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第3話 実感した

 先輩が目の前にいる。一つの机にぎっちりと並んだ二つの二段重ねのお弁当が異質な光景だった。 「……本当に来たんですね先輩」 「え、言ったじゃんか」 「先輩の友達さんはいいんですか?」  僕がそう訊ねると、先輩はたこさんウインナーを箸で刺しながら「後輩と食うって言って来た」と目を細めて言った。  昼休みになった瞬間、僕の教室の扉が勢いよく開かれた。まだ授業が終わって二分くらいだったものだから先生も驚いて、教室が水を打ったように静まり返った。昨日「アタックしてみようかな」と言っていた女子は、口元を教科書で隠しながら友人に背中を押されていた。僕の胸の内がざわざわとさざめいた。それがほんの数十分前の出来事だった。 「今度からもう少しゆっくり来るわ」 「……そうしてください」  僕は淡い黄色をした卵焼きを半分に切りながら言った。 「そういや、何で朔夜はお昼一人なの?」 「それは……」 「うん、なんで?」  先輩の声が教室に響く。教室が嫌な沈黙に包まれた。鼓動が早まり嫌な汗をかきだす。僕は俯くしかなかった。周りに見られている気がして怖くなった。先輩にばれたら僕は唯一の居場所さえも失ってしまう。 「え、なんで急に黙るの?」  何も知らない先輩は、あっけらかんとした口調で僕の顔を覗き込んだ。 「ゆ、幽霊でも通ったんですかね」  僕は自分でもびっくりするほど明るく喋った。いつもよりも少しだけトーンを上げてオーバーにリアクションをとってみた。 「……は?」 「よく言うじゃないですか。教室が急に静かになったら幽霊が通ったって」 「は、しらね」  あからさまに先輩は不機嫌になった。普段の切れ長で綺麗な目はお弁当箱を捉えるばかりで、僕の方には一切向かなかった。窓を開けているので、先輩の控えめな茶色い髪が風に優しくそよぐ。腕まくりしたシャツから覗く、筋のくっきりした腕に太陽が当たって透明に見えた。不機嫌な先輩を前にしても僕は、先輩の綺麗な所にしか目がいかなかった。 「なあ朔夜」 「は、はい」  先輩と目が合う。僕の心臓は、切れ長の瞳に鷲掴みにされた。 「今日の放課後、カフェ行こう」  僕は頷く事しか許されていない気がした。  放課後。教室で待っていると、先輩が来た。相変わらず不機嫌なようだった。ズボンのポケットに両手をつっこみ、スクールバックを乱雑に肩にかけた先輩は、さながらヤンキーに見えなくも無かった。 「行くよ」 「はい」  短い会話さえも誰よりも特別な気がして、僕はそれだけで嬉しくなった。僕は先輩の唯一の存在なんだとその時だけは自信が持てた。  カフェに着くと先輩は前回と同じいちごパフェを注文した。僕もクリームソーダを注文した。 「なんでいちごパフェを?」 「気分」  先輩はイライラしながらいちごパフェをつついた。場の空気が険悪になって、優雅なクラシックばかりが変に目立っているように感じた。心なしか、クリームソーダの炭酸も前回に比べて強くなった気がする。 「あの……せんぱ」 「朔夜さ、クラスでハブられてんだろ」 「……」  突然の質問に喉元が苦しくなる。鼓動ばかりが先走っての脳内はてんやわんやするばかりだった。 「ま、まさか」 「はいダウト。目、泳ぎすぎ」  先輩がパフェ用のスプーンを僕に向ける。その瞬間、自分が惨めで嫌になった。大切な時間が苦しくて、苦しくて今どうしようもなくなった。 「ごめんなさい……」 「いや、朔夜を責めている訳じゃ無くて。原因を教えてくれたら嬉しいなと」  先輩が僕を見ている。その目はなんでも見透かしているような気がした。僕の過去も全て。 「……言ったら僕は先輩に嫌われちゃいますよ」  僕が、そう自嘲すると先輩は呆れたように大きな溜息をついた。先輩の顔が直視できなくて無駄にクリームソーダのバニラアイスを沈めたりする。その手は自分でも分かるくらい震えていた。 「……なあ、俺って勘違い野郎かな」 「え、何ですか急に?」  僕は反射的に顔を上げる。その時初めて先輩の顔をしっかりと見れた気がした。先輩は綺麗な人だった。それはもう何回言っても足りないくらい、僕が今までに見たこともないくらい綺麗な人だった。 「せ……んぱ」  声に出して呼び止めなければ、旭陽先輩はきっと、夕日に溶けて消えてしまう。 「なに?」 「え、こっちの台詞ですよ……」 「朔夜が何か言いたそうな顔してたから」  先輩の表情が綻んだ。その表情をみて僕は、自分の気持ちに気付いてしまった気がした。心臓ばかりが捉えていた感情が、急に溢れてきた気がする。言いたいことはドッと溢れてくるのに上手くまとめられないし、伝えてはいけないという思いが脳内で喧嘩を始める。 「あの、なぜ先輩が勘違い野郎なんでしょうか」 「ああ、俺さ……朔夜とはもう仲良いと勝手に思ってたから。かくしごとされてると、俺が勝手に仲良いって思ってただけなのかなって……ってなんか自分で言ってて恥ずかしくなった」  誰かにこの感情をどうにかして欲しい。気付きたくなかった。僕はまた同じことを繰り返すのか。僕は先輩にまで迷惑をかけるのか。それだけは嫌なのに。溢れる感情が止まらない。 「旭陽先輩……」 「別に気にすんなよ」 「僕も先輩に出会えてよかったです。あの日、先輩がシャーペンを落として僕が壊してよかったです」 「それはよくないけどな」  ――先輩の事、独り占めしたい 僕は、我が儘になった。

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