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第16話 献身の転校生

 アリスは目を疑った。  教室の中央をモーゼの十戒のように、ふかふかの赤絨毯が敷かれているのだ。  え、学校ですよね?  なんなの、ここはスンデレラ城なの?王様が来るの?  細長く引かれた赤絨毯は自分の隣の席まで続いている。  赤絨毯が引かれる理由は決まっていた。  Ωの転校生がやってくるのだ。  希少価値の高いΩが転校してくる度に、親衛隊が取り囲んで教室へ出迎える。それがこの学園の慣例行事となっている。ちなみにβの転校生はまず来ないし、赤絨毯なんてものは引かない。それだけΩに対して敬意を払い、学園でのΩの地位はβより高くなりつつある。社会的にβの人口が一番多いのに対し、Ωの人口は少なく、結局αと(つがう)ことができるΩが少子高齢化で優秀な遺伝子を残すには一番容易くありがたい存在なのだ。それを知らしめ、学園で教示する為に赤絨毯を引いてはΩのステータスを高めていた。  しかしながら実際に赤絨毯を目にしたのは初めてで、驚いて言葉を失う。  親衛隊Ωリーダーの茂部(もぶ)が静かに教室の引き戸を引く。  一斉に教室にいる生徒の視線が集中し、しんと教室が静まり返る。  前後、左右を親衛隊に厳重に囲まれながら、怯えた表情できょろきょろと転校生らしき人物が入ってきた。 「今、保健室から到着しました」  茂部(もぶ)が教壇に立つ担任に短くそう言うと、担任は慣れている光景なのか、にこやかに微笑む。 「あらそう。ありがとう。さ、皆さん。転校生ですよ。彼はΩなので、体調が悪くなることもあります。なので、皆さん協力し合って仲良くして下さいね。あ、席は海村君の隣でいいかしら?」  担任の女教師βの言葉に雅也の同情の目とクラスの冷たい視線が一斉にアリスに突き刺さる。  (え、俺の隣?)  隣を見ると確かに空席が一つだけある。  ずっと誰もおらず、悠々自適だったので冗談ではない。  ぶんぶんと首を振るが、担任はにこにことスマイルを絶やさない。  さすが、事なかれ主義のβ教師だ。 「あ、あの、綾小路 紫苑(あやのこうじ しおん)です。よ、よろしくお願いします」  ふるふるとチワワのように震え、大きな瞳を潤ませて転校生は深々と頭を下げた。  (び、美少年じゃん)  並の美少年ではない。芸能人のように光り輝くようなオーラを纏い、クラスのΩの数百倍は目立つ。肌も透明感があり、きめ細かだ。  これが、水樹の婚約者。  細い首には黒のチョーカーをつけ、αから噛まれないように防いでいる。  儚げで、病弱そうにみえる華奢な身体つき、そして性格も良さそうな雰囲気に平々凡々のアリスが敵うわけがない。 『アリス、おまえが一番可愛い。その顔も最高だ』  不意に水樹の甘い重低音の声音が頭を掠め、ドキッと胸に痛みが走る。  (こんなに素敵な番がいるじゃん。よかったな、水樹)  そう思って、アリスの頭に思い浮かんだ水樹の顔を掻き消した。  赤絨毯の上をゆっくりと恐る恐る、不安げな足取りで綾小路は歩いてくる。  制服の裾から見える足首は小鹿のように華奢で、ふらふらと頼りない。 「だ、大丈夫?」 「………うん。薬が効いているから、大丈夫。心配してくれてありがとう。僕、紫苑(しおん)って言うんだ。よろしくね」  心配そうに声をかけるが、紫苑は眩しいくらいの優しげな笑顔を放ちながら微笑む。  長い睫毛、白亜のような生白い肌、ぷっくりとした肉感的な赤い唇。どれをとっても完璧で見惚れてしまうほど美しく、同い年とは思えない。 「じ、絨毯ってすごいね。なんだかびっくりしちゃった」  紫苑は気後れしたような表情で言う。 「はは、そうだね。分かんないことがあったら、なんでも言って。俺、アリスって言うんだ」  励ますように勇気づけるが、アリスの内心は複雑な心境だった。  もし、紫苑が本当に水樹の婚約者で、運命の番だったらどうしよう。  いや、待て。単なる出まかせかもしれない。  それでも横にいる紫苑は水樹にとってお似合いに感じる。  隣に自分がいるだけで引き立て役となり、紫苑の綺麗な顔立ちをさらに際立たせた。  所詮、水樹に散々身体を求められたが、それは偽物でしかない。  βはΩのように子を宿すような生殖行為ができない。 『βってそんなに気持ちいいのかな?濡れないし、Ωみたいにヒートもない。水樹はどこがいいんだろうね?単なる性欲処理?』  西園寺の嘲笑う言葉がどうしても頭にこびりつく。  水樹はそんなことはしない。水樹はそんな奴じゃない。  でも…………………。アリスはぐるぐると回る思考を整理する。 『アリス、水樹ちゃんの将来を邪魔しちゃ駄目よ。……水樹ちゃんは大事な跡取り息子なんだから。寂しいけど、分かってあげてね』  昔、母親に言われた言葉を思い出す。  水樹がαと分かり、βと分かった自分に母親が優しく諭すように話した。父親も母親もβだ。そして俺も大事な息子なのに、水樹の両親から言われたであろうその言葉に深く傷ついた。  あれだけ一緒にいたのに、水樹から離れなければいけない。 『水樹、困ったことがあったら言えよ! 俺が助けてやるからな』  昔は負けん気溢れてそう言ったものの、まるで親からも自分を否定され、大切なものを失った気分はまだ抜け切れていない。  (水樹の傍には俺はもういちゃいけないんだ)  αはαか、Ωとつるんでいるのが一番よい。βと一緒にいても、αである水樹の価値が上がることはない。  ネガティブな感情がアリスの奥底を襲いそうになり、ぶんぶんと頭を振る。  (やめだ、やめやめ。テストも近いし、勉強しよう)  アリスはダボダボの制服から手を出して、紫苑を横目に教科書を開いた。

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