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第40話 断崖絶壁

 男はベラベラと言い訳を並べ立て、下卑た含み笑いを漏らしながら好き勝手にこう続けた。 「じゃあ先ずは何から教えてあげようか。そうだね、初めて客人に会った時は大きな声で挨拶をする、こんな当たり前のことが君には出来なかったね? さっき私と会った時、ロクな挨拶も出来なかった。しかもこんな格好で人前に出るなんて、やはり小馬鹿にしているとしか思えないね? 男の子なのに女の召し物を羽織るだなんて……あまり感心できんことだ。こういう格好をしているとどうなるかってことを教えてあげるのが賢明だろうねぇ」  言葉とは裏腹に声が逸り、息も荒くなっているのが分かる。生温かい吐息と下品な会話、すべてが嫌で嫌で仕方なくて、悪寒が全身を這いずるようだった。  これ以上、側で舐め回されるように見られているのは堪らない。何とか話題を反らそうと、倫周はか細い声で懸命に食膳を勧めようとした。 「あ……の、お客様……。よろしければお食事を召し上がってください……う、うちの料理人の自慢の……」  声が震えて上手く言葉にならない。それでも倫周は懸命にそう訴えかけた。が、男の方はそんなことは右から左だ。全くもって聞く耳を持たないふうである。  倫周の華奢な足先がぐいと掴まれたのはその時だった。男は初老とは思えないような機敏な動きで倫周を引き摺り倒し、覆い被さると、畳の上で彼を仰向けに押し倒した。 「お、お客様……! 何を……なさるんです……っ!」  まさかの事態に倫周は蒼白となった。今まで遠慮がちに身体に触れたりしてきた客はいたが、こんなに堂々と早急な展開というのも初めてだったので、すぐには抵抗の言葉も詰まって出なかった程だ。信じられないことに男は帯にまで手を掛けると、逸った手つきでそれを解こうとした。  だが女物の着物だ。なかなか解けないそれを弄る手付きは、思うようにならないのが憤るのか、癪に障ったように荒々しい。男はふぅふぅと息を荒立てながら、やっとのことで帯を緩めきると、着物の袷を乱暴に開き、中の襦袢の腰紐を考えられないような強引さで引き抜いた。 「や、やめてくださいっ! ……お客様っ!」  焦りと驚きに震えながら、倫周は必死に身を捩った。だが男は手にした腰紐で倫周の華奢な両腕を括り上げると、部屋の隅の柱まで紐ごとズルズルと引っ張って行って、そこへ張り付けにするように彼の両腕を括り付けた。まるで畜生を扱うような非礼さである。そして更に鼻息を荒げながら、暴れて開けた襦袢の裾を割って、腹の上へと馬乗りになってきた。 「嫌っ……! やだっ……どいてっ……! ……放してっ……てば!」  もはや敬語など使っている余裕はなかった。声が裏返る程に叫びながら畳の上で暴れれば、不本意なことに襦袢はますます乱れ、肌が露になってしまう。馬乗りになっている男の興奮した臭い息と荒い鼻息に吐き気までもが催すようだった。  如何に帝斗と肉体関係の経験があったとはいえ、こんな見も知らぬ欲情剥き出しの中年男相手では話が違う。尊敬や憧れの念がある帝斗とだって戸惑いや躊躇いがなかったとはいえないというのに、同じことをこの男にされるのだと思ったら、血が逆流するような嫌悪感で身体中に鳥肌が立った。  嫌だよ、こんなの――! 助けて、帝斗……! 帝斗――!  思い浮かぶのは自らを優しく抱き締めた帝斗の姿だった。  バリ島の宵凪の中で、『お前が好きなんだ』と云ってくれた帝斗。申し訳なさそうにしながらも、身も心も繋がっていたいんだと打ち明けてくれた帝斗の切なげな表情が思い浮かべば、まさに身も心も彼のことであふれかえっていく。今朝方に時計塔で受けた強引な仕打ちとて、今は至福に思える程だった。 (僕はバカだ――帝斗があんなに想ってくれていたというのに――!)  そう、いつだって帝斗は優しかった。強引な中にも溢れんばかりの愛情を示してくれていた。  彼の顔を思い浮かべながら、抑え切れなくなった涙がボロボロと頬を伝う。顔前では人の皮を被った醜い男が、でっぷりと肉の付いた頬を茹で蛸さながらに紅潮させて興奮している。 「ふぅ、うー、おー……」  言葉にならない荒い息を吐きながら、ニヤける男の顔が化け物に見えた。 「た……堪らないねぇー……! キミは綺麗な肌をしているねぇ……これからたっぷりお仕置きをしてあげるからね! 先ずはどうしようか? ここ――君のいいところを見せてもらおうかな?」  乱暴に押さえ込んだり着物を剥いたりしたせいで、ゼィゼィとしながら男の口からは涎までもが溢れ出て、ぶくぶくと泡を吹いていた。 「ぐ……ふふふふ……下着は普通のものなんだね? どうせなら褌の紐を解いてみたかったよ。ああ、でもやわらかくて如何にも初な感じが堪らないよ。君はオナニーとかしたことはあるのかい? どうやってしてるのか、おじさんに見せてくれないかい?」  その言葉と共に下着の上から性器を撫でられた瞬間のことだった。 「嫌ーーーーーーッ!」  あまりの汚さと嫌悪感に、倫周は絶叫し、無意識の内に男を蹴飛ばしていた。

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