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第9話 Dr.T
「──さい、…ター、…ド…クター…起、…て…ド……ター……起きてください、ドクター」
「──……、」
肩を叩かれ、何度も呼ばれる。まだ重い瞼をどうにか開くと、光が眩しい。
こんなにも蛍光灯が眩しいと感じたのは久し振りだ。
大学時代、卒業論文を夢中になって書き上げた日の朝に、泥の様に眠って以来だ。
防護服もマスクも身に付けていないベティの姿を遅れて認識すると、眉尻を下げる彼女と目が合った。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、」
覚醒し切らない頭がまだ起床を拒み続けている。
綺麗なゴールドの髪が顔を覆てしまっていて、表情は見えないが腕の中で確かにルディが眠っていて、猶更まだこうしていたい。
だが、そうも言っていられない。
何故なら私が研究者だからだ。
そして、彼にとって私は加害者になってしまったからだ。
一刻も早く、データを確認しなければならない。そして一刻も早く試薬を完成させなければならない。
「ドクター、シャワーを」
「……わかってる」
がびがびの下半身が不愉快だ。見なくとも分かる。
──私とルディ、どちらのものとも判別出来ない体液のせいだ。
ルディを起こしてしまわないように細心の注意を払いながら体を起こす。
まだしつこく疲労感は残っているが、幾分マシになった。
ベティはナーシングカートを壁際に寄せて私に背中を向けている。全裸の私を直視しないようにだろう。
「ベティ、すまない。ルディのケアと、シーツを変えてやって欲しい」
「はい、ドクター」
「……あれから、どれだけ経った」
「53時間で、フェロモン値の沈静を確認しました」
「──……ありがとう」
三日三晩立ち入るなと言ったが、ベティはパソコンで数値を注意深く監視し続けたのだろう。彼女はそういう性分だ。
53時間。私の予想より遥かに早く、短い。
だがしかし、ルディにとっては大きな負担になった筈だ。
前髪を掻き上げ、ぐしゃぐしゃに搔き乱した後で、研究室に隣接されたシャワー室に向かう事にする。
部屋を出る直前に振り返ると、黙々と処置を進めるベティの奥で白く細い足が見えた。
今更ながらに、自業自得にも関わらず、圧し掛かってくる罪悪感に圧し潰されそうだ。
ルディの意思など確認もせず、嫌がるのを無視して、研究の為に────。
いや、彼は治験者だ。
殺しさえしなければ、医療行為と偽って拷問の様な事さえしなければ、無暗矢鱈に無駄な実験さえしなければ、何をしても良い事になっている。
例え、この事が他のドクターにバレようと、例え理事の耳に入ろうと、私が罰せられる事はない。
たった一つだが、成果も出た。
予想していた72時間前後のヒートの継続は見られなかった。約20時間も早くヒートを鎮める事に成功した。
その理由を正確に突き止めさえすれば大躍進だ。
恐らく私が推測していたセリンプロテアーゼによる効果だ、それを証明する事が出来れば。
実験は確かに成功した。
ルディを姦するに至った理由は、注入する為の多量なαの精液を入手するのが困難だったからだ。
だから、敢えてヒートを起こしたルディに無防備な状態で接触し、直接──。
だが、本当にこれで良かったのだろうか。
人として。
目覚めた時、ルディは一体何を思うだろう。
私の顔を見て、恐怖を露にするのが目に浮かぶ。
重い溜息が零れた。
更に私を追い詰めたのは、シャワーを浴びる為にコックを捻った時に目に入った、右手についた無数の引っ掻き傷。
ルディがしがみついたと見られる上腕や二の腕には、青黒い内出血も見られた。
左手にも同様に。
浴室内の鏡に写る胸にも。
体を捻ると、肩や背中にも赤い線が走っていた。
「……クソ、ッ」
思わず壁面のタイルに拳を叩き付ける。
顔を歪め、目を閉じると暗闇の先にノイズと共に浮かぶ──。
自我を失っていても、機能していた目が映し出していた景色。
その時は正しく認識されなかったが、確かに脳に伝達されていた情景。
怯える顔。苦悶に満ちた表情。
止めて、と二の腕を掴み、もう嫌だと胸を引っ掻く。
それでも無理矢理、自分の意思とは反して快楽の中へと突き落とされ、喉を反らして絶頂を迎える──ルディ。
意識を飛ばしても尚止まらない律動と、落ちた意識を引き上げる快楽に錯乱して逃れようと藻掻く。
不意にブルーの瞳に私の顔を映して、救いを求めてしがみつく。
だが信頼している筈のドクターが奈落のような深い快楽に何度も何度も突き落とす。
何度しがみつこうと、何度だって快楽地獄に蹴落とす──。
そんなイメージが、浮かぶ──。
と、同時に精を吐き尽くした筈の下半身が熱く頭を擡げるのが、嘆かわしかった。
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