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act.10

 待ち望んだ合格発表。たぶん、同じ場所にいた誰よりも、合格を望んでた。  ダメでももう、絶対こっちの予備校に通ってやるとさえ思ってた。  目的は、ここにくることじゃない。ここに、この場所に、還ってくること。  握りしめた受験票。ぐちゃぐちゃになってるのを慌てて伸ばして、確認した番号。 「…………あきら……」  泣きたいくらい、今君に逢いたかった。  *****  合格発表は、直接受験した大学に見に行くか、パソコンで見るか、郵送を待つかの3択。  だけど、交通費がかかるとか、待ってればその内解るとか、そんな悠長な気分になれなかったのは多分。  もう、アイツに会いたくて逢いたくて仕方なかったから。  どうしようもなかった。  3年なんてもう、長すぎた。  化石になるかと思った。  何回も帰りたくなったけど、その度に踏みとどまった。  帰ったら、もう二度と、あの場所を離れたくなくなる。  アイツの傍から、離れたくなくなる。  そう思うと、帰れなかった。  親に電話することも、友達に電話することも忘れて、走り出してた。  せっかく皺を伸ばした受験票が、また手の中でぐちゃぐちゃになってたけど、もう構わなかった。  逸る胸。  転けそうなくらいの勢いで走りながら、近くの駅に駆け込んで、券売機にわたわた小銭を落とす。  もう、心臓がハレツすると思った。  走った勢いと、高鳴りとで、きっとたぶん、アイツに逢った瞬間に弾けるんじゃないかと思うくらいに。  電車が、明石の駅に向かう間中、心臓はバタバタと荒れていた。  アイツに会えると思うだけで、嬉しくて堪らないのに。  胸の奥に一つだけ、小さな小さな不安が影を落としてた。  アイツは、オレのことを許してくれるのかな?  あんな風にアイツを残してきたオレを、許してくれるのかな。  急速に冷えていく胸の内では、違う意味で心臓が暴れ出してた。  緊張とか、不安とか、だけど嬉しいキモチとか。  荒れ狂う。  どうすればいいのか、解らないくらい。  震える手で切符を改札に通して。  ゆっくりと歩き出した街は、あの頃と変わらずにそこに在った。  帰ってきたんだと、実感しながら空気を吸い込む。  排気ガスの匂いじゃなくて、潮の匂いが胸に入ってくる。今日は天気が良いせいか、潮は生臭くなく、爽やかで清らかだった。 「………………あれ?」  ふと。  後ろの方で声がしたけれど。気にせず歩き出そうとした行く手を、二人組に遮られる。 「藤崎?」 「は?」  何だよ、と思って睨み付けようとする前に、そんな声。  キョトンと見上げた先で、なんとなく懐かしい顔。 「………………健と……ヒロ?」  呟けば、二人は。  本当に嬉しそうな笑みを顔に浮かべた。 「藤崎やんかっ、何してんのんこんなとこで!!」 「いや、帰ってきた」 「マジでぇっ!? うわぁ、ビックリしたなぁ」 「ホンマやで。おっとこ前なったなぁ」  なんだよそれ、なんて笑い返す。  以前と変わらない彼らが嬉しくて、凝り固まっていたらしい心が解れていくのが解る。 「帰ってきたってことは……大学はこっち受けたとか、就職でこっち来たとか?」 「うん、大学。さっき合格発表みてきたんだよ」 「おっ、マジで。おめでとうさん」  うん、ありがと、と笑ってから。  ふと、思いついて聞いてみる。 「明、元気?」 「……そうや! 自分なんでやねん」 「は? 何、急に」 「転校するて、なんでさっきに言わへんかったん。めっちゃビックリしたんやで」  オレの質問には答えないのかよ、なんて苦笑しながら、たった一言聞いただけで暴れ出した心臓に、落ち着けと言い聞かせる。 「あぁ、うん……だってさ……なんか……しんみりするの、ヤじゃない?」 「アホか。もう、君はホンマにアホですね」 「…………なんだよそれ」  さすがにムッとしながら言ったけれど、二人して顔に影を落とすのが解る。 「…………なんかあった?」 「……明くん……めっちゃ傷付いてたんやで」 「……」 「……明くんな……。……たぶん、ずっと……泣いてたんと、違うかな……」  二人の言葉の一つ一つが、痛くて痛くて仕方なかった。 「……笑ってたよ、明くん。ガッコでずっと。……なんで藤崎転校したんやって、女子に囲まれながら。知らんって、笑っとった。……泣きもせんと、怒りもせんと。もの凄い綺麗に笑っとった」 「オレら、何にもしてあげられへんかった。……あの後明くん、独りだけ浮いてもて……。……オレらが話しかけたら、前みたいに笑ってくれるんやけど……基本的に独りで行動してたし……。……いつか壊れるんちゃうかって……心配したくらい」  何も言えなかった。  言う資格なんてナイと思った。  言い訳も、何も。  する気にもならなかった。  