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第33話 分かり合えない二人
「どうしたの? 僕が好きなんだろう? だったら――できるね?」
髪を梳くように指を絡められて、その手で頭ごと引き寄せられて、思わずその動きに逆らわんと身体に力が入ってしまう。それを”拒否”と取ったのか、帝斗の瞳が不機嫌に歪められた。
「倫――早くしなさい」
もう一度強く頭を押さえ付けられて、倫周は無意識に顔を背けてしまった。
「会長……! こんなこと……僕にはとても……」
『無理です』と言いたいのを呑み込むようにギュッと瞳を瞑って、ガクガクと肩を小刻みにしながら震わせている。その様を見下ろしながら、帝斗は抑え切れなくなった怒りを爆発させた。
「この――嘘つきッ!」
そして、髪をむしるように掴み上げると、そのままベッドへと倫周を引きずっていき、乱暴に組み敷いた。
「会長ッ! やめてください……! こんな……」
「うるさい! 僕を好きだと言ったのは嘘なんだろう!? お前は僕を単なる”会長”としか思ってない……上級生の言うことだから……逆らうのも面倒臭いし、それなら適当に話を合わせておけばいい……そう思ってるんだろ!」
「ち……違います! 本当に……会長のことは尊敬していますし……憧れてもいます……!」
「そう言っておけば、取り敢えずは僕が満足すると思ってる……違うか!?」
「そんなことありません……! 本当に僕は……ッ」
「ならどうして僕を愛せないの!? 本当に好きならできるはずだろう! 心だけじゃなく、相手の全部を欲しいって思うのが自然だろう!?」
馬乗りになられ、まるで首を締めん勢いでガシガシと両肩を掴まれ揺さぶられて、倫周はとうとう泣き出してしまった。『やめてください、放してください』という言葉が言えない代わりに、それらの思いが涙となってあふれ出る。帝斗はそんな倫周を見下ろしながら唇を噛み締めた。
「何故……泣くの! 僕はお前を心から愛してる。何故分かってくれない――!」
激情のままに、組み敷いていた倫周のブラウスを引き裂いた。
「――――ッ!」
言葉にならない悲鳴が空を切り、抵抗で暴れた拍子に倫周の指先が帝斗の頬を引っ掻いた。
即座にミミズ腫れの筋が浮き出るほどの衝撃で、二人は一瞬互いを捉え合ったままで硬直した。まるでスローモーションのように、合わさった視線が外せない――そのまま時がとまってしまったかのように、一瞬の出来事が永遠のように感じられた。
「……ごめ……んなさい……! すみませ……会長……赦してくだ……」
赤く腫れ上がった頬の傷を見上げながら、倫周は自身のしでかしてしまったことに恐怖していた。いくら無意識とはいえ、会長の顔に傷を付けるなど、とんでもないを通り越して言語道断だ。驚愕の思いに、謝罪の言葉もままならず、歯がカタカタと音を出して鳴り出してしまうくらいに震えていた。
罪の意識と目前の恐怖に耐え切れなかったのだろう――倫周はそのまま意識を失ってしまった。
「……倫? 倫ッ――!」
腕の中でぐったりとなった身体の重みが、狂気に漂う帝斗の意識を我に返した。
「り……ん? 僕……僕はなんてことを……。こんなこと、するつもりじゃなかった……こんな……」
自身が引き裂いたブラウスの切れ端が手中からこぼれ落ちる――それと共に帝斗の褐色の瞳からも大粒の涙がしたたって、倫周の白い胸元を濡らした。
そっと、それを拭うように指を寄せ、だがあふれ出る涙は止め処なく、ボタボタとこぼれ落ちては添えた指までを濡らしていく。
「倫……好きなんだよ……傍に居てよ――何処へも行かないで……僕を――」
助けてよ――――!
まるで魂の叫びのように嗄れた声でそう懇願し、意識を失った倫周の胸にすがり付いて帝斗は泣いた。
◇ ◇ ◇
ふらふらと時計塔を降りてプライベートルームへと続く回廊をひた歩いていた。腫れた頬は熱を持ち、ミミズ腫れの筋からはうっすらと血が滲み出している。
もう授業の始まった今の時刻――中庭にも回廊にも、誰の姿も見当たらない。ふと無意識に視線を動かした先に、緑萌える大樹が映り込んだ。風が頬を撫でれば、乾いた涙が傷にしみて
ズキズキと痛みを教えてくる。朝方の濃霧が少しづつ晴れて、薄日が初夏の若葉を照らして包み込んでいる。それらをぼうっと見つめながら、帝斗は虚無の世界に生きる人形の如く、表情を失ったまま立ちすくんでいた。
そのまま一旦は会長室であるプライベートルームへと戻ったものの、ふと鏡に映った自身の顔を見やれば、とても隠しきれるような傷でないことに気付く。今日は人前に出ない方が賢明だと思った帝斗は、大きな書棚の前へと歩を進めた。そこで一番上の段の端にある一冊の本を引き抜くと、からくり仕掛けが作動して棚がスライドし、そこに地下へと続く通路が現れる。手すりに掴まるようにしながら、またしてもふらふらとおぼつかない足取りで、その階段を降りていった。
帝斗の曾祖父はこの白帝学園を作った創設者である。
粟津家の所有する広大な土地に建てられた学園は、帝斗の住む自宅と地下通路で繋がっていたのだ。距離にして軽く数キロに及ぶ程の長い道のりではあるが、ここは学園が建つだいぶ以前から通されていたらしい。帝斗が高等部に進学したのをきっかけに、改修工事を施して、粟津家の裏庭と学園の生徒会長室とを繋ぐようにしたのであった。
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