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第54話 久しぶりの――

 一旦は遼二の家へと帰ったものの、その晩からは紫月の道場で厄介になることになっていた倫周は、遼二の母親が用意してくれた荷物を持って夕刻には家を出た。今日の夕飯は紫月の家でと言われている。 「遼二、あんたも一緒に紫月君ちに泊まるんでしょ? 着替えとか、ちゃんとしたのを持って行ってちょうだいよ。間違っても穴の開いた靴下なんか穿いてかないでよー!」 「んな、今更気取るでもねえだろ。あいつん家は自分家みてえなもんなんだしよー」 「何言ってんの! みっともないからちゃんとしてってちょうだいよ!」 「ああ、はいはい! 分かってるっつの!」  母親がこまごまとうるさく言うのをあしらいながら、遼二は倫周を伴ってそそくさと道場へ向かった。紫月の家はワンブロック離れた真後ろといっていい所だから、歩いてすぐだ。  道場に着くと、紫月の母親が喜々とはしゃいで迎えてくれた。 「いらっしゃい! あなたが倫周ちゃん? まあ、何て可愛いのかしら!」  この家では普段稽古に通ってくる子供たちの出入りも多いので、他人が来るのは慣れっこらしい。 「遼ちゃんもいらっしゃい! 今日は遼ちゃんと紫月の好きなハンバーグにしたのよ! 倫周ちゃんもハンバーグは好きかしら?」  気さくに微笑み掛けられて、倫周はポッと頬を赤らめた。遼二の母親もそうだったが、この紫月の母という女性もかなり若々しくて、その上とびきりの美人である。この親にしてこの子ありというべきか、さすがに美男子揃いの遼二と紫月の親だなぁなどと、変な感心が湧いてしまったほどだった。  その後、夕飯の席には紫月の父親も交えて、皆でワイワイと賑やかしく卓を囲んだ。  子供たちから事の成り行きを聞いていた父親は、倫周の今後のことについて、知り合いである市の職員に相談してくれたらしい。明日、倫周当人を伴ってその職員を訪ねる算段も取り付けたくれたということだった。 「明日は俺らガッコだけど、半日で帰れっから! 倫周、頑張って来いな?」  遼二がそう言って元気付ければ、倫周はまた頬を紅潮させながら嬉しそうにうなずいた。 「何、私も一緒に行くから心配はいらんさ」  紫月の父親がそう言ってくれるので安心だ。未成年の自分たちだけではどうあがいても解決の難しい問題ゆえ、正直なところ心底有り難かった。  そうして夕飯も和やかに済み、一同は風呂へと向かった。  道場に備え付けの風呂は広く、普段は湯船までは張らないのだが、シャワーは子供たちが頻繁に使っている。久しぶりに湯を入れて、父親と紫月、そして遼二に倫周、男四人で背中を流し合った。  倫周にしてみればこんな体験は初めてである。下町情緒がたっぷりで、温かい人情が身に沁みる。願わくば、ずっとこんな環境の中で生きていきたいと思ったほどだった。 「じゃあ、ゆっくり寝ろよ!」  倫周の為の部屋は、道場のある母屋の客間が用意されていた。昨夜までは遼二の部屋で雑魚寝状態だったから、今日は久しぶりに一人である。遼二と紫月が離れへと引き上げて行くのを見送ると、倫周は糊のきいた布団に潜り、床についた。 ◇    ◇    ◇  時刻はもうすぐ二十二時、つまりは夜の十時前だ。風呂も済んだことだし、遼二も紫月もスウェットにカットソーのラフなシャツという姿で、離れの自室でくつろいでいた。 「明日、土曜か――。遼、お前もこっから登校すんだろ?」 「ああ、そのつもり。学ランと鞄も持ってきたし」 「ん、そっか」  紫月は床に敷かれた毛足の長いカーペットの上に座り込み、ベッドに寄り掛かりながらテレビを観るともなしにリモコンだけをカシャカシャと操作している。そんな様子はどことなく手持ち無沙汰だ。  遼二は手にしていたミネラルウォーターをローテブルの上へと置くと、紫月の後方へと回り込んで大股を開き、両手両脚でその背を抱き包むようにしながらベッドへと腰掛けた。 「な、紫月――」 「んー?」  紫月は気のないような空返事をしつつも、その内心は穏やかではなかった。背後に遼二の体温を感じただけで、ゾワリと栗毛立つのが信じ難い。隠しようもない欲情の感覚だった。  だが、紫月は極力それを悟られないようと、目一杯さりげなく平静を装おうとしていた。テレビのリモコンを未だにカシャカシャと弄りながら、これではまるでザッピング状態だ。  遼二はそんな彼の操作ごと包み込むように手を取ると、 「――する?」  チュッ、と軽く頬をかすめるだけのキスと共に耳元でそう囁いた。 「する……って、何を?」  素知らぬふりでそう訊きつつも、これ以上格好つけて平静さを気取るのは無理だと自覚する。なるべく声がうわずらないように相槌を返すだけで精一杯だった。  だが、遼二の方はそんな紫月の素っ気ない態度にも、まるでめげる様子もない。永い付き合いの中で、彼が照れ隠しの為にわざとそんなふうにするのを良く知っているからだ。  素っ気なくされればされる程、遼二にとっては嬉しく感じられるくらいだった。紫月の少し気高い態度を崩してゆく過程もまた、楽しみのひとつなのだ。

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