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第38話 抗えないもの

「さ、倫周。こちらへお入り? ”お父さん”の大切なお客様を紹介しよう」  連れて行かれたのはいつもの和室だった。洋館の母屋とは真逆の趣きで造られた、純和風のひっそりとした離れ部屋である。周りを高い木々に囲まれているこの棟は、いわば秘め事には打って付けと思えるような妖しげな建物だ。 ◇    ◇    ◇  倫周はその飛び抜けた容姿を買われて、度々この伯父の客の宴席に引き合いに出されたりしていた。つまりは酒の席での相手をさせられるのである。  伯父は自営で、そこそこ名のある真っ当な会社を経営していたが、裏では表沙汰に出来ないようなことにも手を染めている腹黒い男であった。それ相応の客の接待の為に、この離れを造らせたようなものだ。  今宵の客というのも、きっと自分を舐めるように見ては次第に酒の力に任せて不埒な類いのことを言ってきたり、或いはそれらがエスカレートすれば身体を触られたりするのだろう。実に倫周の翳りある独特の性質は、こんなことを頻繁にさせられるせいで出来上がってしまったといっても過言ではなかった。  倫周は幼い頃に両親を亡くしていて、その後、金銭だけは余裕のあった母方の伯父の下に引き取られて育った。以来、確かに生活していく上での苦労はなかったし、伯父は表面の当たりだけはやさしく接してくるものだから、幼い倫周にとってはたいへん有難かったし、心から感謝もしていたのは嘘ではなかった。だが成長し、年頃になると、いつの頃からかこんなふうな宴の席に連れ出されるようになっていった。頼みに思っていた唯一の肉親から望まない不埒な扱いを受け続ける内に、次第に心を閉ざすようになってしまったのである。 ◇    ◇    ◇  裏口から母屋を出ると長い渡り廊下が見えてくる。その先には木々に囲まれた庭園――何度この景色の中を重たい気持ちで歩いただろうか。  此処へ来る客たちは伯父と同じく、金には困っていない。色と欲の遊びに関しても不自由しているふうでもないのだが、”少し翳りを持った美少年”という珍しい玩具に、こぞって興味を示すのである。いわば玄人の女性に大金をつぎ込んで気を遣うよりも、純真無垢な美少年を好きにできるということに惹かれるわけだろう。倫周はまさに彼らの獲物だった。伯父にとって甘い汁を持ってくる客人たちへの報酬というわけだ。  最初は酒の席で客人方の隣に座り、酌をしたりするだけだったのが、次第にエスカレートしていき、今では身体を触られたりするのは当たり前になっている。さすがに色を売るところまでは至っていなかったが、酔ってくるとそれに近い変態まがいのことを要求する客もいて、だから倫周はほとほとこの宴席の相手をさせられるのが嫌だった。  それでも客が帰ると伯父は済まなそうに謝ったりするものだから、倫周にしてみれば、育ててもらっている感謝の気持ち代わりとでもいおうか、この嫌悪感にも耐えてきたのである。  表面だけはいつも優しげで済まなそうにする伯父には、到底不満など口にすることもできない。こんな環境は、いつしか倫周から自我を伝える術を奪っていったのだった。  故に学園生活の中に於いても、友人たちとの交流も今ひとつ儘ならずに、ただおとなしくさえしていれば自分に危害が及ぶこともないだろうといったふうで、傍から見れば少々奇妙な性質の持ち主のように映ってしまうのは仕方のないことであった。  そして今宵も又、望まない宴の席に引き出されるのだ。先刻から邸の当主である伯父自らが、玄関口に迎えに出てまでハラハラするように待っていたのはそんなことの為だ。  『今日はとても大事なお客様でね?』――普段よりも一際やさしげな低姿勢で、伯父がそう言う時は、大概いかがわしいことに発展するのが決まりごとだった。  倫周は帰宅後すぐに風呂に入れられると、繕いのよい服をあてがわれ、だが、お愛想笑いに瞳をこの上なく細めた伯父が差し出したその着物を見た瞬間に、形のいい眉をひそめた。  艶やかな柄の大振袖に真っ赤な襦袢、まるで女物に他ならない。  よほど怪訝そうな表情をしていたのだろうか、傍で様子を窺っていた伯父は、苦そうに笑いながらも、フンと鼻を鳴らしてみせたのだった。 「解っているね、倫周。今日のお客様は本当に大切な御人なんだ。くれぐれも失礼のないように振舞うのだよ? そうしないと……先程も言ったけれど、お前の学費などを……」  そこまで言い掛けて、一旦はバツの悪そうに咳払いをし、そしてこう続けた。 「伯父さんもあまりしつこく言うのも嫌なものでね? さ、解ったらボヤボヤしていないで早く支度をおし。お客人が離れで首を長くしてお待ちだ」  致し方なく、重い心のまま言われた通りに着物を纏うと、伯父に引き摺られるようにして蒼白い顔で離れへと向かったのだった。

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