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第1話 シャーペンとパフェ

 最初に抱いた印象は「適当な人」だった。 「はいじゃあ、委員長の三年生が風邪で休みなんで、副委員長の俺が今日はまとめるね。えっと、放送委員会を始めまーす」  高校一年生の五月も終わるころ。すでに三回ほどの集まりを経た放送委員会は、本日も放課後の委員会を粛々と進める予定だった。 「皆さんお願いしまーす」 「お……おね、がいします……」  タイミングの分からない挨拶を適当に済ませて、放送委員会に参加する。一年間、放送委員を務めなければならないと思うと憂鬱でたまらない。しかし、これは図書委員とのじゃんけんに負けてしまった僕が悪い。それにしても二年生の副委員長は適当でちゃらんぽらんで、先程から「なにすんだっけ?」と先生に確認してばかりだった。 「え、ごめん何か今日は何もしないみたい! じゃあ解散で! おつかれー」 「……ええ」  何もしないならなぜ集めたんだと言わんばかりに、教室が一気に騒がしくなる。三年生や二年生は、そそくさと帰る準備をして教室を出て行った。僕自身も、帰る準備を進めていく。 「旭陽ぃ、帰ろうぜ」  突然教室に響いた声に驚いて、声のした方を振り返ると同じ委員会の二年生の先輩がいた。何となく目を合わせたらいけない様な気がして、目を逸らす。 「おーちょっと待って、シャーペン無くした! 先に昇降口行ってて」 「りょうかーい」  旭陽と呼ばれた先輩は、無くしたシャーペンを懸命に探している。時折、顔にかかる髪の毛を耳にかける仕草が、妙に美しさを帯びていて目をひかれた。しかし、僕には関係のない事だと思い立ち上がる。すると、足元から嫌な音が聞こえた。恐る恐る視線を落とすと、案の定黒いシャーペンを踏みつけてしまっていた。やってしまったと体から血の気が引いていく。 「あ……あの先輩……!」 「ん? 確か君は……和泉朔夜(いずみ さくや)くんだっけ」 「は、はい……あの」  僕がおずおずと話しかけると、先輩は僕が手に持っていたシャーペンに目線を移す。 「あ、そのシャーペン俺の! ありがとう、見つけてくれて」 「あ、あの! ごめんなさい、僕足元にあるの気付かないで踏んでしまって……割れちゃったんです」  そう言ってヒビの入ったシャーペンを先輩に渡す。しばしの沈黙が苦しくてぎゅっと目を瞑って俯いた。 「ああ、そんな事? 別にいいよ、落とした俺が悪いしね」  そう言うと先輩は、壊れたシャーペンを筆箱に放り込んだ。 「え、でも……壊れちゃって……」 「いいって。じゃあ、またね。気を付けて帰るんだよ……あ、もしかして駅の方行ったりする?」 「え?」 「シャーペン壊した代わりでいいからさ、俺行きたい店があるんだけど……付き合ってよ」  突然の申し出に僕は戸惑うしかない。 「俺は別に気にしないけど、君がずっと罪悪感に苛まれてそうでさ」 「ぼ、僕は構いませんが、さっき友達に呼ばれていませんでしたか?」  僕がそう言うと、先輩はハッと思い出したかのようにスマートフォンを取り出した。 「適当に連絡しておくから大丈夫大丈夫! っし、じゃあ行こうか」  先輩が教室を出て行く。僕は、その後ろを黙ってついて行った。  辿り着いたのは、駅前の小さなカフェだった。ここに辿り着くまでに、先輩は一言も話さなかった。 「カフェ……ですか?」 「そうそう、めっちゃ食べたいものあるんだよね! 晩飯食えなくなるかも」 「え、お母さんに怒られませんか?」 「無理やりご飯も食うから大丈夫」  そう言いながら先輩はカフェの扉を開けた。後に続くとコーヒーやらカフェオレやらのいい香りが鼻をかすめる。お客さんは僕ら以外に誰もおらず、店内は落ち着いたクラシックが流れているだけだった。 「いらっしゃいませ。お好きな席どうぞ」  愛想の良い男性の店員がグラスを拭きながら言う。 「窓際にしよう」  先輩に言われるがまま、僕は一番窓際の席へ腰を下ろした。改めて今日初めて言葉を交わした先輩と、二人でカフェに来ていることに緊張してきてしまう。額に変な汗をかきだした。 「あ、あの本当にシャーペンの件はごめんなさい」 「いいって。むしろ付き合ってもらってごめんね」  そう言って先輩はメニューを開いた。 「君は何か頼む?」 「あ、えっとじゃあ……クリームソーダで」 「分かった」  そう言うと先輩は店員を呼んだ。 「クリームソーダ一つと、いちごパフェ一つで」 「少々お待ちください」  店員が厨房へ戻っていく。 「いちごパフェ……ですか?」 「そ、ここのパフェがめちゃくちゃ美味しいって女子から聞いてさ。俺、こう見えて甘いもの大好きだから来てみたかったんだよね。