?
遼二は驚いたように紫月を振り返った。
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