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第21話 返却と忘却
水樹の奴っ!限度ってのをあのゴリラは理解しないのかよっ!
Fujossy学園で、朝から乳首に絆創膏を貼り付けて登校しているのは海村 有栖 だけだと惨憺 たる気持ちだった。清々しい爽やかな校舎にはΩとβのみが登校している。αはすでに三十分早く登校しているのがこの学園の決まりだ。ちなみに、今日の上履きは大量の画鋲が混入していたのでプラスティックの箱に移し替えた。
ブラック企業より悲惨な自分の待遇にまったくもって水樹をなんとかしなければと頭を悩ませる。
昨日は乳首をたっぷりと弄っては貪り、絶頂に達するまで何度も愛撫された。乳首は腫れて擦れるとジンジンと痛い。シャツの下は乳首に薬を塗って絆創膏で保護する、という何とも変態ちっくな格好になっている。
しかも帰宅したのが九時。ニコニコと優等生の面をした水樹はアリスの自宅まで車で送ると抱き上げて、部屋まで運んだ。そとあとすぐに帰ったので、アリスは振り絞る力で起き上がって課題を仕上げたのが深夜。睡眠時間は三時間。弾き飛ばされたシャツのボタンの縫い付けはまだ終わっておらず、朝に悲惨な状態で発見され怒られた。
「お、おはよう。アリス、今日も顔色酷いけど大丈夫?」
「え……あ、お、おはよう。大丈夫」
目元に隈を作って、ふらつくアリスを雅也は親身になって声をかけた。良い友人を持ってよかった。自分も雅也みたいにモブ男として真っ当に地味に生きたい。雅也の無慈悲な微笑みにそう思ってしまう。まさか両乳首に絆創膏を貼っているとは思いもよらないだろう。
「そう? 保健室に寄ってみたら? 僕、ついて行こうか?」
「いや、ちょっと寄るところがあるから大丈夫。心配してくれてありがとう」
情けない声を出して抱きつきながら、門倉の制服を入れた紙袋を手に持つ。昼間に母親がクリーニングに出してくれたおかげで、新品のような状態で戻ってきた。
「具合悪いならちゃんと言いなよ?紫苑くん、今日は登校するみたいだよ。ヒートじゃなくて一時的なものだったみたい」
「そ、そうなの? 体調大丈夫かな? でも、また一緒に昼休み弁当食べられるといいね」
紫苑の大きくて小鹿のような潤んだ瞳を思い出す。そうか、ヒートじゃなかったのか。それでも水樹に会ったから匂いがついたのではないかと心配してしまう。また倒れてしまったら、自分のせいだ。紫苑の華奢な姿を想いながら、雅也と別れてそろそろ図書室へ足を向ける。図書室は教室棟から離れていて、職員室や相談室、共用スペース、個人指導教室などがある一階部分に佇んでいる。
学園の図書室は一般図書に加えて約100万冊の貴重書、手稿本などを所蔵している。重要所蔵資料もあり、有名な初版本など数多くのコレクションを抱えていた。恐らく普通の高等学校では一番充実して豪華な図書室だ。室内も美術館のように床は赤い絨毯が敷かれ、高い天井の壁には沢山の本がぎっしりと並べられていた。
中央には勉強スペースがありテーブルとイスは重厚な木造のつくりでどこか海外へと旅行した気分になってしまう。
アリスが図書室へ足を踏み入れるとヒンヤリとした空気が頬に触れ、物音ひとつしない静かさに包まれた。
「か、門倉………?」
おそるおそる、誰もいないのを確認して、出会った場所へひたひたと歩いていく。所せましと並ぶ本棚に囲まれながら、門倉の姿を探した。そしてすぐにその姿を見つけて、ほっと安堵する。門倉は壁に凭れ掛かって、瞼を閉じ座って寝ていた。長い漆黒の睫毛が寝息とともに揺れている。寝ていても普遍的な美しさを感じるほど、寝顔は悔しいほど格好良い。
「……ん、来たのか。おはよう」
そっと瞼が開かれ、まるで待っていたような素振りにドキッと胸が高鳴ってしまう。
「お、おはよう。今日は体調大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。アリスこそ体調大丈夫か?」
門倉は目を擦りながら、立っている自分を見上げる。朝から爽やかに微笑まれるとそれだけでなんとも言えない気持ちになる。
「せ、制服返しにきた。ありがとう」
