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act.11
暑い暑い夏だった。
だけど、一番幸せな夏だった。
封じ込めておくには勿体ないほどに、キラキラ輝く、大切な夏だった。
*****
旅行に行こうと言い出したのが結人で、京都がいいと言ったのがオレだった。
新幹線なんて高い乗り物には乗れるはずもなくて。新快速に乗って、1時間ちょっと。
近代的な駅に降り立ってから、キョロキョロお上りさんみたく見回して。
恥ずかしいなぁ、とか言い合いながら、どうにかこうにかバスに乗り換えたり、私鉄に乗り換えたりして。
楽しかった。すごく。
目に見えるもの全部、キラキラしてるようにさえ思えた。
夏の暑さなんてもう、どうでも良くなるくらいにはしゃいでた。
たくさん笑って、色んなものを見て。
夏休み最後の思い出が、文字通り最後の思い出になることなんて、思いもせずに過ごしてた午後。
人の少ない川辺を歩く内に堪らなくなって、靴と靴下を手に飛び込んだ川。
「明っ、何してんの急に」
「いーじゃんもう、ずーっと我慢してたんだってば」
「……」
「ゆーとも!!」
「ぅぁっ、おまっ……オレ靴はいたままなのに!!」
「いーじゃん」
「もう……」
苦笑する結人を、引っ張り込んでから。
ばしゃばしゃ走り回る。
ふと、太陽の光に何かがきらりと光ったのに気付いて。
ゆっくりと歩み寄って、そっと手を伸ばす。
「…………きれー……」
つかみ取ったそれは、空色に輝く石だった。
きっと、川の流れに流されて、それでも形を残してきた、瓶の欠片。
川縁で、文句言った割には楽しそうな顔してた結人を、大声で呼んだ。
「ゆーとー!!」
「なに、どうした!?」
急な声に驚いたらしい結人が、駆け寄ってくるのに笑ってみせる。
「あげるー」
「へ?」
キョトン、とした顔で立ち止まった結人に、ぽいっ、とそれを放り投げた。
「旅行に誘ってくれたお礼」
笑いかけると、手を開いた結人が、青さを認めてにっこりと笑う。
「ありがと」
空の眩しさの下で、石を翳して笑う結人に、気恥ずかしいようなキモチを覚えながら、笑い返した。
「大事にしろよー」
「ん」
こんなちっぽけな石のかけら、大切にする高校生なんていない、なんて思ったけど。
結人は酷く大切そうに、それをポケットの中にしまいこんだ。
「ありがと」
もう一度呟いた結人の瞳が、一瞬揺れたような気がしたけど。
次の瞬間には、いつも通りに笑っていた。
「ところでさ。どーすんの?」
「何が?」
「ズボンの裾、濡れてるよ?」
「…………結人なんて靴までびしょ濡れじゃん」
「これは、明のせいでしょ。無理矢理引っ張り込むから!」
笑う結人に、笑って見せた。
「大丈夫。すぐ乾くよ。こんな暑いんだから」
楽しい楽しい旅の終わりは、案外呆気なく訪れた。
体を繋いだことから来る負担が、身体中を軋ませる音に目を覚ますと、結人は姿を消していた。
しょぼいホテルの、机の上。
置かれた一枚の紙切れ。
怠い躰を引きずって、よれよれと手に取ったそれに、愕然としたのを、今でもハッキリと覚えてる。
『ごめん明。黙ってたことがあるんだ。
オレは、2学期から東京に行くことになった。
ホントにごめんな。
でもオレは、絶対に明のことが好きなんだってこと、忘れないで欲しい。
このまま、東京行くけど。
でも、オレは。
明が大好きだよ。』
見慣れた、癖のある字。
東京に行くことになった? なんだよそれ。一言も聞いてない。
黙ってたコトがある? ごめん? そんなんで許せると思ってるの?
何考えてんの? なにこれ。昨日のは、なんだったわけ?
