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「睦月、待って……睦月ってば!」 かくして人混みの中、俺から逃げる睦月を追いかけている。睦月の名前を呼び続けながら追いかけているせいか、人の目が少し痛い。でも、それどころじゃなく必死に睦月を追う。だって、睦月が、あんな表情してたから── 「むつっ──」 「っ!」 「睦月!?」 前を走っていた睦月が人にぶつかり盛大に転んだ。しかも顔から。ぶつかった人は中々の強面のおっちゃんで幸い怪我はないようだが「人混みの中走ってんじゃねぇよ!!」と睦月に怒鳴り散らしている。慌てて駆け寄り睦月の代わりに謝り倒す。おっちゃんはひとしきり文句を言った後、気が収まったのか向こうに行ってしまった。 「大丈夫か、睦月!? 」 倒れたままの状態だった睦月の背中に触れようとしたが手を弾かれた。けど、一向に顔を上げようとしない。 「……よ」 「む、睦月?」 小さく呟かれたが何を言っているか聞こえない。聞き取ろうとして、睦月の顔を覗き込む。するとその瞬間、睦月が勢い良く顔を上げた。 「何で追いかけてくるんだよ!!」 睦月の大声に周囲の視線が一気に集まる。睦月は転んだ時に顔を打ったせいで鼻血が出ていたが気にも留めず、キッと俺を睨んだまま声を荒げた。 「俺のことなんて放っとけば!? どうでもいいんでしょ、俺なんてさぁ!」 「どうでもいいなんか……」 「あるんだよ! 俺が浮気しようが何しようが、お前、無関心のくせに!」 「む、睦月、落ち着いて。周りの人が……」 「はぁ!? 今はそんなことどうでもいいだろ!」 どうでもいいって、睦月があれほど周囲に知られるのが嫌がってた俺との関係。どうでもいいわけがない。今は頭に血が上って周囲が見えていないのかもしれないが、冷静になった時に大変だ。なんとか宥めないと……。せめて、人がいない場所に移動しようとちらっと周囲に目をやる。その時、大きく睦月の顔が歪んだ。 「お前のそういう所が嫌なんだよ!!!!」 「へ、ひゃっ」 胸倉を掴まれゴチンッと額がぶつかる。至近距離で俺を睨めつけた。 「いつだって余裕ぶりやがって! そんなに俺のこと興味ないのかよっ。ごっこ遊びに付きあってんじゃねーんだぞ!」 ギリギリと胸倉を締め上げられて苦しい。でも、それよりも睦月の方が苦しそうな表情をしていて訳が分からない。睦月の言う『ごっこ遊び』の意味も。 睦月、お前なにか勘違いしてるんじゃないのか? そう思うのに一向に緩まない睦月の手に言葉が吐き出せない。 「お前がやたら記念日を気にしたり、巷で溢れるカップルの真似事を羨ましがっても、実際俺が浮気したところで、お前、何も言わないじゃん。精々、嫌がるフリをするだけ。本当に非難したことってあった? 次の日にはころって忘れてるくせに。お前が言う、『もう気にしてないから』って何? 」 そんな簡単に許せちゃうことなのかよ。 苦々しく吐き出された言葉は重く沈んでいく。胸倉を掴む力も弱々しく、睦月は自嘲気味に笑う。 「お前は、……円は昔からおままごと好きだったもんな。残念だったね、俺はお前の思い描く理想的な彼氏になれなくて。穂高? だっけ、あいつならあんたの理想にぴったりの恋人になってくれるんじゃねぇの、ほんと、」 最後まで聞き終わる前に、睦月の横っ面を思い切り引っ叩いた。 パァン、と乾いた音が鳴り、胸倉から睦月の手が離れる。叩かれるなんて想像して無かったのだろう、睦月は驚いたように目を見開き、今度こそ絶望の表情を浮かべた。 睦月の馬鹿。馬鹿、馬鹿馬鹿、ばか。 「睦月こそ俺のこと、なんも思ってへんやんか」 ボロリと頬を伝う滴と共に呟く。ボロボロと涙を流しながらなんて、なんて情け無いことだろう。でも涙も言葉も一度流れてしまったら止まることを知らない。 「俺が何しても傷付かんとでも思ってたん? お前が浮気するたびに俺がどんな思いしてたなんか知らんくせに、よくその台詞が言えるな」 睦月が俺以外の人に触れているのだと知ったとき、どんなに腹が立って、辛くて悲しかったことか。 「めちゃくちゃ嫌で嫌で仕方なかったけど、聞き分けの良いふりするしかないやん。そうでもしな、睦月に捨てられるって……」 「……は、捨てる?」 「だって、睦月が浮気する相手はいっつも可愛い子や綺麗な子ばっかりやったから! 俺なんか可愛くもクソもない男が睦月にあれこれ言えるわけないやろ! 絶対鬱陶しがられるし、嫌われると思ったから!」 幼い頃からずっと一緒にいて、いつしか幼馴染以上に大切な存在になっていた睦月。 そんな中、睦月が俺を選んでくれたなんて奇跡のようで。 気まぐれでも良かった。だけど、せっかくの奇跡を俺のつまらない我儘で終わらせたくなかった。 「ずっと睦月のこと好きやった。大切な睦月とせっかく恋人になれたんやもん、舞い上がるよ。睦月とだから誕生日や記念日だって祝いたいって思うし、デートにだって行きたい。