4 / 20

第4話

◇  飼っているネズミは形のある分かりやすい言い訳に過ぎなかった。結婚してもまだ片想いしている夫の自信を貝殻で削っている。残酷に力任せに。  淫売夫を住まわせているマンションに寄り、指紋認証で中に入った。玄関はアロマオイルの匂いが籠っていた。それとは別に焦げに近い油の匂いもする。出迎えの物音は聞こえない。システムキッチンの水切りに網焼き板や皿が並べられている。誰か来たらしかった。ここの住人の交友関係に興味はないが、おそらく友人の1人もこの土地にはいない。リビングルームの奥の寝室に入る。下層の部屋のためガラス張りの奥の景色はあまりよくなかった。木製のブラインドが落ち、観葉植物が置かれている。無難なインテリアだった。壁面収納のワードローブ前にキッズルームを思わせる幼い趣味のラグが敷かれ、簡易テーブルや教本が詰まれている。1人で何十人も入れそうなベッドルームを余らせ、その隅で縮こまって勉強しているのだ。淫売夫はベッドでうつ伏せになって、吃逆に似た音を漏らしていた。アカミネは衣服をひとつひとつ脱ぎ散らかしながら近付いていく。 「カレシを家に連れ込んだのか」  キングサイズのベッドに沈む小柄な身体に乗り、頭を埋めた。 「ぁふ…っ!」 「いいご身分だな」  来訪にまるで気付いていないらしかった。水に溺れたように暴れる。朝に撒き散らしたアロマオイルが薫った。 「臭いな、お前は。オレンジ臭い。そんなカラダで抱かれたのか」  慣れ親しんだ祖国の服の代わりに着ているワンピーススカートの裾を捲り、張りのある尻を揉んだ。夫よりも筋肉質で硬さがある。乱暴に掴み、それから奥の窄まりに指を伸ばす。 「ぁうっ、」 「出されたのか?」  暗い視界の中で明るい髪が横に揺れた。 「生でしてないな?」  淫売夫は何度も頷いた。性病にでも罹ればいずれはカナンのことまで危険に晒しかねない。この身売り小僧がまだ性病に罹っていないことは確認している。しかし野良情夫(ドラねこ)のことまでは分からない。熱く狭い穴の中を指で探る。関節を曲げ内壁を押す。悦楽の源を避け、柔襞をなぞった。本当に中に出された形跡はなく、朝の分は綺麗に洗われていた。挿入された様子もない。アロマオイルにも混ざり気がない。強く内部を突いた。 「はぅ……っ」 「カレシの代わりに抱いてやる。自分で拡げろ」  捨てるように後頭部をベッドに払った。淫売夫は白のフーディワンピースを脱ぎ、指示に従った。ダウンライトを点け、ベッドサイドチェストからローションを取り出す。掲げられた尻の狭間に垂らしてやると、短めな指がすぐさま淡い色の円みを(ほぐ)す。 「ど……うぞ、」  膝の間隔をだらしなく広げる。ダウンライトの濃い影に小さな嚢が消え、小娘を辱めているような心地になる。健康的に引き締まった夫とはまた異質の細い腰を押さえ付ける。アカミネは己の砲身を何度か扱いてから怯えるように収斂する蕾門を穿った。 「あっあっあぁ…」  オレンジに染まる髪を掴み、淫売夫の下半身にアカミネの下半身が沈んでいく。入らないほどではないが、柔襞は丁寧にアカミネを奥に出迎える。目眩がするほど粘膜同士の摩擦は心地良かった。肉体の相性は夫の次に良い。夫と睦むときは必ず遮膜(スキン)越しであったが、長く開いた期間が配偶者との営みを美化させていくのだった。夫との交わりを思い出しながらアカミネは腰を振った。肉杭を何度も打ち込まれていく淫売夫は悲鳴を甘くする。媚びたような声を上げ、内肉はさらなる刺激を乞う。 「ぁっ、あっあっぁぅう…」  乾いた音が一人暮らしには広すぎるほどのベッドルームに響いた。シーツを掻く音も混ざっている。ひとつひとつ仕草が気に入らない害獣もどきを思わせる。 「お前、ネズミ飼わないか?」 「ネズ……っぁンっ、あっァァア…!」  無駄口を叩く前に根元まで収め、汗ばんだ背中に乗る。奥深く欲張った挿入に性夫の喉が掠れた。 「あ……ぅう…」 「……っ」  激しく収縮する狭筒に搾り取られる。茎の中を官能が迸った。