あいつらとは何となく来にくくてさ」  先輩が言う「あいつら」とは、一緒に帰る予定だった人たちのことだろう。食べてみたかったパフェを注文できた先輩はどこか嬉しそうで、鼻歌が聞こえてきそうな表情をしていた。 「嬉しそうですね」  僕は先輩を見て微笑んだ。 「そう見える?」 「はい」  僕がそう言うと、先輩は「はずい」と言って顔を窓の方に逸らした。五月の十七時はまだ薄明るく、少し茶色い先輩の髪の毛が光に溶け込んで消えてしまいそうな気がした。それが綺麗で見惚れてしまった。 「……先輩って綺麗な人ですね」 「……は?」 「え? わ、すみません! 言うつもりはなかったんです、すみません!」  自分でも無意識に出てしまった言葉に驚愕した。先輩も呆気にとられた表情をして動かなくなってしまう。 「旭陽先輩……?」 「あ、いやごめん。綺麗とか初めて言われたからびっくりして」 「すみません……」  僕が謝ると、先輩は「ありがとう」と照れ笑いをした。  しばらく気まずい沈黙が場を包み込んだ。だけど、僕の目は先輩から逸れることは無かった。 「そんなに見られると恥ずかしいんだけど」 「す、すみません!」  慌てて視線を床に落とした。早く注文したものが来ないかとソワソワしてしまう。静かなクラシックに紛れて聞こえてくる秒針の音がやけに耳に響くような気がした。  一秒、また一秒と秒針が進むたびに、先輩との沈黙が苦しくなる。それは胸がぎゅっと締め付けられるような時間のはずなのに、ほんの少しだけ心地よかった。 「せんぱ……」 「お待たせしました。クリームソーダといちごパフェですね」  僕が先輩に話しかけようとすると、店員が注文の品を持ってきた。僕がタイミングの悪い男なのか、はたまた店員の空気が読めないのか。僕は遮られた話を続けることなく、目の前に置かれたクリームソーダを見つめる。 「うわ、超うまそう!」  一方の先輩は自分の目の前のいちごパフェをスマートフォンで撮っていた。何が気に食わないのか右から撮ったと思えば左から撮ってみたりして、うんうんと頷いている。 「先輩は面白い人ですね」 「さっきから、綺麗な人だの面白い人だの……朔夜くんも変わった人だねえ」 「そう、ですかね」  僕が首を傾げると、先輩はいちごパフェをつつきながら笑った。 「ん、そういやさっき何か言いかけてなかった?」 「いえ、何も」  僕は誤魔化すようにクリームソーダを飲んだ。口の中でパチパチと弾ける感じが、何となく今のよく分からない僕の感情に似ている気がして、勝手に一人で恥ずかしくなる。 「一口食べる?」 「……いらないです」  僕がそう言うと、先輩は少しだけムッとした表情になった。 「まあ、あげませんけどね」 「先輩も可愛いことするんですね」 「意味わかんね」  そう言うと先輩はいちごパフェにのっている一番大きないちごを一口で頬張った。 「もっと味わえばいいのに……」  僕が小さく呟くと、先輩はごくりといちごを飲み込みながら言った。 「あ、もちろん朔夜くんの奢りだからね」 「……ですよね」  僕が肩を落とすと「あたりまえだ」なんて言いながら底に溜まった溶けたアイスクリームまでかきこんでいる先輩が見えた。僕は「シャーペンを弁償した方が安かったな」なんて思いながら氷だけになったグラスを見る。 「先輩」 「んー?」  僕は先輩の目を真っ直ぐと捉えた。先輩の瞳は少しだけ茶色いはずだった。なのに今は、夕日が反射してオレンジ色に見える。 「もしよかったらまた一緒にカフェに来ましょう」 「……え?」  先輩が不思議そうな顔で僕を見る。それはごく自然なことだった。僕自身もなぜそんなことを言おうと思ったのかは、今の自分では答えを見つけられない。 「……朔夜くんがいいなら来てやらなくもない」 「僕は構いませんよ」  僕は笑う。もしかしたら僕はもっと先輩と仲良くなれるかも知れない。 「まだ、食ってないチョコパフェとかも気になるし……」 「バナナパフェもピーチパフェも残っていますよ」  クラスに馴染めない僕が、やっとの事で手に入れられる場所かも知れない。 「朔夜くんが奢ってくれるのかな?」 「なに言ってるんですか。今回だけですよ」 「ちぇー」  たった一時間でもいい。僕が居場所を得られるのなら。このカフェに来ている時間だけでもいい。先輩と時間を共有できるなら。 「じゃあ、はい。俺の連絡先。今日から朔夜くんは俺のカフェ友」  この十数分で、僕は先輩のことを忘れられなくなった。でもそれは決して特別な感情では無いはずだ。 「朔夜でいいですよ、旭陽先輩」 「はいはい」  先輩とならありのままの自分でいられる。僕は少しだけ我が儘になれる。  何となく、そう思ってしまったんだ。

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