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第35話 ずれたままの歯車
当然の如く、そんなことを認められるわけもない帝斗は、断る代わりに何でも言うことを聞くからと代案を持ち掛けざるを得なかった。
元々、帝仁という男は好色で、女遊びも派手なことで知られていた。大財閥である粟津の名を傘に、方々で好き勝手を繰り返し、親族の間でもすこぶる評判の悪い男だった。彼は帝斗の父親の兄に当たる人物――つまりは帝斗の伯父になるわけだが、その長男である。故に、本来であれば粟津グループを継ぐ次世代のトップは、この従兄になるはずだった。だが、誰の目から見てもその器がないとされていた彼は、こうした後継候補からも外されてしまっていた。
帝斗の父親は粟津家の長男ではなかったが、敏腕で頭も良く、企業経営は無論のこと人望も厚かった。親族の間でも一目置かれていて、株主たちからも信頼があり、満場一致で粟津グループのトップとして君臨していたのだった。そして、帝斗もまた、幼い頃から品行方正で学業成績は文句なしの優良児だ。いつしか粟津の後継は帝斗がいいだろうという噂が広まり、今ではすっかり財閥トップの家柄というのが定着していた。
そういった扱いに対する反抗心もあったのだろう、帝仁という男は、ますます褒められない行動を取るようになっていった。帝斗もその被害者の内の一人で、前々からこの男に執拗なちょっかいを掛けられており、あわよくば肉体関係をも迫られるような重圧に精神を削られる日々が続いていた。八つも年上の彼をあからさまに邪険にも扱えず、かといって両親にも相談できずに困り果てていたというのが現状だった。
今までは何とか理由をつけてかわし続けてきたのだが、倫周を遊び道具にしたいと言われて、遂に逃げ道を断たれた状況に陥ってしまったというわけだ。
彼に”手を出すな”というのなら、代わりにお前が俺の玩具になれ――と、そう強要されて、苦渋の決断を迫られた。だが、そんな条件を呑めるはずもない。帝斗が思いあぐねていると、終には粟津家の後継を譲るようにと迫ってきた。
やはり目的はそこか――帝斗はそう思った。幼い頃から何かにつけて弄られ、嫌味を言われからかわれ、会うのも嫌になるくらいのしつこい苛めを受けてきたのも、結局は粟津のトップの立場が欲しかったというわけだろう。即答できずにいる帝斗に、昨日は一旦引き下がったものの、今日もまたこうして嫌がらせをする為に出向いて来たというわけだ。
これから毎日のようにこんなことが続くのだろうか。帝斗は疲弊しつつも、誰も寄り付かないこんな場所に潜んだことを酷く後悔していた。
◇ ◇ ◇
帝斗が倫周に惹かれた理由は、実にこの従兄から逃げる為に疲弊していたことと深く関係していたといっても過言ではない。
初めて倫周の存在を気に掛けたのは、帝斗が中等部の三年生になったばかりの春のことだ。この時、倫周は新一年生として白帝学園に入学し、たまたま見掛けたその新入生に帝斗は強く興味をそそられたのだった。
一見にして周囲の目を引き付ける美しい顔立ちもさることながら、それ以上に惹かれたのは倫周の持つどこか寂しげな雰囲気だった。容姿の点では不満を言ったらバチが当たりそうなくらいに整っている上に、白帝学園に通えるくらいだから家柄も裕福だろうといえる。他の生徒らがそうであるように、ここ白帝に通う学生たちは、皆それぞれ何らかの自信に満ちた者が多い。例えば親が大会社を経営しているだとか、代議士であるとか、或いは幼い頃からの教育の賜物で、特技があるとか抜きん出た素養が備わっているとか。個々それぞれではあるが、どこそこ自慢げな生徒が多い中にあって、倫周の独特の翳りを帯びた雰囲気は逆に目を引かれるに充分だった。
いつか声を掛けてみたい。知り合いになりたい。親しくなりたい。そうした強い思いが、次第に帝斗の中に芽生えていったのだった。
だが、学園創設者の曾孫であり、大財閥という家柄の帝斗にとって、一下級生に目を掛けるという行為は、言うほど容易いものでもなかった。何かにつけて注目を浴びることを避けられず、行動の逐一を追い掛けられているような立場にあった帝斗は、付き合う友人ですら周囲からは興味の対象となってしまう。同級生ならばまだしも、見知らぬ下級生に気軽に声を掛けたりしようものなら、その相手もまた皆の目にさらされることになってしまうことを帝斗は嫌と言うほど知っていた。
高等部に上がり、いずれこの白帝学園において絶対的権力を駆使できる生徒会長という立場になった時には、堂々とあの下級生に声を掛けられるだろうか――来る日も来る日もそんな想像を胸に抱いて過ごしてきた。待つ時間が長かった分、帝斗の倫周に対する思いは募っていったのだった。それは確かに好意であるに違いはなく、だが単にそれだけとは言い難い感情が沸々と帝斗の心を掻き乱す。まさに恋であった。
一方、そんな帝斗の気持ちを露知らずの倫周は、高等部に上がるなり生徒会長側付きという名誉な役に抜擢されたことに戸惑う日々を過ごしている。言うまでもなく周囲からは羨ましがられ、それらは次第に嫉妬や憎悪という醜いものへと形を変え、クラスメイトたちからも敵視されるようになっていった。
嫌がらせは日を追う毎にエスカレートし、何故自分がこんなに大それた役をもらってしまったのかと困窮する。帝斗のことは決して嫌いというわけではなかったし、真摯に好意を打ち明けられたものの、同性同士で恋愛感情を持つこと自体にも不安感を捨てきれない倫周にしてみれば、すべてが重苦しいものとしか映らない。ましてや肉体関係ともなれば尚更だ。
今の二人は、例えるならば、噛み合わないままの歯車を無理矢理回そうとしているような、そんな危うい関係だった。
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