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act.7

 いつもと変わらない、暑苦しいような朝だった。  違うのは、自分の部屋だけだと言うことを、敢えて考えることはしなかった。 「…………ごめん……」  *****  一泊二日の少ない荷物を持って部屋を出ると、心配と申し訳なさみたいなものを浮かべた母親が立っていて。  何かを言いかけて口を開いた後で、結局は何も言わずに 「なくさないでね」  そう呟いて、何かを握らされる。  開いた手に乗っていたのは、東京行きの新幹線の切符だった。京都発のそれを、黙って財布にしまい込んだ時 「気を付けて」  紡がれた言葉が、ごめん、と言っているような気がした。 「遅いっ」 「ぇっ!?」  ドアを開けて一歩。  外へ出た途端に声を寄越されて、思わずギクリと顔を上げる。 「ビックリした?」  その先で、明が楽しげに笑っていた。  本当はとてつもなくギクっとしたのだけれど、全然、と笑い返す。 「早いね、今日は」 「もちろん。もうさー、二時間くらい前に起きてさー。準備万端でさー、出発までめちゃくちゃ余裕だったんだー」  楽しくて仕方ないような顔をするのに、つられたように笑い返す。  さっきまでの鬱々とした想いが、たちまち消えていくのが解る。  せっかくの旅行なんだから、全部忘れて楽しめばいい。せっかく、----最後、の旅行、なんだから。  明がこんなにも楽しそうにしてるんだから、自分も楽しまないと意味がない。  その後で自分がしてしまう罪のことは、もう。  今だけは、忘れてしまおう。  全ての罪への罰は、後からいくらでも受けるから、と。  今のこの時間を楽しむことに、許しを請うように一度目を閉じてから。 「----行くかっ」 「んっ」  太陽の下で楽しげに笑う明を、目に焼き付けた。 *****  いつも笑ってて。  オレが隣にいなくても。  ちゃんと泣いてね。  慰めてあげられないけど。  たまには嫌だって言ったり、怒ったりしなきゃダメだよ。  お前、全部抱え込むから。溜め込むの、よくないからね。  あと、ちゃんと朝起きなきゃダメだよ。  もうオレ、起こしに行ってあげられないからね。  あぁ、そうそう。  ……なるべくなら、待っててくれる?  待ってて、なんて言える立場じゃないって、解ってるから。  だけど、ちょっとだけ待ってて欲しい。  オレ絶対、きっと戻ってくる。  その時も、絶対明のこと好きだよ。約束出来るもん。  オレ、絶対明のこと好き。  だから、ごめん。  行くね。  明の顔見たり、声聞いたりすると、そのまま一緒に、帰っちゃいそうだから。  ホントごめん。  迷子にならないで、ちゃんと帰るんだよ。 「……ごめんな……」 *****  残された。  たった一人。  誰もいない部屋。  乱れたベッド。  痛い体。  愛し合った証。  ----なのに。  愛し合った君は、いない。  大好き。なんて。そんな言葉で縛り付けて行くつもりだったの?  ずっと好きだなんて。誰が保障してくれるの?  ねぇ。分かってる?  オレは、何一つ。お前の口から聞いてないんだよ?  たとえば、そう。  どうしてオレに、一言も言わなかったのか、とか。いつかまた帰ってくるのか、とか。どこへ行くのか、とか。  そういう大事なこと、全然聞いてない。  言うだけ無駄だと思った? 言ってもしょうがないと思った?  だけどオレは。  お前のそのやり方に、傷ついたんだよ。  お前はオレを、大事だって。大切だって言ってたけど。  本当に。そう思うなら、言ってけよ。  オレ、怒ったから。  傷ついたから。悔しかったから。悲しかったから。淋しかったから。  全部、失くしたと、思ったから。  お前のことなんて----  夏休みの思い出。  去年の思い出。  一昨年。  中学、小学校、幼稚園。  全部全部、消えればいい。  お前なんて、知らない。  もう、お前なんて、----知らない。 *****  目が覚めると、見慣れた天井があって。ぼんやりしてると、声が聞こえてきた。 「明。早くしないと遅刻するよ」  優しい声。懐かしい声。愛しい声。  確かこうやって、起こしに来てくれたんだ。  ドキドキしながら布団の中で待ってると、廊下を歩く音が聞こえてきて。  かちゃ、と静かにドアが開く。  次に覗くのは、アイツの、優しい---- 「明」 「……」  呼ばれた時に、夢が覚めた。  起こしに来たのは、なんてコトはない。母親だった。  でも一体、誰を待ってたんだろう、なんて上手く働いてくれない頭をフル回転させるけど、霞が掛かったように思い出せなくて。  ぼんやりしてたら、とうとう怒られた。 「新学期早々遅刻したらどうするの」  部屋の隅に転がった旅行鞄に首を傾げながら、慌てて身支度を整えて家を飛び出した。  朝のSHRが終わった後の短い休み時間。  眠りが足りなかったのか、思わずうとうとする所に、健が駆け込んできた。 「明くんっ」 「ぇ? あー……健、おはよー」 「おはよぉ。……って、違うがな!」 「何ー?」 「なんや、どないしたん?」  健の様子に、ヒロまでが近付いてくる。  何? と二人して健に視線を向ければ 「藤崎が転校ってどういうことなん!?」 「えぇっ!? 転校!?」  今度は逆に、二人から視線を向けられる。  同時にクラス中がこっちを向いたような気がしたけれど、苦笑しながら首を傾げた。 「なんのこと?」 「いや……だから、藤崎が転校したって聞いたんやけど……なんでなん?」 「……」  同じ問いを繰り返されて、どう答えていいものかと悩むところにチャイムが鳴った。 「ぁ。健、戻らんでえぇんか?」 「あ、ぁ……うん。戻る」  また来るわ、と去っていく姿を見送りながら、欠伸を噛む。 「ほら、ヒロも自分の席戻んなよ」 「うん……」  席に着くまでに何度も振り返るヒロには、気付かないフリで眠い頭をフル回転させる。  藤崎……って……誰?

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