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act.4
「……明くん。朝からずーっと気にしとったんやけど」
「ん?」
昼になってもやって来なかったアイツに、哀しみや不安は苛立ちへと変わっていて。そんな自分に向かい合って弁当を広げた横谷が、怖ず怖ずと口を開くのに、同じく箸を持ったまま、キョトン、と首を傾げた。
「何?」
「唇」
「っぇ?」
ぴし、と指さされて、ギクリ、と一瞬思考が停止したのが分かる。
「荒れるで、そんなずっと触っとったら」
「ぁ…………っ……うん、そっか……」
無意識のうちに触れていた唇から、指を離して苦笑した。
「オレ、そんなにずっと触ってた?」
「うん。朝からずーっと」
「……そう」
俯きながら、もう一度苦笑。
だんだんと、唇が熱を帯び始める錯覚に内心舌打ちする。
何度も何度も唇に触れていたのは、そのせいだ。指が離れるたびに、熱いような焦れるような。そんな訳の分からない錯覚に陥るハメになる。
「何かあったん?」
「何が?」
ふぅっ、と小さく溜息を吐きながら返せば、少し躊躇った後で
「藤崎と」
簡潔な一言を寄越してくるのに、首を横に振る。
「もー……嘘吐くなって。モロバレやから」
ぺんぺん、と頭を軽く叩くような撫でるような手の平の向こうで、横谷が苦笑していた。
「健に聞いた」
「何、を……?」
「藤崎がしょげとったって」
「……」
「どないしたん?」
ん? と優しく覗き込んでくる瞳から、そっと目を逸らす。
「明くーん?」
「…………。……オレは悪くないよ?」
「ケンカかいな?」
「ううん、違う」
「……そしたらなんやねん?」
「分かんないけど。……オレのせいじゃないと思う」
項垂れながらの台詞に、ふむ、と納得してるんだかしてないんだか分からない返事。
「…………----告白でもされた?」
「----------------っ」
小さな声で投げられた唐突なその問いに、バカ正直に驚いて目を見張ってしまう。
「図星か」
「なっ……なっ…………っ!?」
言葉にならずにパクパクと口を開け閉めすることしかできない自分の前で、そうかそうか、と納得顔の横谷が微笑していた。
「なんでそれっ」
あわあわと驚きながら放つ問いに、横谷が更に笑みを深くする。
「藤崎の気持ちは、あの顔とか雰囲気とか……そういうんで分かってたから」
「うそ……」
呆然と呟けば、嘘ちゃうよ、と付け足して、さっきまでとは違う優しい笑みを向けてきた。
「……嫌やったん?」
「……」
「…………オレが口挟むことちゃうか」
呟いて、ごちそうさま、と手を合わせる横谷を見つめることしかできなかった。
*****
「……なんや。明くんトコ行かへんの?」
「……それ嫌味?」
いつもならいそいそと弁当を持って明のクラスに行って一緒に昼食にするのだが、今日はさすがにそんな気分にならず、自分の席で弁当を広げていたのだ。
「…………えぇの? それで」
「……何が」
「……オレが口挟むことちゃうけどさ……。そんな拒絶しとったら、明くんが仲直りしたい思ても出来へんやん」
「……」
前の席が空席なのをいいことに、椅子を引いて座った健がそんなことを言う。
「……明は……」
「うん……?」
「…………オレのこと許してくんないんじゃない?」
「……そんなん分からんやん」
溜息混じりに呟けば、眉を寄せてそんな台詞を返してくれる。
「……何したん?」
「………………。言った」
「何を」
「………………気持ち?」
「…………----告ったんかっ」
さすがに小声で。けれど十分驚いたらしい顔に、むっつり黙ったまま頷いてみせる。
「え? それで?」
「……さぁ……」
「さぁって……」
「……嫌われたんじゃない?」
ズキズキと痛い胸には気付かないフリで、もくもくと箸を進めていれば
「アカンやろ、そんなん」
そんな真剣な声が聞こえて、落としていた視線を上げた。
「ハッキリせな」
「……」
「藤崎!」
「…………ヤダよ」
「何でぇな!」
「嫌に決まってんだろ!」
思わず声を荒げてから、クラス中の視線を集めていることにハタと気付いて、気まずさに小さく舌打ちする。
「…………フラれるに決まってんじゃん」
何事もなかったかのように箸を進めながらそう呟けば、バシッ、と頭を容赦なく叩かれた。
「ぃった……何する……」
「アホか! ちゃんと聞いてこいや!」
「……健……?」
「そんなん……2人とも嫌やんか……」
「何、が……」
「ハッキリせな……このままずっと、別れ別れのまんまやんか……」
「……」
切ない声に、ズキリ、と胸が揺れて痛んだ。
「……オレは……なんだかんだ言うて……2人が楽しそうにしとんの見るんが好きなんや」
「健……」
「…………やから、ハッキリせぇ。……だいたい、自分もこのままでえぇやなんて……ホンマは思てないんやろ?」
「…………」
「藤崎!」
「…………----分かった」
*****
「----明」
「ゆう、と……」
どうせアイツは一緒に帰ってくれないんだろうな、なんて思いながら同じ班の横谷と掃除をして、ついでに一緒に帰ろうとしていた矢先のことだった。
下駄箱で靴を履き替えているところに声を掛けられて、顔を上げる前にそんな掠れて震える声を出していた。
「……一緒に、帰っていい?」
「ぁ……」