体温に包まれ視界が白くなるこの瞬間だけは、夫を抱かないと決めた意思が揺らいだ。 「は、ぁ……っん、」  息を切らしている淫売夫の中に居座ったまま軽い身体を抱き上げて体勢を変えた。猛々しく戻る楔に若い身売りは自身の体重で串刺しにされていく。 「ぁぐ……ぁうう…」  魚のように唇を開閉させ、擦り切れた声が喉を焦がす。 「こっちを向け」  腰に当たる尻を叩いた。性奴隷は覚束なげにアカミネのほうを向いた。回転してうねる媚肉に一度突き上げてしまう。 「はぅ……んっ」  いやらしい少年は大きく震えた。ダウンライトで逆光し表情は塗り潰されている。 「自分で悦いところに当てろ。お前のオナニーに付き合ってやる」 「ぅ……う、」  叩いたばかりの尻がわずかに持ち上がる。少年の前を慣れた手付きでアカミネは扱いた。すると連動して内部が締まる。 「ぁう…」  アカミネの上で少年の腰が踊る。勢いのある上下運動がはじまった。気紛れに胸粒をくすぐる。上を向いて誘うようだった。どこもかしこもこの淫乱な少年は男を誑かす。幼い顔に純真な表情を貼り付けて、その瑞々しい四肢は淫靡に官能の世界へ引き摺り込もうとするのだ。 「あんっ……んぁッ!」  腰を揺すり、奥深く咥え、欲望の痼りに自刃する。発情期の猫めいた嬌声を恥ずかしげもなく漏らして戦慄く。加虐心を刺激され、アカミネは痕がつくほど腰を強く固定して下から穿った。 「あひッ」  少年の躯体がマッサージ器のように痙攣する。艶肉はアカミネを幾度も長くきつく締めた。 「そんなペースでイきまくっていたら後からつらくなる。今夜は帰れないからな」 「許して……くださ……ああっイく……」  乱暴に揺さぶった。アロマオイルの香りが舞う。人形と化した淫売夫の口から出るのは啼泣に似た悲鳴ばかりだった。  シャワーを浴びた後、夫の前では吸わない煙草を吹かした。ベッドを共にした子供が寝返りをうち、衣擦れが微かに聞こえた。ブラインドの奥は朝日に白くなっていた。観葉植物も緑を帯びている。紫煙を吐きながら端末をもう一度確認する。深夜帯にメッセージが来ていたのだった。夫からだ。彼には何の罪もないというのに謝っている。意地を張ってすまなかったと。アカミネはまだ半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付ける。返信の内容を考えあぐねていた。謝りたい。しかし上手い言葉が浮かばない。夫の重荷にならない言い回しが。端末を前に頭を抱えた。ネズミはただの言い訳だ。抱かれるのか否か。互いに避けてきた話題が夫を不安定にさせている。ペットのネズミは分かりやすい口実に過ぎない。実際ホテルに泊まっても夫を抱かなかった。それでも腕に納めて夜を明かしたかった。 「ユキムラさん…?」  床夫が起きた。気が散った。 「まだ寝ていろ」  リビングルームに移り、ベランダへ出る。自宅ならば長閑な朝の住宅地が広がっているが、この近辺はタワーマンションだらけで朗らかな景色などない。多少洒落た建物の壁面や、その敷地に置かれたオブジェ、市街地のような汚らしい道路ではなく整備され植樹された道が見える程度だった。しかし酔っ払いや狂人の雄叫びや乱闘、血痕や吐瀉物や何かしらの残骸、回収を待つゴミの山がないのは何より良い。それだけでも地価の高い場所に住む価値はある。朝の空気に清められながら端末と睨み合う。〔俺のほうこそすまなかった。〕と打ち送信ボタンを押しかける。〔ポプリは無事だったか〕と付け加える。しかし嫌味に捉えられそうで消してしまった。結局相応しい言葉が思い付かず、電話してしまう。配偶者が就寝時、端末を枕元に置いていることを知っていた。4コール目で繋がる。 […おはようございます]  寝起きの低い声が聞こえた。アカミネの強張った顔が緩む。 「おはよう。メールを読んだよ。俺のほうこそ、貴方の都合も考えずすまなかった」  夫は少しの間黙った。アカミネは言葉を待った。 [どこかに泊まれたんですか] 「ああ。いつものホテルに。貴方の居ない夜は寂しいものだ」  電話の相手はまた黙った。