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第39話 身の毛もよだつ宴の時
「どうも社長様、お待たせ致しまして――」
細めた瞳がなくなるのではないかという程の愛想笑いを繕った伯父が、客の機嫌を取っている。倫周にとっては最も嫌な時間だった。これから二時間、或いは三時間、又はそれ以上か――この客の側について酒を勧めなければならない、そう思うと酷く憂鬱だった。本来であれば、今頃は帝斗に謝りに行っているはずだったのに――それを思えば余計に気持ちが沈んだ。
ふと覗いた和室の奥には見るからにいやらしそうな中年の男がどっかりと腰を下ろしていて、部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に身のすくむような嫌悪感が襲い来た。当然の如く快い挨拶の言葉など出てくるはずもない。
――が、そんな態度は往々にして相手に伝わってしまうものだ。客は倫周を見た瞬間にほんの一瞬躍ったように身を乗り出したが、すぐにその翳った表情を目にして、苦笑まじりに嫌味を漏らしてみせた。
「これはまた――何ともご殊勝なご子息で。私はあまり歓迎されていないように思えるのは勘違いかな。ご当主さんから聞いていたお話とは随分と違うようだ」
不機嫌を隠さずといった調子で皮肉たっぷりにそう言い放つ。伯父は慌てて倫周の手を引き寄せ耳打ちをした。
「バカっ、何て顔をしておいでだい! お前は挨拶のひとつもロクにできないのかい!」
そして再び客の機嫌を取り繕うように猫撫で声を出すと、
「まったくもって不出来な愚息でございまして。何ですか、今日は学園の乗馬倶楽部で落馬したんだとかで、それで少々気分が優れないのでございましょう。本当に申し訳ないことで――」
頭を擦り付けん勢いで慌てて謝罪の言い訳を口にした。すると客の男は少々機嫌を取り直したのか、
「ほう、落馬とな? 乗馬倶楽部をなさっているのだね? それは大そうなことだ。では大事にしないといけませんなあ。はははは!」
そういって豪快な笑いと共に機嫌が直ったのを見て取ると、伯父はホッと胸を撫で下ろし、更に甘い汁を差し出そうとでもいうわけか、信じられないようなことを言ってのけた。
「は、まったく失礼な愚息でお恥ずかしい限りでございますよ。こういう子には少々躾が必要でございますな? 如何でしょう、この際、社長様にお仕置きをしていただいて人生のお勉強をさせていただくというのは――?」
これには倫周もギョッとしたように伯父を振り返った。だが客の方はその提案を聞いて気をよくしたのだろう、
「――ほう? 仕置きとな?」
ふと見上げた先に、舌なめずりをするようにいやらしい笑みを浮かべた男の表情が倫周を硬直させた。
「あ、あの……お父さん……」
小声で隣の伯父に目配せをするも、全く聞き耳持たない様子である。それどころか、
「これ以上失礼なことをおしでないよ」
厳しい表情で密かに耳打ちをすると、
「では社長様、どうぞよろしく躾けてやってくださいませ」
媚びに媚びた猫撫で声でそれだけ言い残し、倫周を部屋の中央へと押しこくって、有無を言わさずピシャリと襖を閉めて立ち去ってしまった。
そうして二人きりになると、客の男は満足そうに手にしていた酒の杯を飲み干した。膝を立て、ゆっくりと畳を這いずる感じでにじり寄って来る様子に言葉は詰まり、ともすれば喉元が焼けるような痛みさえ感じながら、倫周はただただ身体を固くして緊張しているしかできずにいた。
「ご当主も粋な計らいをしてくれる」
ククク、と声をこらえて笑う様子は下卑てこの上ない。どうせまた身体を触ったり、品のないことを連発されたりするのだろうということを想像しながら、如何にそれらを上手くかわそうかなどと焦っていたが、近寄るなりいきなり肩を抱き寄せられてギョッとしてしまった。
「さて……と。キミは男の子だろう? こんな女物の着物なんかを着て、随分とまたイタズラな趣味をしているね? それともこれがこちらさんのもてなしのスタイルなのかね? どちらにしてもこんな格好をされていたんでは、私としてもあまり喜ばしい気分ではないね」
言っていることとは正反対のいやらしい目つきでジロジロと舐めるように見られては、ついぞ着物の裾を捲り上げたりして欲望を剥き出しといった男の調子に、益々身の固くなる思いでいた。
「おや、赤い襦袢なんてつけているのかい? これはまた――私を馬鹿にしているとしか思えないね。君の親御さんも何を考えているんだか、こんな格好で持てなされて喜ぶような人間に見られていたかと思うと少々胸くそが悪いね。私も低く見られたものだ、はははは!」
伯父のものとはまた異種であるが、この客人という男の吐息も酷く鬱陶しく、要は悪臭でしかない。そんな息を興奮に乱しながらのしゃべくりなど、聞くことは無論、側に寄られるだけで身の毛がよだちそうだ。
「だがまあ……しかし、せっかくの接待のお気持ちを辞退してご当主さんに恥をかかせてもいけないね? 品のない持てなしだからといって、突っ返すなんていうのはかえって失礼だからね。私は心の広い人間なんだよ。それにまだ若いキミに世間を教えてくれとまで頼まれたわけだし……あまり気は進まんが、年功序列ということもあるからね。お言葉通り、キミに”躾”のひとつもして帰らなくては申し訳ないだろう」
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