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第30話 待ち人と携帯
爽やかな朝、教室の前で背の高い男が立っているのが遠くからみえた。
他の生徒達が自分の名前を囁いているように聞こえ、訝しげな表情で教室へ足を進めていく。そして遠くにいた男がツカツカと足を速めて、アリスの目の前でピタリと止まった。
「アリス、おはよう」
「か、門倉……?」
門倉は口許を緩めて精悍な顔を綻ばせた。
はっと思い、周囲を確認すると生徒の視線が集中しているのがわかる。
週末に門倉と水族館へ出掛けていた事を訊かれたくない。
教室を覗くと、親衛隊の茂部や紫苑はおらずほっと胸を撫で下ろす。
「……ち、ちょっと! こっち! こっち来て!」
門倉の制服の袖を掴んで、ツカツカと廊下を歩いて騒然とする教室から離れる。無難な場所へ隠れようとするが、登校してくる生徒が好奇の目ですれ違い様に視線を送ってくるのが分かった。すぐに人気のない準備室を見つけて、門倉を無理矢理押し入れる。簡易机と椅子、本棚が設置されて誰もいないのを確認すると、急いでドアを閉めた。
「少しだけ話したかっただけなんだが……」
「な、なんだよ! き、教室にαが来ちゃ危ないだろ! Ωだっているんだから、気をつけなきゃ駄目だ! また具合悪くなるぞ!」
ヒート中のΩがいるかも知れないし、門倉が顔出すだけで教室が色めき立つ。まさか水樹以外のF4αが来るなんて驚きだし、本来はどのαでも立ち入ってはいけない。
「……ごめん。連絡しようにも、電話がこないから直接会いに来た。あと、このお土産渡したかったんだ。」
門倉は小さなチンアナゴの変なキーホルダーを渡した。
(なんだよ、このへんなチンアナゴ……。オレンジが可愛いじゃないか……)
「あ、ありがとう。れ、連絡しなくても、べ、別にいいだろ? 図書室にいつもいたじゃん」
「アリス、もうあそこへ来る気なんてないだろう?」
門倉の顔が寂しそうに曇った。
「そ、そんな……!」
図星だった。
へんな期待を持たせたくないし、紫苑を裏切りたくない。
「アリスの連絡先を教えて欲しい。駄目か……?」
端正整った顔を近づけ、門倉は透き通った藍色をこちらに向ける。じっと熱っぽく濡れた瞳に捉えられると弱い。
「駄目!」
「分かった。それなら毎日おまえの教室に行って、呼び出してもいい」
お、脅しだ!
水樹ならまだしも、門倉がそんな事をしたら親衛隊や紫苑にどんな目で見られるか……。むしろ水樹に知られたら、最悪だ。
「…………わ、分かったよ! 電話するよ。家に帰ったら連絡する」
「今欲しい。番号は教える」
「へぇ?」
「……ずっと電話、待っていたんだ。もう待ちたくない」
(うぐぅ……! ざ、罪悪感を煽らないくれ! そんな子犬のような瞳でみてくんなよ!)
「で、電話の紙を無くしたんだよ。家に帰ったら探して……」
じりじりと門倉が迫り、背中に冷たい壁が当たる。狭い準備室だ。門倉の吐息が鼻にかかり、至近距離で見下ろされた。
「……キスしてもいいか?」
「え、いや……ん……ちょっ……」
門倉は言葉を奪うように唇を掠める。
軽いキスをされ、唇が離れた。
「おまえ、可愛いな」
「せ、性急すぎだ! 困るし、俺はキスしたくない」
もう一度キスしようとする門倉を両手で防衛する。
「ごめん……」
「そもそも、俺のどこが好きなわけ? βだし、平凡だし、全部普通だけど?」
真っ当な意見だと自分でも悲しいくらい思う。βであるが故なのか、それとも自分の能力がそれまでなのか、アリスが好かれるポイントは少ない。
「……おまえの事を気になってしょうがないんだ。それに放って置けないのもある。こんな気持ち初めてで、どうしたらいいのか分からなくてさ、気持ち悪いよな、ごめん……」
珍しく饒舌に話し、門倉は肩を落として困った顔で笑った。
(根は良い奴なんだけどな……。唐突というか、なんというか……。)
「……とにかく、こういうキスは困る。電話するから番号を教えろよ」
小さく溜息を零して、門倉を睨めつけた。
なんで、毎日変なことばかり起こるんだ……。水樹以外に門倉まで垂らし込んだと思われたら溜まったもんじゃない。
アリスは躊躇いながらも門倉の番号を登録してしまった。
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