アカミネからも追撃するようなことはしない。 [早く帰ってきてください。朝食はもう摂ったんですか] 「まだ摂っていない。帰りに何か買って行こうか」 [いいえ。じゃあ君の分も用意して待っていますから]  そしてどちらから通話を切るかで惚気ながら揉めた。掛けた側であるアカミネは意地でも自ら切れず、やがて夫が折れて通話が切れた。朝空を仰ぎ、夫以外には見せない微笑を晒す。リビングルームに戻ると裸の淫売夫がいた。浴室に向かうところらしい。ベッドの中で苦痛に近い快楽に泣き喚いたためか目元が浮腫んでいる。 「もう帰るノ…?」 「ああ」  夫が帰ってこいと言うのなら帰らない手はなかった。婚外の性交渉相手の存在など頭から吹き飛び、軽やかな足取りで自宅へ帰る。帰りに早くから開いている花屋に寄り、鮮やかな黄色のソープフラワーを買った。夫が使わなくても不気味な付人かハウスキーパーが使うだろう。そうすれば彼も喜ぶ。贈り物よりもそこに伴った精神的なものが嬉しいのだ。そのことは確認せずとも互いに理解しているような気がした。インターホンを鳴らして玄関に入ると夫が出迎える。 「おかえりなさい」 「ただいま」  よく知った匂いに包まれる。コーヒーの香りを薄らと纏っている。 「これを貴方に」  石鹸の造花を白く骨張った手に握らせ、その甲に口付ける。 「ありがとう。朝食できてるから」 「いただこう」  白木のキッチンテーブルセットにはチーズ入りスクランブルエッグやこんがり焼かれた小型腸詰(ソーセージ)にマフィン、小さなサラダ、オニオンスープが並べられていた。皿の端にトマトケチャップも盛られている。マットの上に添えられた木製のスプーンとフォークに温もりを感じる。清楚な夫には丁寧な暮らしがよく似合っていた。 「ほら、ポプちゃん。パパが帰ってきたよ」  不快になる要素をアカミネはひとつ忘れていた。ネズミは巣箱に籠もり、夫はケージに話しかける。彼は片夫が不在の夜も、生きた毛玉がいれば寂しくないのだ。片夫のことも忘れていたかも知れない。優しく愛情深いカナンはケージに一言二言話しかけると、マシンからコーヒーを淹れ、キッチンチェアにつく。 「いただきます」 「どうぞ、召し上がれ」  昨晩喧嘩をしたとは思えないほど穏やかな朝だった。夫の付人もいない。しかし訊ねる気にはならなかった。出汁(ブロス)の旨みが効いているスクランブルエッグに少量トマトケチャップを乗せて口に運ぶ。 「美味しい」  器用な夫は料理も上手い。下手に創作意欲を凝したりはしないが、基礎はレシピに沿いながらも食材の味の引き出し方をよく知っている。 「それはよかった。あのホテルの朝食(モーニング)を素通りして帰ってきてくれるんですから、頑張ったんですよ」  カナンは柔和に口角を上げた。 「帰ってきた甲斐があった。朝早くからありがとう」  クルトンの浮かぶオニオンスープも美味かった。甘みと辛味が調和している。セックスの有無など些細なことのはずだ。アカミネは夫の料理に胃袋を鷲掴みにされている自覚があった。愛夫の作り出す和やかな空間でしか息ができない。カナンの隣でないのなら安らかに眠ることも。セックスの有無など些細なことなのだ。愛情を示す方法はそれだけではない。婚姻届を出しても変わらずに恋慕を伝える手段は。アカミネはそう思い、それを呑んだ。 「そう言ってもらえて嬉しいです」  対面でヨーグルトソースのかかったサラダを木製のフォークが刺していく。 「そういえば、イノイに友達ができたらしいんです。うちに招待してもいいですか?君の居ない時にしますから…」 「よかったな。俺のことは気にするな。いつでも呼んだらいい。貴方の家で、彼女の家なんだから」  心にもないことだったが、夫が喜んでいるのならアカミネは平然と口にする。 「現代(イマドキ)の若い女の子たちってホームパーティーとかするらしいですから。あの子にも年相応のことさせてあげたいなって思って。君がそう言ってくれて助かります。昨日は相手のお宅にお邪魔したみたいで飯店BBQをご馳走になったとか。