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第52話 四天と桃陵
そんな様子に別の意味で火が点いてしまったのか、男たちは面白がって倫周の足に軽く蹴りを入れたり肩を突いたりし始まった。
「何、こいつ。震えてやがるぜ」
「面白れえ。ちょっと可愛がってやっか!」
「だな。俺らにゃ、余ってる傘も貸せねえってらしいから? ちっと遊んでやろうぜ」
男たちが調子づいた――その時だった。
「おい、お前ら、そこで何してやがる――」
一見穏やかだが芯の通った低い声が後方から聞こえた。
「ゲッ……! やべ! 氷川だ」
誰かがそう呟いたと同時に、自らを取り囲んでいた男たちが蒼白となるのを感じて、倫周はおそるおそる顔を上げた。無論、周囲の男たちが本当に蒼白となったのを見たわけではないのだが、雰囲気でそう感じられる程、ビリビリとした空気が伝わったのが分かったのだ。
今の今まで自分を突っついたり威嚇したりしていた彼らが一瞬で輪を崩して、その声の主の為に道を空けんとばかりに硬直する。”氷川”というらしいその男は、どうやら彼らにとって一目置く相手のようだ。
「たった一人を大勢で囲んで――カツアゲでもしてたってわけか?」
ジロリと睨みをきかされて、男たちはますます青ざめながらも、彼の機嫌を取ろうというわけなのか、タジタジとおどけて見せた。
「まさか……! ンなことするわきゃねって」
「そうそう、俺らはただ……こんガキ……じゃなかった、この子が傘を余分に持ってるようだからー、良かったら貸してくれねえかなって頼んでただけで……」
互いにうなずき合いながら、何も悪いことなどしていませんとでも言うように、言い訳を口にする。だが、”氷川”はハナからそんなことは信じていない様子で、ますます鋭い目つきで彼らを見渡すと、その視線だけで一喝してしまった。まるで今すぐに「散れ!」とでもいうように、軽く顎をしゃくっただけで男たちは気もそぞろだ。
「えっと、あー、そうそう! 俺ら、これからゲーセン寄ろうかって話してたんだったな!」
「そうだそうだ、忘れてた。そんじゃ、そろそろ行こうか……?」
男たちは、まるで逃げるようにソソクサとこの場から散っていった。
「大丈夫か?」
そう声を掛けられておずおずと彼を見やれば、えらく長身の鋭い目つきの男が申し訳なさそうに覗き込んでくるのに、思わず赤面させられてしまいそうになった。
薄灰のブレザーにからし色のタイ――逃げていった男らと同じ制服だが、雰囲気はまるで違う。先程の連中のようなチャラけた感じは微塵もなく、漆黒の髪をゆるくバックにホールドしていて、彫りの深く切れ長の瞳は珍しい濃灰色が美しい。が、眼力は鋭く、精悍なイメージだ。そして、長身だと思っていた遼二や紫月よりも僅かに上背もあり、何より思わず見惚れてしまうくらいの整った顔立ちに、倫周はしばし返す言葉も詰まらせてしまった程だった。
「学園の連中が悪さをしたみてえで――済まなかったな。どこも怪我はねえか?」
そう問う声は、外見の鋭さとは裏腹にそこはかとなくやさしげだ。
「だ……大丈夫です。あの、助けていただいて……ありがとうございました」
倫周はモジモジとうつむきながら礼を述べた――その時だ。
「お前、倫周? 倫周じゃねえか。そんなところで何してる?」
聞き慣れた声の主は遼二であった。見れば紫月も一緒で、他には彼らの友達と見られる男が二人ほど連れ立っている。黒の学ラン姿の男たちが四人でこちらに近付いてくるのが分かった。
倫周は、氷川という男の背に隠れるような位置にいた為、ひょっこりと顔を出すようにして、パッと表情を輝かせた。
「遼二君! 紫月君も――!」
倫周のホッとした様子に、氷川というらしい男も彼らを振り返った。
その瞬間――ほんの僅かだが双方の間に緊張のような雰囲気が走ったのが分かった。
最初に口を開いたのは遼二だった。
「お前――氷川? 桃陵の氷川だろ?」
何故そいつと一緒にいるのかといったように、倫周とを交互に見渡しながら怪訝そうに眉をひそめている。遼二に同じく紫月も険しい表情だ。連れの二人に限っては、少々顔面蒼白といった調子で、如何なお坊ちゃん育ちの倫周にでも緊張具合が手に取るようだった。
まさに一触即発という言葉がぴったりの――そんな雰囲気である。
「あの……! あのね、遼二君。実は僕、今……この方に助けていただいたところなんだ」
倫周は慌てたようにしてそう説明した。
「助けてもらった――?」
どちらかといえば表情の起伏が薄いというか、悪く言えば愛想があまり感じられない紫月についてはともかく、遼二の方は出会った瞬間から取っつき安くて気さくな性質だと感じていたのだが、その彼があまり笑顔を見せずに少々険しい表情を崩さないことが不思議に思えてならなかった。
もしかしたらこの氷川という男と遼二らの間には、あまり良好とはいえない何かがあるのだろうか――そんなふうに思えてしまったくらいだ。
こういった睨み合いなどには慣れていない倫周は、彼らの間に流れる何とも言い難い空気にオタオタとしてしまうくらいだった。
そんな様子を読み取ったのか、この異様な対峙状態を崩したのは氷川という男の方からだった。
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