何故か緊張してしまい、アリスの声が震えた。屈んで目線を合わせて紙袋を渡す。門倉は紙袋を受け取ると、中身を確認した。
「なんだ、いいのに。ありがとうな」
「だってこの制服高いだろ………。大事にしなければ駄目だ! 俺なんてボタンまで縫って長く使ってるんだぜ」
「はは、おまえ、ボタンまで縫っているのかよ。偉いな」
門倉は長い腕を伸ばして、俺の髪の毛をくしゃくしゃにして撫でて笑う。
「し、しょうがないだろっ! てか暑いな」
暖房が効きすぎているのか、室内はむっとする暑さで汗ばんでしまっていた。ブレザーを脱いで、ネクタイをゆるめてシャツの第一ボタンを外した。
「ここはエアコンの関係で、空気が集まるんだ。……おまえ、ここどうした?」
門倉は俺の胸部分を指差し不思議に思ったのか、その部分を指の腹で撫でる。
「んぁっ、やめっ!」
門倉の指が敏感になった乳首に触れて、ビクビクと身体が痙攣してしまう。昨日乳首だけイカされるように特訓され、その成果が今頃になって証明されてしまう。最悪だ。なんでこんな展開になってしまうんだろうとアリスは困惑した。
「大丈夫か、アリス……?」
顔を赤らめて門倉の手を振り払ってしまう。何が起こったのか分からず、きょとんとしている。よかった、感じていた事はバレていない。
「ご、ごめん、なんていうか……」
「なんていうか? ……というか、まて。なんで、おまえはこんな所に絆創膏なのか貼っているんだ?」
(え? あっー!)
胸元を見下ろすと、シャツから絆創膏が透けて見えてしまっていた。おまけに隙間からも僅かに見えている。
「こ、これは。その、乳首、火傷しちゃって……」
しまった。乳首火傷ってどんなだよ。乳首が火傷するわけがない。
「火傷? 大丈夫なのか? ちょっとみせろ。」
「え、ま、待ってっ……!」
門倉は眉に皺を寄せて、シャツのボタンを外すと露わになった絆創膏を捲る。
乳首の周りには歯形と鬱血痕がびっしりとあるのは分かっていた。乳首も赤黒く鬱血して瘡蓋が小さくあった。あまりの悲惨な状態に門倉は息を飲む。
「……酷いな」
「……ご、ごめん」
「これ、水樹がやったのか?」
何も言えなかった。無言で頷く。
「……………」
「アリスは水樹とは付き合ってないんだろう?」
門倉は胸元から視線を上げて、上目遣いで真剣な表情でこちらを見る。
「……付き合ってない」
「こんな事をされているのに何か理由があるのか?」
憐憫に満ちた門倉の瞳にセフレという言葉が思い出される。雅也を退学にさせないという口実はあったが、本心はそうでないのは分かっている。
「……俺は水樹には相応しくないから」
門倉は溜息をつく。すぐに俺はワイシャツのボタンを留め直して、俯きながらそう吐き捨てた。
「……相応しくない、か」
「そうだよ。βはいつまでもαやΩの間には入れない。それは変わらない。βはいつでもβらしくしていなければいけない。αの下に従い、Ωの邪魔をしてはいけない。つまりそーゆうこと」
「それは違うぞ、アリス。バースに囚われない、多様な生き方があるはずだ」
「そうかな? 運命の番なんてあるじゃん。俺はそんな相手いないし、見つかりっこない」
朝から情けない姿をみせてしまったせいか、門倉に対して卑屈な態度を取ってしまう。いや、これが本当の自分なのかもしれない。
「運命の番か。馬鹿馬鹿しい。……まぁ、いい。そういえば土曜日なんだけど暇か?」
土曜日…?
何かあったような気がしたが、思い出せない。
「暇だけど?」
「これ、やるよ。飴のお礼。期限が土曜日までなんだ。誰かと行けばいい」
門倉は口許を緩め、爽やかなに微笑んだ。さっきまでの重苦しい空気はなくなり、門倉はポケットから水族館のチケットを取り出す。驚いて、まじまじと見てみると確かに有効期限が土曜日の日付とある。
「え!? いいの? ありがとう! あ、でも二枚だし、一緒に行く?」
確か雅也は部活だったような気がする。
「……いいのか?」
門倉は少し驚いた顔をした。
「うん! 鮫とか見よう!」
「はは、鮫ね。いいな。」
そう言って、土曜日に門倉と水族館へ行く話が決まった。
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