思い詰めたような表情と声とに、言葉が喉の奥に引っかかって出なくなってしまう。
オロオロと片足だけ履き替えた靴とアイツを交互に見ていれば、ぽん、と優しく肩を叩かれて顔を上げた。
「ヒロ……?」
「一緒に帰り」
「……ヒロ……」
縋るような声だと、自分で思ってから。
苦笑しながら首を横に振った横谷をじっと見つめる。
「そんな顔せんと。……嫌やろ、明くん。今のままは」
「…………ヒロ……」
「藤崎待っとるよ。はよ靴履き替えんと」
優しい声に促されて、のろのろと靴を履き替える。
「……健、もう帰ってもた?」
「…………いや……」
「そしたらオレ、健と帰るから」
「ヒロ……」
ひらひらと手を振って、来た道を歩いていってしまう背中を呆然と見つめる。
「…………明……」
「っ……」
「……帰ろ」
「…………うん」
いつも通りとはほど遠い。それでも昨日とは違う穏やかで優しい声に、ようやく頷いて、ぱたぱたと駆け寄って
「…………ゆうと……」
「ん?」
「…………結人」
「うん」
「……」
「……明」
何も言えずに黙り込めば、そっと名前を呼ばれて顔を上げた。
「……ゴメンな」
「----っ」
「……行こ」
「……うん」
謝る声が切なくて。その顔も瞳も痛いほどに苦しそうで。
息がしにくいような錯覚を感じてから、緩く首を振る。
「…………明」
「……うん」
「……オレ……」
「……うん」
「オレ、は……」
隣を歩くアイツの緊張が感染ったみたいに体が強ばっていく。
「……オレは……」
「………………----オレ」
このまま聞いていると泣き出しそうで。
訳も分からず口を開いた。
「結人のこと好きだけど……それは違くて……。だけど、好きだし……でも違うから……」
「あきら……」
「----どうしてっ」
涙声で呟いた。
「どうして、そんな風に……」
「ごめん。……でもオレは明が」
「違う」
言葉を遮ってから、痛そうな顔をする結人から目を逸らして俯いた。
「どうしてそんな…………オレより傷ついた顔すんの?」
「っ……」
隣で、息を呑む気配。
それには構わずに言葉を続ける。
「ズルイよ結人は。……オレ……オレが、嫌だなんて言える訳ないじゃん」
「明……」
「ズルイよ……なんで……。……オレより傷ついた顔すんなよっ……」
「あき」
「あんなこと急にされて! ビックリして……っ……どーして嫌じゃないんだよっ」
「…………明?」
思わず悲鳴のように吐いた台詞に、結人の声の調子が変わった。
けれど、それに気付く余裕もなく、
「オレはぁ……今のこの……こーいうのがぁ……好き、なんだよっ。……ゆーとが隣りにいんのなんかもう……当たり前だし……。いない方が……調子狂う、し……もう……訳分かんないっ」
苛々と呟けば、結人がそっと笑うのに気付く。
「……結人?」
ムッとしながら呼べば、ごめん、と呟いてから、くしゃ、と笑う。
「……一個だけ、聞いていい?」
「何?」
優しくて穏やかで、それでも少しだけ強ばった声に、キョトンと返す。
「……嫌じゃなかったって…………オレが、……その……キス、したの……嫌じゃなかったって……本当?」
恐る恐る放たれた声に、意味が分からずこっくり頷いた。
「ビックリはしたけど……嫌じゃなかった」
「……明」
嬉しそうな声。
「何だよ?」
「オレのこと好き?」
「……だからぁ……もう、そんなんどーでもいーじゃん。……オレらさ……そんなん要らないくらい近いでしょ」
「…………あきら……」
「……好き、とか……当たり前じゃん」
「……明……」
結人の顔中に広がっていく喜びに、照れくさくなってそっぽ向いた。
「……突然キスとか、は……もうヤメて欲しいけど……。……でも、…………一緒にいられないのはもっとヤダ」
「明……」
「……1人、は……やっぱり淋しいよ」
「------------明」
ぎゅぅ~っ、と抱きつかれて、驚きながらも。
その肩が震えていることに気付いて、苦笑しながら頭をポンポンと叩くように撫でてやる。その仕草は昔、よく結人がしてくれていたのだと気付いてから苦笑を深くした。
「バカゆーと。……もうオレのこと泣き虫って言うなよな」
「っ……あきら……」
聞こえてきた涙声に小さく笑ってから、
「…………ずっと傍にいたいから、そういう好きは要らない」
もう一度キッパリ呟いて、揺れた肩にそっと触れる。
「----ゴメン」
「明……」
「……でも、ヤじゃないよ、結人。キスも……こーやって、ひっついてるのも」
「……明」
「…………このままでいよ? わざわざ、そういう好きに、なる必要ない」
泣き濡れた瞳を見つめながら呟いてから、一番言いたかった一個を笑って付け足した。
「……結人の好きは……ちゃんと受け取っとくから」
その先に進むのが恐かったのは事実。
今の関係を壊したくなかったのも事実。
だけど。
甘えてたのが一番の理由。
だって、そんなことになると思ってなかったから。
いつまでも、“これから先”を二人で歩いていけると。
バカみたいに信じて、当然だと思ってたんだ。
責めて良いよ。
怒って良いよ。
オレのこと、嗤って良いよ。
だけど。
これってお前のせいでもあるんじゃない? なんて。
思うのは卑怯かな?
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