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act.8

 ゆっくりゆっくり、時間が過ぎてく。  足りないのが何か、とか。欲しいのは何か、とか。  考えてるヒマはたくさんあったけど。  敢えて考えなかったのは----。  *****  ざわざわざわざわ。もう、うるさいったらありゃしない。  たかだかあの男が転校したってだけで、なんでこんなにも騒いでるんだよ。平和な学校だなホントに。  廊下のあちこちで、特に女子がざわめいてるのに心の中でそんなコトを呟きながら、彼の居るクラスに向かう。  自分は1組。彼は10組。端と端に別れてるのと、普段はあの男がいたせいで、ほとんど近づけなかったけど。  ホントは普通に仲も良いし、前はよく遊んでたんだ。  こんだけ騒ぎになってると、彼はきっと、女子の総口撃くらってるはず。あの男と、一番仲良かったんだし。  焦ってない、みたいな余裕の表情浮かべつつ、今にも走り出したいのを堪えて。  たんたんと歩いて10組の教室に入る。  やっぱり、色んなヤツに囲まれてる彼に 「明くん」  久しぶりに声を掛けた。 「……朔弥くんっ」  顔を上げた彼は、驚いたみたいな顔をした後で、前みたいに優しくて嬉しそうな、いっぱいの笑顔をくれる。 「久しぶり、元気だった?」  イスから立ち上がってパタパタ走り寄ってくる彼に、笑みを見せつつ。取り残された連中が、つまらなそうな顔して散らばっていったのを確かめる。 「元気だよ。明くんこそ元気だった?」 「元気だよぉ」  無邪気な笑顔は、変わらないはずなのに。  どこか腑に落ちないのは、気のせい?  しばらく近くにいなかった分、君の感情の変化に疎くなったのかも知れない、なんて思いながら。  暴れる心臓を押さえつけて、冷静を装いながら 「……結人くんが、転校したんだって?」 「結人……」  ゆっくりと口を開いて紡いだ名前に。  キョトン、とした顔をした後で。 「……ぁあ、そっか! そうだそうだ」 「……明くん?」  思い出したそうだそうだ、なんて楽しそうに笑う彼を、さすがに怪訝に見つめる。 「どしたの?」 「ん? ……あのさ、朝からずーっと、聞かれてたんだよ。藤崎が転校したけど本当か? って」 「……うん、それで?」  やっぱり、なんて内心舌打ちしながら先を促せば、うん、と苦笑した彼が 「藤崎って誰だっけ? とか思ってたんだけど、今思い出した。結人だよ、結人」 「…………明くん?」  それ本気で言ってるの? と聞こうとしたセリフは、彼の偽ることのない笑顔の前に、飲み込まざるを得なかった。 「思い出したって……忘れてたの?」 「うん、うっかり」 「……そりゃ明くんは忘れ物大王だけどさ……」  思わず呟けば、何それ、と怒ったように笑う彼に、ごめん、と呟く。 「でも……一番、近くにいたでしょ?」 「オレ? 藤崎の? ……うーん、そうだっけなぁ……」 「…………」  けろりと返ってきた言葉に、もう訳が分からなくなってくる。 「あれ? もしかして朔弥くんも藤崎の転校のこと、聞きに来た?」 「……いや……、うん、まぁ……そんなとこ」 「そっかぁ。でも、オレ知らないよ? 健が言うには、親の仕事の都合なんだって」  大変だよなぁ、なんて他人事のように呟くのに、そうだね、と返す。  震えそうになった声を、取り繕うのに必死で。  その時の彼が、本当は泣きそうな顔をしていたことなんて、気づけなかった。  閉じこめるんだ、胸の奥の方に。  簡単に取り出せないくらい、奥の方に。  そうやって、押し込めて押し込めて、ずーっと奥の方。  思い出さなくて良いんだ。  そうすれば、苦しまなくてすむから。  思い出さないようにするんだ。  そうすれば、悲しまなくてすむから。  みんなに変な顔されたっていいよ。  そのくらい、あの時の傷の痛みに比べれば、全然マシ。  なぁ、お前怒る?  こんなオレのこと、怒る?  だけどさぁ、全部お前のせいだよ?  一人トボトボ帰る、帰り道。  何か物足りない、なんだっけ? 誰と一緒に帰ってたっけ?  そんな風に首を傾げながら、でもまぁいっか、なんて思ったりもする。  今日は久しぶりに、朔弥くんに会えた。  朔弥くんは頭がいいから、数人しか受けない特進クラスを受験して、受かってて。