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第44話 不安な一夜

「あんまり想像したくはねえが、この子は誰かに虐待のような目に遭わされてるんじゃねえかと思ってな」 「虐待!?」  遼二も紫月も驚いたように瞳を見開いた。 「それもただの虐待じゃねえような感じなんだ」 「……ただの虐待じゃないって……どういう……」 「――ん。身体中にある内出血は、おそらく殴られたか蹴られたかで付いた痕に間違いねえんだが……それとは別にこの子の内股――太腿の付け根辺りに引っ掻かれたような傷跡が複数見つかってな。つまり、俺の思うに性的な虐待を受けているかも知れねえってことだ」  医師のおやっさんの説明に、二人は一瞬絶句した。  それが本当であるならば、やはりこの男は紫月が幼い頃に出会って助けたという、指輪をくれた子供――という線が色濃くなってくる。しかも、今現在に至っても同じような目に遭い続けているということになる。遼二はもとより紫月も、絶句状態を解けないままで押し黙ってしまった。 「まあとにかく……精神的なことは別として外傷の処置はしておいた。彼が目覚めて何かあれば、夜中でも全然構わねえから遠慮せずに声掛けてくれ。一応、湿布薬と鎮痛剤は置いていく。痛みが酷いようなら飲ませて構わないが、先ず俺を呼んでくれればいいさ」  おやっさんはそう言って、隣の医院へと帰っていった。  残された遼二と紫月は、遠慮がちに互いを窺いながらも言葉少なだ。おやっさんから聞かされた衝撃の現実に、何と言っていいやら戸惑いは深まるばかりである。  先に口を開いたのは遼二の方からだった。 「なあ、ほんとに見覚えねえのか?」  ベッド上の男を横目にしながらそう問う。 「ん……正直、分かんね……ってのが本音。ツラとかも思い出せねえし……」 「そっか……。そういえば、指輪持ってきたか?」  紫月にメールで知らせた時に、念の為、例の子供からもらった指輪を持って来るように伝えておいたのだ。 「ああ、うん持ってきた。これだけど……」  紫月は胸ポケットから指輪を取り出すと、遼二へと手渡した。  寝ている男の掛け布団をそっとまくり上げて、起こさないように指先だけを確認する。 「間違いねえな、そっくり同じ形だ――」 「ならやっぱり……」 「こいつが……お前の捜してた野郎ってことになるな」 「…………」  無言のまま、互いを見つめ合った。 ◇    ◇    ◇ 「なぁ、遼……」 「うん?」 「悪かったな、その……まさか本気でこいつを捜しに歩き回ってくれてたなんてよ……剛と京にまで世話掛けちまって……何て礼を言ったらいいか……上手く言えねんだけど……感謝してるよ」  ポツリポツリと、紫月は言葉を選ぶようにそう言った。 「ん、いいさ。俺もどんなヤツなのか見てみてえ……って思ってたからよ」 「そっか……。ほんと、マジで済まねえ……てか、さんきゅな」 「構わねえさ。それよかお前、風呂はもう済んだって言ってたよな?」 「ああ」 「んじゃ、俺ちょっくら浴びてくっから! もしもこいつが起きたら、よろしく頼むわ」 「ん、分かった。ゆっくり浸かって来いよ」  今夜は紫月もここへ泊まり込むつもりである。遼二の母親が用意してくれた二組の布団が部屋の隅っこに畳んであったので、なるべく音を立てないように気遣いながらそっと敷き終えると、遼二が風呂から上がってくるのをおとなしく待つことにした。  それから三十分足らずで遼二が戻ってきたが、男は相変わらずに夢の中のようだ。 「まだ目覚まさねえ?」 「ああ、ウンともスンともだ。寝返りさえ打たねえから、安定剤が効いてんのかもな」  部屋の掛け時計を見れば、とっくに日付けが変わって、既に夜中の一時に届きそうだった。 「布団、敷いてくれたんだな。さんきゅな」 「ん、おばさんにわざわざ用意してもらっちまって……何から何まで済まねえな」  いつもなら、遼二は自分のベッドで寝るし、一応来客用にと一組だけは押し入れに置いてあるから、それを引っ張り出して雑魚寝するのが普通である。まあ、遼二のベッドはダブルサイズなので、紫月が一人で泊まりに来る時は、大概彼のベッドで一緒に眠ってしまうわけなのだが――今日は怪我人もいることだしと、母親が気を遣ってもう一組を用意してくれたのだ。 「こいつ、目を覚ましそうもねえな。もうしばらくは熟睡かもな。俺らもそろそろ寝っか」 「……ああ、うん。そうすっか」  しかし、八畳一間にダブルベッドが幅を取っている上に、布団を二組敷いたらさすがに狭い。ローテブルやらゴミ箱やらを隅に片付けたものの、足の踏み場もない程である。 「狭いけど勘弁な?」 「いや、全然」  遼二は静かに部屋の灯りを落とすと、二人はそれぞれの布団へと潜り込んだ。  朝になって、連れ帰った男が目を覚ましたら、いろいろと酷な現実が待っているだろう。紫月は覚えていないと言ったが、この男の方では紫月のことを覚えているかも知れない。  それに、何といっても揃いの指輪を見せれば当時のことを思い出すだろう。二人の間では懐かしむだろうし、今現在、彼がどういった境遇にあるのかも知ることができるだろうか。怪我の原因も気掛かりだし、明日は朝一番から何かと忙しなくなりそうだ。  遼二は隣の紫月へと身体を向けると、そっと手を伸ばし、頬に触れた。 「な、紫月――もっとこっち寄れって」  トーンを控えた低い声が暗闇の中で甘やかに、少しの切なさを伴いながらそう呼んだ。

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