好きな睦月だから望むことは全部してあげたいし、ずっと笑っていて欲しい。でも、そんなのも全部、ぜんぶ、俺の独りよがりで、空回りだとしたら」 睦月には随分悪いことしたなぁ。 ………ごめんな。 涙交じりにそう言葉にした途端、腕を引き寄せられた。ぼすっ、と睦月の硬い胸板が頬に当たる。 睦月の服が俺の涙で汚れてしまうから離して欲しいと身じろぐが、そうはさせまいと言った風に力強く抱きしめられた。 「なんで、お前が謝んの。謝るのは、どう考えても俺でしょ」 「睦月……ごめん……。でもな……頼むから俺の気持ちは否定せんといて。俺は睦月以外の恋人なんて欲しくない」 「っ、俺だって!」 しゃくり上げる俺の身体を抱きしめる腕に力が込められ、睦月がギリッと歯を食いしばるのが分かった。 「ごめん、円……っ」 耳元で囁かれた小さな声にぱちくりと瞬きを繰り返す。 睦月の身体が震えているのに気付く。そっと背中に腕を回すと、小さく肩が跳ねた。 「俺はお前に無理矢理迫った関係だからお前がいつか俺から逃げていくと思うと怖くて、どうしようもなくて。お前が俺のことどう思ってるか、本当に俺のこと好きなのか疑って、わざとお前の前で見せつけたりしてた。本当、最低だ、クズ、死ねどちくしょう」 「睦月……」 「ごめん、ごめん円。お前は真っ直ぐに俺を愛してくれたのに歪んだ捉え方をして疑心暗鬼になってたのは俺だ。今までどんなにお前を傷付けて苦しめてきたんだろう。本当は俺なんか円の彼氏でいる権利なんて無いんだろうね。分かってる、でも、嫌なんだ。誰にも円を渡したく無い。渡すもんか。さっきはああいったけど、もし、円が俺じゃなく他の奴を選んだとしたら、お前の部屋で首吊って死んでやるつもりだから。ごめんね許して円。俺は円が思っているよりもずっと円に執着してるんだ。円に見捨てられたら俺生きていけないからさ。お願いだ俺を見捨てないで。もっともっと俺を愛して円、円……」 神の前で懺悔する教徒のように泣きながらブツブツと謝り続ける睦月。 懺悔にしては少し不穏だけども、それでも、俺を抱きしめる温もりがどうしようもなく愛おしい。 大切な大切な俺の睦月。 余すことなく俺の愛が伝わればいいのにと思いながら、睦月の胸に顔を埋める。 ──パチ、パチ 「え?」 ふと耳に、小さく手を叩くような音が聞こえてきた。 音の方に顔を向けると、俺と睦月のやり取りを見ていたらしい一人の眼鏡の女性が拍手をしていた。 女性がキリリと真剣な面持ちで控えめに前に出てくる。 「あっ、あの! 仲直り? 出来て良かったですね」 「あ、はぁ……どうも」 そういえば道のど真ん中だもんな、ということを思い出す。途中から周りの人なんて見えてなかった。今更ながらみっともない所を見られたと少し恥ずかしく思う。 「私、二人のこと応援します。色々あると思いますが頑張ってください!」 「えっ……」 応援します、なんて言われると思わなかったから驚いた。 するとその女性を皮切りに周りにいた人々は一様に隣の人と顔を見合わせて頷きあうと、今度は違う女の人が「あ、あたしも!」と元気よく手を挙げ始める。 「うん……、いいんじゃない? 彼氏さんの愛もすっごく感じられるし。浮気? は引くけどぉ」 「だよね、浮気はないよねぇ」 「ビンタ一つで済んで良かったじゃぁん」 ケラケラと笑う女子高生達につられ徐々に周りも笑いに包まれていく。もちろん中には、「げぇ、ホモかよ……」と眉を潜めて鋭い瞳を向ける人もいるが。 威勢のいいおっちゃんが「恋人もう泣かせんじゃねーぞ!」と睦月に投げかけた。びくりと睦月の身体が強張ったので、どうやら周りの目に気付いたらしい。慌てるかと思ったが、涙と鼻血と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を乱暴に袖で拭って背後を振り返り、拗ねたように周りの野次に小さく反抗した。 「分かってるし……。ぐすっ……なに、見せもんじゃないんだけど」 この人たちも別に好き好んでホモの痴話喧嘩を見てるわけじゃないのだろう。いきなり目の前でこんないざこざを見せて悪かったと意味を込めて「どうもご迷惑をおかけしました!」と深々と頭を下げる。いきなり頭を下げた俺に睦月は驚いた顔をしたが、睦月も舌打ちをするとぎこちなく頭を下げていた。 前に曲げた背中に、頑張れよー! と暖かい言葉が掛けられてじんわりと熱くなる。 嬉しい。あんなに隠そうとしてた睦月との関係だけど、少なからず応援してくれる人がいる。まるで世間から俺たちが認められた気分だ。なんて、そう思うのはやっぱり俺だけなのかも。 不安になって隣の睦月の横顔を盗み見る。 ──あ。 目が合った。頬を赤らめ気まずそうに揺れる睦月の瞳に、俺はふっと笑いかけた。 「えーっと睦月? 今からでも良かったらさ、俺と一緒に観覧車に乗ってくれませんか?」

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