ぼくたちもいつかしてみたいですね」 「ガーデンを借りよう。そのほうが楽しめる」 「それじゃあ普通のBBQじゃないですか。でもそれもいいですね」  管理会社に申請を出せば共有ガーデンの一部を貸切にできる。広い敷地があるのだから室内でやる必要もない。しかし飯店BBQは室内で済ませることにこそ価値があるらしい。愛夫の朝食を平らげ、コーヒーを飲む。 ◇ 『ホテルに、しますか……それなら君も、その…いつもと違う場所なら…』  あの灰毛と白毛のネズミはアカミネにとって確かに邪魔だった。人外の生き物が夫との間に割って入ってくるとはまったく予想だにしていなかった。以前なら自らホテルを提案し、そしてその案に乗ろうが乗るまいが抱くことはなく、結局、相手の見え透いた目的を果たせないことは分かっているためホテルには行かなかった。営みが消え、夫もそれに慣れたところでやっとリストランテからラグジュアリーホテルへの一連の流れが組み上がった。  夫に対する肉欲はある。同じ屋根の下で暮らし、その衝動に呑まれそうなことは多々ある。1人で処理するときも夫を肴にした。淫売夫を抱くときでさえ夫のことを想っている。それでも抱かなかった。この手をいずれ汚すと誓ってから、平凡な家庭を築けない。揺らぎそうになった。親の仇を忘れ、カナンの夫として生きてしまおうかと時折思う。おそらく素肌に触れたら、脆い秤は簡単に、触れる前から大きく傾いてしまう。  端末が光った。振動する前にポケットにしまう。カナンは小さな毛玉に夢中だった。 「仕事に行ってくるよ。急用が入ったから」 「この時間に大変ですね」  夫は滑車にいる愛玩ネズミを拾うと、アカミネを玄関まで見送った。外ではこれから日が沈む。 「お帰りはどれくらいですか」 「遅くなると思う。夕食はこっちで済ますよ」 「そうですか。気を付けて。ポプちゃん、パパがお仕事だって」  夫は子を大事に包みながらアカミネの頬に接吻する。 「いってらっしゃいませ」  歓楽街へ車を走らせる。どれだけ好いても夫に言えていないことはたくさんある。たとえば、アカミネは孤児ではないことや、勤め先は夫が思っているようなものではないこと、彼の離縁した父親を恨んでいること、割り切っているつもりで結局は彼自身までをも恨んでしまっていること、彼が思うほど品行方正で慎ましやかな性分ではないこと。  日が暮れると歓楽街は鮮やかな色を灯した。店先に床夫や遊女が座っている。頭が痛くなるような粘っこいアロマが薫り、視界は熱気で霞んで見える。砂埃臭さもあった。賎民たちによる貧民のための遊び場だ。少し抜ければ貧民窟(スラム)に入り、親を捨てられ育った者たちが徘徊している。顔も知らない肉親は大体隣の区画にいるものだ。見目が良ければ拾われ洗われ育てられ、体格が良ければ仕事をもらえる。床商売(セックスワーカー)になるか、反社会的な集団に属するか、運が良ければ人権団体や篤志家に拾われる。そうでなければ貧民窟で残飯を奪い合い、ゴミを漁り、時には盗みを働いて暮らすのだ。アカミネもほんの一時期、貧民窟に身を置いていたことがある。両親が亡くなった直後に身寄りがなく、行く場所も失ってそこに流れ着くしかなかった。昔話に浸りかけていた時に、自分を呼び出した相手から彼は声をかけられた。近くの娼館のオーナーだった。借金を踏み倒した客が自殺したらしい。すでに身辺調査は済まされ、客の妻と娘、息子と祖父母を捕縛したという。アカミネに任されたのはどの店に彼女等を売り払うかという仕分けだった。彼はこの歓楽街に幅を利かせている威権集団の幹部でもあった。管轄下にある娼館の不始末は請け合わねばならない。事務所に寄ってそこの(おさ)である(あね)親仁(おやじ)に挨拶する。幼くして両親を失いあとは斃死(へいし)するだけだったアカミネが長く生きてこられたのはこの者のおかげだった。ムクロジ-六九六寺-という見た目は老婆で、アカミネの認識から言えば老翁だった。