胸が痛い、だなんて傲りだと思った。  エゴだった。  もう、家に帰りたいとさえ思いながら、その弱さをふるい落とす。 「…………あきら、は……。……今日は、家、かな……」  震えてるのを隠すことさえ出来ずに聞けば、たぶんそうちゃうか、と二人が呟く。  会った時の明るさなど何処かに吹き飛んで。  暗い表情のままで別れる、その間際に 「……でも、やっぱり……藤崎に逢えて、嬉しかったわ。……これからも、逢えるんやったら、たぶん、もっと嬉しい」 「……健……」 「オレもやで」 「…………ありがと。オレも、嬉しいよ」  そんな、泣きたくなるようなセリフを呟き合った。 *****  いつものように木の上で。  近くなった空を見つめる。  最近ではもう、ここで寝ることさえ出来るほど、この場所に馴染んでいて。  今日もうとうとしていたら、ふと、下の方で声がした。 「………………あきら」  知ってる声だと思った。  懐かしい声だとも思った。  だけど何よりも、狂おしいほど愛しい声だと思った。  そして、記憶の中にある声だと、思った。 「…………誰~?」  ドキドキする胸を押さえつけて、寝ぼけた声を出すと、がしっ、と音がして。  驚いて体を起こすと、男が一人、頑張って木に登ってくる途中だった。 「………………なに、して……」 「お前……ここ……好きだよな……」  にっこりと、笑う瞳の奥が揺れてるような気がしたのは、気のせいだろうか。 「…………そうだね」 「昔から……よく……ここ、来てたでしょ」 「……うん、来てたね」 「…………ごめん、手、貸してくれる?」 「……」 「久しぶりだからさ、感覚、掴めてないのよ」  苦笑する顔に、そっと手を伸ばした。 「…………ありがと」  笑った顔。  思い出す。 「藤崎?」 「うん、そう」  今頃気付いたの? 笑う声が、震えてる。 「………………あぁ、久しぶり?」 「……うん、久しぶり」  とうとう隣にまで登ってきた藤崎を、しげしげと見つめる。 「どしたの? 転校したんじゃなかったっけ?」 「うん。でも、帰ってきた」 「なんでまた?」 「…………こっちの大学、受けて、受かったから」 「ふぅん、おめでとう」  さっきから、胸の中が可笑しいんだ。  なんか、痛いくらい苦しいのに、切ないくらい愛しくて。  だけど、許せないくらい恨めしくて、今すぐ泣き出したいくらいに優しい気持ちだった。 「……なぁ、明……」 「何?」 「ごめん」 「……なんで急に謝んの?」 「だって、怒ってんでしょ?」 「何を?」 「……オレが、黙って行ったから」 「何の話?」  ぐるぐるしてる。  胸の中とか頭の中とか。  どうしていいのか解らないのに、妙に冷静な自分もいる。  このまま、なにも思い出さなくていいんだ。  そう言ってる。 「……勝手に、転校したこと」 「……別にオレに断っていくコトじゃないでしょ?」 「…………明?」 「何?」  怪訝な表情。  なんで? なんでそんな顔するんだろう。  何よりも、どうして。  コイツはこんな風に、オレと話そうとしてるんだろう?  これじゃあまるで……オレ達が凄く親密な仲みたい。 「どしたの?」  藤崎の声が震えた。 「何が?」  オレの声は震えなかった。  絶対的な温度差。  感じたのはオレだけじゃないはず。 「………………ごめん」  呟いた藤崎は、それだけ言ったら、苦労して登ってきた木を、下り始めた。 「…………」  何も言えずに見送りながら、ふと。  耳の奥でメロディーが鳴り始める。 「………………ふじさき?」 「ぇ?」  下りかけの中途半端な格好で見上げてきた藤崎に、 「……オレのこと、知ってるの?」  そう聞く。  そしたら不意に、藤崎は痛そうな顔をした。 「知ってる。……いっぱい……明のことは、知ってるつもり。……色んなコト、知ってるつもり」  苦しそうな声だった。 「……じゃあ……この曲も知ってる?」 「ぇ?」  首を傾げた藤崎に、歌ってみせるのは。  山ほど見つけた、誰かと一緒に作った曲の中でも、自分が一番好きだと思った曲。  そしたら藤崎は、目を見張った後で。  泣きそうな顔しながら、ゆっくりと口を開いた。  その音と声は、いつも耳の奥で鳴っていた声で。  今度は、オレが呆然と見つめ返すことになった。  ゆっくりと、また登ってきた藤崎は。 「…………明、ひとつ、教えて?」 「うん?」 「……オレのこと、解ってるよね?」 「藤崎、でしょ?」  オレの答えに、ちょっとだけ顔を顰めてから。  ポケットをゴソゴソ探って。 「……覚えてる?」  ゆっくりと、手を広げた。 『ゆーとー!!』 『なに、どうした!?』 『あげるー』 『へ?』 『旅行に誘ってくれたお礼』  唐突に浮かんだのは、夏の風景。

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