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第51話 平穏な日々への憧れ

「今夜から紫月君ちの道場に泊まるんだってね? お風呂はどうする? ウチで入ってから行ってもいいのよ」  遼二らは登校してしまっている為、昼間は彼の母親と二人きりである。遼二とは正反対というくらいに素直で可愛らしい倫周のことがすっかり気に入ってしまったのか、遼二の母親は紫月の家へやってしまうのが惜しいくらいの顔付きをしてみせる。倫周はそんな心遣いが有り難かった。二人で軽く昼ご飯を終え、その片付けなども一緒に手伝ったりと、既に家族も同然である。 「倫ちゃん、パジャマとか着替えとか、持って行くものここに詰めておいたからね」  大きな紙袋二つ分もある荷物を見せられて、倫周は驚いてしまった。予定では二日ばかり紫月の家に厄介になったら、またここに戻ってくることになっているのだが、すっかり我が子のように世話を焼いてくれる遼二の母に、本当にあたたかいものを感じて、目頭が熱くなる思いでいた。  その後、分別ゴミで出す古新聞などの仕分けをしながら過ごした。今日は朝から見事なほどの五月晴れだったというのに、午後になって少しづつ雲が出てきたようで、早めに洗濯物を取り込みに掛かる母親を手伝っていた。 「すっかりお手伝いしてもらっちゃって悪いわねぇ。うちの男連中ときたら、こういうことはめっきりだから、おばさん感激だわ。本当にありがとうね」  倫周は、とんでもないといったふうにブンブンと首を横に振り、恥ずかしそうに頬を染めて微笑った。 「あら! とうとう降ってきちゃったわ。ありがとう倫ちゃん、雨降る前に取り込めて助かったわ」  軒下から空を見上げれば、ポツポツとした雨粒がほんの一、二分の内にザーザー降りとなってしまった。 「あの、おばさま。遼二君たちは傘持って行ってないですよね?」 「え? え、ああ、そうね。今朝はいいお天気だったからねぇ」  日頃は『おばさま』などと呼んでくれる者は皆無だから、遼二の母親はしばしポカンと口を開けてしまった程だ。 「あの、それじゃあ僕、傘を持って遼二君たちを迎えに行って来ます」 「え? でも……道は分かるの? 倫ちゃん、横浜でしょう?」  この辺りの地理に明るくない上に、こんな土砂降りだ。倫周一人で行かせるのは少々不安だというふうな表情の彼女に、倫周は明るく微笑んだ。 「大丈夫です。お台所に貼ってあるこの辺の地図で学園の場所はだいたい分かりますから。ここから歩いて十五分くらいでしたよね?」 「ええ、まあ道は分かりやすいとは思うけど。でもこんな大降りだもの、倫ちゃんが濡れちゃうわよ」 「でも遼二君たちには本当にお世話になっているし……僕も何かお役に立ちたいんです」  そんな倫周の気遣いが有り難くて、遼二の母親は申し訳なさそうにしながらもにっこりとうなずいた。 「そう? それじゃあ、お願いするわね。倫ちゃんは大きめのこっちの傘、お父さん用のこれをさして行って。大きいから少しでも濡れなくて済むわ」 「ありがとうございます! じゃあ、行って来ます」  母親から遼二と紫月の分の傘二本を受け取ると、倫周は生き生きとした表情で四天学園へと向かったのだった。 ◇    ◇    ◇ 「んと……確かこの通りを右だったよね。……っと、一度駅前に繋がる大通りに出た方が分かりやすいかな」  独り言を言いながら雨の中を小走りで急ぐ。見知らぬ街で一人、見知らぬ景色の中を目的に向かってひたすら歩く様子は、初めて行く”子供のお使い”ではないが、まさにそれに近い感じだった。  そしてアーケードのある通りまで辿り着いて一息つく。雨は先程よりも若干小降りになってはきたが、まだまだ音を立てて降り続いている。 「急がなきゃ……!」  倫周は今一度、現在地を確認しようと立て看板の地図を探してキョロキョロとしていた、その時だった。 「お! ちょうどいいところに傘見っけ!」 「ホントだ。おい、お前! ちょーっとそれ貸してくんない?」  突如数人の学生に囲まれて、ビクリと肩を震わせた。  見れば、遼二らの黒の学ランとは別の、灰色のブレザー姿の男たちがぐるりと自身の周囲を取り囲んでニヤニヤと笑っている。まさにガラの悪いという言葉がぴったりなほどの雰囲気の男たちだ。 「お前一人でそんなに何本も必要ねえだろ? 俺らが使ってやっから、それ貸しな!」  男らは引ったくるように倫周の手から傘を奪おうとした。 「ちょっと……待ってください! こ、これは……僕の友人の為のものなので、返してください……!」  必死になって傘を守ろうと胸の中へと抱き抱える。男たちはそれが気に入らなかったのか、ニヤついていた表情を瞬時に強張らせると、脅すように顎を突き出しながら威嚇してよこした。 「ああッ!? てめ、舐めてんじゃねえぞ! いいからおとなしくそれ出しな!」 「クソ生意気なガキだな? 痛え目見たくなかったら、さっさとよこせ、グォラ!」  少々ドスの聞いた声音で矢継ぎ早にそう言われて、倫周は蒼白となり、うつむいてしまった。  ガタガタと膝が震えて、声も出ない。白帝学園でも嫌がらせを受けてはいたが、それとはまた質が違うこんな脅され方に、うつむいたまま顔も上げられないほどだった。

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