お前、嬉しいって言ったじゃん。
こんな幸せでどうしようとか、バカみたいなこと言ってたじゃん。
何これ。どういうこと?
ふざけないでよ、ホントに。
いい加減にしろよ。
ちょっと待てよ。
どうしろって言うんだよ。
忘れないで欲しい? 都合の良いことばっか言うなよ。
「ふ……ぅっ……っ」
今すぐ、抱き締めてもくれないくせに。
今すぐ、慰めてもくれないくせに。
今すぐ、笑い返してもくれないくせに。
「ゆうと……ッ」
こんな泣いてること、気付かないでいるくせに。
こんな淋しく思ってること、知らないでいるくせに。
こんなにも、哀しくて痛くて苦しくて悔しくて。
どうしようもないキモチでいること、知りもしないで。
都合の良いことばっかり。
「…………ふざけんな……」
低い声が聞こえた。
ギクリとして見つめた先で、俯いた明が肩を震わせていた。
「あきら……?」
呟いた名前に。
顔を上げた明の。
頬を伝うのは、綺麗な綺麗な涙。
「あき、ら……」
「何しに帰ってきたんだよっ」
睨み付けてくる瞳の、弱々しさにずくりと胸の奥の方が痛む。
「あきら……」
「オレのこと放ったらかして、勝手にどっか行って! ……帰ってきた? どういうつもりだよっ」
喚いて、掴みかかってきた明の手は。
弱々しくシャツを掴んだ。
「……どういう、つもり……ッ」
胸に、こてん、と。
頭突きするみたいに凭れてくる頭。
「……明……?」
癖で髪を梳けば、ぎくり、と肩が揺れた。
「……優しくすんなよ」
「あきら……」
「どうせ、また……オレのこと放ってどっか行くんだろ……」
「行かない」
「行くよっ。……結人は、……オレのこと、置いてった」
強い声が遮って、頭が離れていく。
覗き込むように睨み付けてくる瞳には、力はなかった。
「……あきら」
何かを言おうとして、だけど言葉を見つけられずに。
ただ、3年経っても華奢なままの体を抱き締めた。
「やめっ」
「オレは! もう、絶対どこにも行かない。……明のこと、独りにしたりしない。……ずっと、傍にいるよ」
「嘘っ」
「嘘じゃない」
「嘘だよっ……そんな……そんなこと言ったって……どうせまた……置いてく」
大人しく腕の中に収まりながらも、必死で抵抗しようとする明を、宥めるように強く抱く。
「置いてかない。……何のために、こっちの大学受けたと思ってんの? 明のトコに、帰ってくる理由、作るためでしょ?」
「……」
「……明の傍に、いたいんだよ」
ずっとずっと、伝えたかった言葉に、全ての想いを込めて呟く。
あの時だって、オレに力さえあれば、ずっと傍にいた。離れずに、傍に。
「……明」
ぎゅっ、と。力を入れて。抱き締めて。
明の肩に顔を埋める。
「ずっと、明に逢いたかった」
呟きに、明の体が震える。
「………………ゆーと」
小さな声。
何? と返せば。
抱き締めていた体が、逆に抱きついてきた。
「明……?」
「オレがっ……どんな想い、でっ……いままで……ッ」
「ごめん」
「連絡先もっ……どこにいるのかも……っ……ちょっとくらい、知らせてこいよっ」
「ごめん」
「……もっ…………っバカゆーとっ!!」
「ごめんってば」
きつく抱き締める。
結人、結人、と。
繰り返される名前。
狂おしいほどに切ないその声が、じわじわと胸に染みていく。
どれだけ傷つけただろう。
どれだけ哀しませただろう。
どれだけ淋しい思いをさせただろう。
何度ゴメンと謝っても足りないような気がして、ただ抱き締める力を緩めずにいた。
明が泣きやむまでの長い長い時間。
綺麗に晴れた空に近い、大きくて優しい木の上で。
「……明……」
3年間、ずっと。呼びたかった名前を、呼んでいた。
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