武器のように剛強で趣味の悪い指輪を親指以外の四指に嵌め、魔憑きの女みたいに長い爪はサンドピンクのネイルが施されている。入歯代わりの特注品の装飾歯(グリルズ)が光る。肉親(おや)の仇は死んでも討て。それがこの組の掟だった。老婆は久々に事務所に顔を出した子分(むすこ)を早々に追い払い、彼は地下に捕らえられている家族の値踏みを始めた。  仕分けはすぐに終わり、各々の業者に身柄を引き取らせた。愛夫との長閑(のどか)で丁寧な暮らしからは離れた生臭い仕事にアカミネはひどく疲れていた。殺しがないだけ今日の仕事はまだよかった。そういう日は愛夫に触れられなくなってしまう。すぐには帰れず、一晩どこかに泊まって帰った。最近はほとんどない。そのために穏やかな暮らしとの落差が大波となってアカミネを苛む。同じ世界の話ではなく、まるで1日を切って貼ったような突然の暗転にも似ている。  視界が明滅するような興奮が醒めず、組の管轄下にある娼館の一部屋を客として入った。慣れた高級床夫の()で横になる。天蓋ベッドが部屋の中心に置かれ、四方に透けた布が垂れていた。自宅のベッドほどではなかったがここのベッドの感触が気に入っている。やがて襖が開いて床夫がやって来る。シャラシャラと四肢首の金具が鳴っている。バニラの香りを纏い、白い薄手のパラシュートドレスを着た華奢な少年が傍に座った。ノースリーブから伸びる細いなりに筋肉質で張りのある褐色の腕をアカミネは乱暴に掴んで引っ張った。 「ご、ごし、ご指名ありがとうござマスです…」  何度通い詰めても少年は接客に慣れなかった。人懐こく口数は多いはずだが、床夫と客として会うと表情は硬く言葉も覚束ない。アカミネは無言のまま隣に寝かせる。 「今日は、どう、なさマスですか…」 「寝ろ」  金髪に指を入れて力任せに梳いた。よく櫛が通っている。 「お、お客様…」 「黙って寝ろ」  自分の胸に接客しようとする小さな頭を押さえ付ける。金糸が手の甲を掠っていく。人肌を感じながらアカミネは目を閉じた。この床夫は抱擁に適した肉付きと体格をしている。交わる相性も良い。愛夫としていた時を思わせる。遠慮も要らない。恋人時代のカナンと同じ香りがする。アカミネが贈ったものだ。意識を落としながら手慰みに尻や腿を揉み、身動ぐ様が面白くなって割れ目をなぞる。ドレスの裾を捲るのを少年は嫌がった。戻そうと暴れている。カナンの手の中から脱出を試みる忌々しいネズミも重なった。 「ユ、キム……ラさ…っ」  気を遣いながらも必死に抑えた声を出す少年を一度放した。 「飯食うか」 「…え?」 「もう何か食べたのか」 「まだ……ですケド」  少年は鰐革を思わせる装丁(そうてい)の品書きを差し出したが、アカミネは金髪を退屈げに触りながら考えごとをしていた。何にするか考えながら。夫と暮らす朗らかな世界の片鱗を探す。 「飯店BBQにするぞ、着替えてこい」  猫を思わせる双眸が伏せられる。 「ごめんなさいデス。着る物、これしか持てなくテ…」  アカミネは嘆息した。どういうこだわりがあるのかは知らないが、この少年は股の割れたものを履かない。常にワンピーススカートやドレスばかり着ている。祖国の服に似ているらしかった。かなり奇抜なファッションセンスをしている。アカミネはまったく彼に興味がなかったが外に連れ回すとなると話は別だ。 「買ってやる。直帰しろ。店の人に言ってこい。先に地下駐にいるからな」 「は、はいです!」  ドレスの裾が翻りバニラとココナッツの香水が薫った。出会ったばかりの頃を思い出す。裏稼業から足を洗い、出自を捨ててカナンとの未来だけを見つめ生きていくものだと思っていた。否、思っていたかった。アカミネは考えるのをやめ、地下駐車場を目指した。室内で肉を焼く飯店BBQはあまり馴染みがない。肉の薄さが違い、串に刺さずタイル状にして焼く程度の認識しかなかった。家内がやりたがっているのなら知っておく必要がある。車内で床夫を待った。後部座席に少年が乗り込む。生活圏から外れた飯店BBQ屋を探した。隣の市の商業地域にあるだろう。

ともだちにシェアしよう!