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act.9

 それにしたって住所とか、それが無理なら連絡先とか。  教えていってもバチ当たらんかったんとちゃうん?  オレら、知らんで。そこまでフォロー出来ひんよ。  全部全部君が悪いとは言わへんけど。  でも、それでも。  オレら、知ってるもん。  あの子がどれだけ、傷付いて、哀しんでたか。  *****  あの子が転校していった後のざわざわは、中間テストが始まるくらいまで続いてて。  その間中、明くんは可哀想なくらいにみんなからの質問攻めにあってた。  朔弥くん曰くの総口撃。  でも、明くんは泣きもせんと。それこそいつも通りに笑いながら。 「だからぁ、オレに聞かないでって」  そうやって笑ってた。  その顔は、誰も何も聞けなくなるくらいに、壁を感じる笑顔やった。  性懲りもなく近付いてくるヤツらを蹴散らすためにオレら三人は、涙ぐましいくらいの努力をした。って言うてたら、健に大袈裟やってどつかれた。  でも、明くんは相変わらず、笑ってた。 「オレ気にしてないんだから、いいよ?」  それは、構わんと放っとけ、って。  言うてるみたいに見えた。  独りにしてくれって、言うてるみたいにも見えた。  でも、それに怯んだら負けやと思った。  ホンマに明くんを一人にする訳にはいかんと思った。  傷付きやすいのに、それを隠して一生懸命に笑う子。可哀想なくらいに、強がる子。  負けず嫌いなんはえぇけど、もうちょっと、オレらにも頼って欲しいな、って思ったりもしたけど。  そう言う健気な強さに、あの子は惹かれたんかもしれへん。  そう思ったら、ちょっと照れた。  あの子の、明くんを見る目を思い出したら、訳も分からんけど、照れた。  だってもう、蕩けるんと違うかなって。思うくらいに優しい目をしてたから。  そんなあの子に、無条件に甘えてた明くんも、その目はいつもよりも柔らかい色をしてた。  この子らは、ずっと一緒なんやろうなって、思ってた矢先の転校で。訳解らんのに。  加えて明くんは、全部忘れてた。  全部、言うたら語弊がある。  ただ、あの子とずっと一緒におって、愛し愛され、誰よりも強い絆を持っていたことを、忘れてた。  朔弥くんが言うにはたぶん、そうせな生きていかれんかった、らしい。 「自己防衛、だと思うよ」 「自己防衛?」 「何それ」 「………………保健の時間に習ったでしょ」 「……そうやっけ?」 「オレ保健の時間寝てるしなぁ」 「……」  大袈裟に溜め息吐かれて、健と二人で縮こまるしかなかった。  朔弥くんとおると、自分のバカさ加減を改めて気付かされる。  大まかに説明してもらった後で、とりあえず開いてみた保健の教科書。確かに授業でやったはずやのに、初めて読むみたいな文章を、健と二人で顔付き合わせて読んだ後で、納得した。  自分を保つために、全部忘れた。  そう思うと、明くんの笑顔が痛々しく思えてしょうがなくて。  だからもう、明くんを絶対に守らなアカンと思った。  今思うと、もしかするとちょっと恋やったんかもしれん。  そう言ったら、健に本気顔で止められた。 「ヤメとけ。藤崎に知れたら、お前……本気でボコられんで」 *****  オレの字じゃない文字を譜面の中に見つけるたびに、首を傾げた。  しかも何枚もあるそれは、それでも耳に覚えのあるメロディーで。  えらく癖のある、お世辞にも綺麗とは言えないその字に、懐かしささえ覚えながら、ゆっくりとなぞる。  小さくメロディーを紡ぎながら、あれ? と思うのは。自分がメインじゃなくて、ハモを歌ってること。  独りで歌うのに、メインもハモもないだろう、と思うのに。  明らかにメインのメロディーじゃなくて。  よく譜面を見てみると、歌詞は自分の字だけど、コード進行は他の誰かの字だったりして。  じゃあ、オレは誰かと一緒に歌ってた? でも誰と。  首を傾げるといつも、メロディーが聞こえてくる。  それは、さっきまで自分がハモっていた歌だったり、違う曲だったりしたけれど。  覚えのある懐かしい声だった。  だからもう、何にも難しいこと考えないで、聞こえてくる音に負けないようにハモってやる。  そうすると、覚えのある声が、笑うんだ。 『そんなおっきい声出すと、おばさんに怒られるんじゃないの?』  そんなことないよ、と返そうとすると、必ず下から怒られた。 「明! 声が大きい! もう、ご近所迷惑でしょう」  ビックリするのと同時に、その懐かしい声もメロディーも何処かへ姿を消してしまう。  お母さんの声の方が近所迷惑だよ、と思って部屋を出るのは、最近の習慣みたいなものだった。  ゆっくりと外を歩きながら、今にも泣き出しそうな空を見上げる。  雨が降るかも知れない。  傘を取りに帰った方が良いかも知れない、なんて考えは一瞬頭を掠めたけれど。  別に良いか、とあっさり諦める。  急がずに家の近くの公園に入って、隅に植わっている樹齢何十年、なんていう大木に足をかけた。  最近、この木に登って、近付く空を見上げるのが好きだった。  慣れた動作でよじ登って、空に一番近い場所で太い枝に腰を下ろす。  投げ出した足をブラブラさせながら、灰色の空を見つめる。  アイツのいる場所も、雨なのかな。  思ってから、はた、と気付く。  アイツって誰だよ、だから。  もう苦笑しか浮かばない唇を噛んでから、耳の奥の方に残ってるメロディーを口ずさむ。  ぽつり、と何かが顔に当たった気がしたけれど、気のせいだと決めつけて、歌い続けた。  届くように。  忘れないように。  ここにいることを、教えるために。  ずっとずっと、本当は心の底から、愛していると言うことを、伝えるために。  この空を伝って、溶けた想いが届くように。  葉に当たる雨音に消されないようにと、声を大きくしながら。  頬を、雨とは違う、温かいものが伝っていくのには、気付かないフリをした。  *****  長い長い時間だった。  傍に温もりを感じられないその時間は、永遠とも思えた。  離れてもこうして、笑っていられることが不思議で、息をしていられることも、不思議だった。  だけど、きっと今こうしているのは、いつか君に逢うためだと思った。  いつかまた君に逢おうと思ったら、こうして、息をして、密かに生きていなければ。  君の温もりを思い出しながら、ゆっくりと笑いながら。  そうして、生きていなければ、君にまた逢うことさえ不可能なのだと。  言い聞かせるように3年間。  忙しさと寂しさの中で何度も何度も喘ぎながら。  それでも精一杯、生きていた。  君とまた、笑い合えるように。  君とまた、時間を共に出来るように。  君との時間を、支えに、耐えてきた。  これが、もしかすると、あの時の罪の罰なのかもしれないと。  思ったらよけい、苦しくなった。  あの時のオレの手ひどい裏切りが、君をそこまで傷つけたのだとしたら。  辛くて辛くて、泣きそうだった。  だけど、君は。  残酷なまでに。あの時と変わらない笑みを、その唇に浮かべるんだね。 「………………あぁ、久しぶり?」  そんな言葉が聞きたくて、わざわざ帰ってきたんじゃないよ?

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