だから、ずっと、離れたクラスで。  ずっとアイツと一緒にいたから、会わなくても淋しくなかったんだけど。  そんな風に考えてから、また、あれっ、と思った。  アイツって誰だっけ?  やな感じ。解んないのに、誰かのこと欲しがってる。  もやもやする。誰? ぼやけた顔した、霞がかってる、アイツって。  オレもついにボケてきたのかなぁ。それとも、今流行りのアルツなんとか? あぁ、この名前思い出せない時点でヤバイよ。  そんな風に、違うこと考えて笑い飛ばしてから。  ふと、立ち止まって取り返った。 「…………いないの?」  いつも隣にいて、笑っててくれた、アイツは。  ホントにもう、どこにも。 「……いないの?」  泣きそうになって、焦る。  誰だかも解んないヤツのことで、泣いてどうするんだよ。  ふるふる頭を振ってから、家までの短い距離を駆け出した。  忘れたことを、後悔なんてしない。  忘れようと思ったことを、後悔することもない。  ただ、アイツがいないこと。  ただ、アイツの秘密に気づけなかったこと。  後悔するとすれば、そんな、一番最初の所。  ただいま、も言わずに家に上がり込んで、部屋に駆け込む。  乱暴にドアを閉めた後で、ずるずるとドア伝いに座り込んだ。  立てた膝に顔を埋めて、何かに耐えるみたいに、じっとしてたら。  こんこん、てドアをノックされて 「明、帰ったの?」  うん、と呟いたら、ただいまくらい言いなさい、って怒られた。  何か今日は、朝から怒られてばっかだな、なんて思いながら。うん、ごめん、って笑いながら返す。  ホントにもう、って呟く声と足音が遠くなっていくのを聞いて、ホッと溜め息を吐いた。  持て余すほどの激情が過ぎ去って、ぽっかり穴が開いたみたいな寂しさだけが残った胸を抱えたまま、ゆっくり立ち上がって窓に歩み寄る。  窓を開ける。  程よく海が近いせいか、生臭いような潮の匂いが入ってきて、目を細めながら。  目の前にある、隣の家の窓を見つめた。 『明』  急にそんな風に呼ばれた気がして、オロオロと周囲を見渡したけれど、どこにも誰の姿もなくて。  胸の奥の方が、ズキズキした。  痛くて、立ってられないくらいで、もしかして変な病気かも、とか弱気になったけど。  さっきの声、知ってる気がする、と思ったら。  急に痛みは消えてった。 「………………ゆうと……」  無意識に呟いてから、窓を閉めた。 ***** 「……明、元気かなぁ……」  濁った空の下で、呟いた。  曇ってるのかと思ったら、これで晴れてるらしい。  明石の空は綺麗だったんだな、とか。  明石にはいつも、潮の匂いがしてたんだな、とか。  離れてから気付いた。  だけど、そんなことは慣れてしまえばどうってことないんだと思う。  どうってことないのは、思い出すと胸がズキズキ痛いのは、もっと違うこと。  あんな風に明のこと置き去りにして、あの後明はどうしたんだろう、とか。  あの書き置きに、気付いてくれたかな、とか。  それより、なにより。  元気かな、とか。  離れてほとんど時間なんか経ってないのに。  もう、こんなにも明のことが。狂おしいくらいに、欲しくて。  ポケットをごそごそ探って取り出した、空色の石。  たぶん、割れた瓶の欠片が、川の流れで丸くなって出来たであろうそれを、空に透かし見る。  これをくれたのは、明だった。  小さい時とかじゃない。旅行に行った時、我慢出来ないみたいな顔した明が、いきなり靴を放り出して、ばしゃばしゃ川に入って行った時に見つけて、オレにくれた。 『ゆーとー!!』 『なに、どうした!?』 『あげるー』 『へ?』 『旅行に誘ってくれたお礼』  ぽいって。投げられて。  慌てて掴んだ手のひらに。乗ってたのがこれ。  暑さも忘れるほどの涼やかな景色と。太陽みたいに眩しくて、だけど見ずにはいられないくらい、元気な明の笑顔と。  思い出して、ゆっくりと笑った。  楽しくて、大切で、大事で。  そういえば、この石の色はあの日の空の色に似てる、なんて思ってから大事に大事にポケットにしまい込んだ。  離れても繋がってる心。  オレは、そんな子供だましを切に信じてたんだ。

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