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第4話 裏切りと

気付きたくなかった。いや、気付いてはいけなかった。でも、気付けてよかった。まとまらない感情が僕の心を、脳内を包んでいく。 ――でも、それが崩れていくのも早かった。 「俺、彼女できたから。もう朔夜とはカフェ行けないかも」  それは、あまりにも突然だった。    僕が、自分の感情にやっと気付いたあの日からまた一週間ほどが経過した。その間、先輩とは何となく会うことは無かった。でも別に気まずいとか、喧嘩したというわけでは無かった。ただ、時間がすれ違っていただけ。そう、僕と先輩との時間が大きく大きくすれ違っていただけ。  そうしてすれ違い続けて二週間目の月曜日。昼休みだった。 「え、ああ……彼女ですか」 「そ。もしかして朔夜と同じクラスかも?」  そう言うと、先輩は右手でピースサインを作りながら唐揚げを頬張った。 「あ、ああ……誰だか分かりました」 「え、まじ?」 「はい」  信じられなかった。先輩って酷い人ですねなんて言えたら、何十倍も良かった。嫌いになれたらよかった。嫌いになりたくなった。 「告白されたから何となくね。誰をいつ好きになるかなんてわからないじゃん?」 「ああ……なるほど。そう、ですね」  自分でも驚くくらいむしゃくしゃする。これ以上何も聞きたくなかった。先輩の口から女の子の名前なんて、ましてや「彼女」なんて聞きたくなかった。「誰を、いつ好きになるかなんてわからない」なんて。先輩は酷い人だ。 「え、なんか朔夜怒ってる?」 「はい」 「え、何でだよ」  先輩が俯いている僕の視界に入ろうと、覗き込んでくる。それが鬱陶しくて視線を思いっきり逸らした。 「…さーくーや」 「旭陽先輩は……」  酷い人ですね。なんて当然言える訳もなく、続きは大きな溜息に埋もれた。 「え、なに……」 「じゃ、もうお昼も今日で最後にしましょう。先週は一度も一緒に食べられなかったし、彼女さんと食べるでしょう?」 「朔夜にも会いに来れるじゃん。朔夜と同じクラスの子って言っただろ?」 「先輩が彼女さんと一緒にお弁当食べているのを、僕に見とけって言うんですか?」  言ってしまった。そう思った時には既にもう遅い。先輩が舌打ちをする。でも。でも、僕だって怒りたかった。僕の感情をただでさえ揺さぶる先輩に、これ以上かき乱されたら僕はおかしくなってしまう気がした。口に出してしまったことは取り消せない。ここで思い切り言ってやるのもいいかもしれない。そうしたら、先輩は僕を嫌って、僕も旭陽先輩を嫌えるかも知れない。 「そんな言い方ないだろ」 「僕がクラスで孤立しているのを知ってて、クラスメイトと付き合うなんて酷いですよ」 「そうかもしれないけど、でも」 「でも? なんですか、誰をいつ好きになるかは分からないからって言うんですか」 「ちが……おい、朔夜!」  僕は気付いたら教室を駆け出していた。広げたままのお弁当箱はそのままに、クラスメイトからの視線を背中に感じながら。そんなのどうでもよかった。いっそ家に帰ってしまおうか。そんな風に思った。  惨めに走る廊下が、いつもよりも長く感じる。先輩が追いかけてくれるのを期待していたのに、後ろからは何も感じ取れなかった。誰もいない方へ、誰もいない方へと曲がっていく。日も差さず、人の気配もしなくなってきたところで僕は泣いた。泣いたといっても声を上げて泣いたわけでは無い。ただ溢れてくるものを唇を噛み締めながら流しただけだ。 (ああもう……僕って最低すぎる) そう思いながら、廊下の端にしゃがみ込んだ。こんなところ誰も来ない。誰にも迷惑なんてかけるわけないと思っていたら、目の前のドアが開いた。室内から室外へ行くためのドアだった。 「うわ、ビビった……」 「あ、わ……す、すみません!」  顔も見ずに立ち去ろうとすると呼び止められる。 「あ、おい待てよ!」 「え、な……」 「お前さ、旭陽と最近仲良しの後輩だろ」  その言葉に驚いていると、その人は室内へと入って来た。 「俺、天野時雨。二年で旭陽と同じクラス」  時雨って呼んでと言った先輩は、人懐っこそうな笑顔を向ける。校則に歯向かったような耳たぶに開いたピアスや着崩した制服が印象的で、一見するとヤンキーのようにも思えた。きっと三年生からは目を付けられているんだろうななんていうのは僕の憶測でしかない。 「お前名前は?」 「和泉朔夜です」 「朔夜、もしかして旭陽にいじめられた?」  どこか可笑しそうに聞く先輩が不思議だったが、僕は首を横に振った。 「先輩は悪くないですよ」 「うわあ、いい子ちゃんぶってる」 「そんなつもりじゃ」  思わず眉根を寄せると、時雨先輩は「嘘だって」と快活な声を上げて笑った。 「旭陽、あいつ性格めっちゃ悪いから、贔屓してる後輩がいるって聞いた時、思わず可哀想って言っちゃったんだよね。ぜってえいじめるじゃんって」 「そうなんですか? 旭陽先輩は凄く優しい人ですよ」  僕がそう言うと、時雨先輩はぽかんとした表情をした。 「な、なんですか」 「お前さ、旭陽のこと好きだろ」 「え?」  時雨先輩は、しばらく考える素振りを見せると、突然真剣な眼差しを向けてきた。 「ちょっと場所変えようぜ。お前昼は?」 「旭陽先輩と食べててそのまま、教室に置いてきちゃって……」 「取り行け、そんで屋上の扉の前集合」 「え、ちょっと」  言うが早いか、時雨先輩は「じゃあね」と言って自分のクラスにお昼を取りに行ってしまった。階が一緒でフロアも一緒なのにななんてぼんやりと考えながら、僕も旭陽先輩の待つ教室へと向かった。  教室に入ると、旭陽先輩は机に頬杖をついてぼんやりと校庭を眺めていた。 「あの、僕別の所で食べてきます」 「……朔夜さ」  お弁当を抱えて一歩踏み出した時、突然呼び止められた。 「……さっきの嘘だから」 「……え?」 「彼女いるって、嘘だから」  僕は旭陽先輩の考えている事が分からない。 「朔夜いくぞおら。うわやべ、旭陽いたのかよ……どっか行ったかと思ってた」  旭陽先輩の目が校庭から僕へと流れるように向く。その姿は少しだけ色っぽくて少しだけ怖かった。目が合うと僕は、蛇に睨まれた蛙のごとく動けなくなる。僕は旭陽先輩には逆らえないなと何となく思った。この人は敵に回したらいけないタイプだと。 「なんで……嘘なんか」 「さあ、何でだろ。俺って性格悪いから?」  そう自嘲すると、先輩は椅子から立ち上がって廊下にいる時雨先輩の方へ向かった。 「ねえ俺も混ぜてよ」  旭陽先輩が言う。 「は、やだよ。お前が朔夜を傷つけたんだろ! ちょっとは反省しろ」  そう言うと時雨先輩は旭陽先輩の頭を思い切り叩いた。  教室が水を打ったように静まり返った。

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