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第9話 祓戸の神⑨悪評

 お礼を言いに来てくれたバッグの彼女を見送った、そのあとのことだった。 (こんなところにゴミが……)  店の前に転がっていた紙くずを拾い上げ、詩はその場に固まる。 「……これ……」  嫌な予感を覚えながら、ぐしゃぐしゃになっている紙を広げた。  カサカサという乾いた音。胸の中に渦巻いていた嫌な予感が、おびえと不快感に変わった。  それはあのフリーペーパーの表紙……詩自身の写真だった。 「詩、どうした」  ドアチャイムを響かせ、祓戸がふらりと店から出てくる。 「ああ、うん。なんでもないよ」  詩は慌ててポケットに、その紙くずを押し込んだ。 「詩……」  ソンミンならごまかせたかもしれない。けれども祓戸はすべてを見透かすような目をしていた。 「俺にうそや誤魔化しがきくと思うか? 俺にはお前の心の色がわかる」  そうだった、この人はこれでも神さまだ。  詩はポケットの中の紙くずを出し、そっと彼に渡す。 「ミンくんには言わないで。これが店の前に落ちてたんだ」  祓戸は渡されたものをちらっと見て、状況を察してくれたらしい。 「なるほど、地味な嫌がらせだな。けど、お前が出てくるところを狙って捨てたなら、まだ近くにいるはずだ」 「……え?」  心臓がドキッと鳴った。  祓戸はさっと辺りを見回し、小走りで店の前から離れていってしまう。 「祓戸?」 「ちょっとその辺を見てくる」  和服姿の背中が答えた。  *  そのあと祓戸は戻ってこず、そのまま二日が過ぎた。 「なんで来てくれないんだろう……」  夕方。ブルーマウンテンの瓶を眺め、詩はため息をつく。 「え、もしかして……来てほしいと思ってたんですか!?」  鼻歌交じりに食器を片付けていたソンミンが、驚いたように目を見開いた。 「ここのところ毎日来てたのに、来ないと心配になるよ」  それもあの紙くずの件があるからだ。ソンミンには言えないけれど。 「来たって別にいいことないじゃないですか。コーヒー代、払わないんだし」 「それはまあ、そうだけどね」  詩は小さく笑って、止まっていた拭き掃除の手を動かし始めた。 「それにしても、お客さん来ませんね」  ソンミンがぼやく。 「そうだね。今に始まったことじゃないけど……」  でもおかしい。フリーペーパーの効果があってもいいはずなのに。新規客がほとんど来ないというのには、何か理由があるのか……。  詩は戸棚にしまっていたフリーペーパーを引っ張り出し、店の記事に目を走らせた。  書いてあることに特におかしな点はない。  閉じて再び表紙を見る。 (あ……)  ぐしゃぐしゃにされていた紙くずを思い出し、一瞬だけ呼吸が乱れた。  あれはおそらく、詩への悪意と警告だ。だとしたら……。 ポケットからスマホを出し、飲食店のレビューサイトを開いた。 「ああ、やっぱり……」 「どうしたんですか店長、顔色が悪いですよ」  ソンミンがカウンターの向こうから飛んでくる。 「それ……!?」 「ごめん、ミンくん……」 「なんで店長が謝るんですか!」  そこには店に対する酷評が投稿されていた。  店は古くて汚いし、何より店長が高圧的。閉店間際に行ったら追い返された。要約するとそう書いてある。 「これっ、この前の割引券の人が……!?」 「たぶん違う」  怒りを爆発させそうになるソンミンを慌てて押しとどめた。  あの客が不満を持つなら、店長に対してでなく店員にだろう。文面と合わない。 「だったら誰がこんな」 「これ……、店に来たことがない人じゃないかな? だってうちは掃除命で……」  そうなんだ。詩はまめな性格で、掃除には手を抜かなかった。そして店の建物は蕎麦屋の時代からだから古いけれど、中は三年前に改装していて新しい。  店内に入ったことがある人間ならば、店が古くて汚いなんて思わないはずだ。 「だったら逆恨み?」  ソンミンがつぶやいた。  それで詩は気がつく。 「そうだ。フリーペーパーを見て、僕の素性に気づいて」 「え、あのバッグの女の人?」 「違う……、それを考えるならむしろ逆だ」 「そうか、バッグを盗んだ方の!」  ソンミンが言ったのと、店のドアが開いたのとがほぼ同時だった。 「詩、待たせたな」  息を乱して入ってきたのは、ここ数日見かけなかった祓戸の神だった――。

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