11 / 62

第11話 祓戸の神⑪神棚のひと

「何言ってるんですかてんちょー!」 「詩お前、人がいいにも程があるだろ」  詰め寄ろうとするソンミンと祓戸を、詩がやんわりと手で止めた。 「何も、善意で言っているわけじゃないんです。僕だって正義の味方でもなんでもない、商売繁盛を願うただの商売人ですから……」  詩はカウンターの内側に戻り、ハンドドリップでコーヒーを入れ始める。 「うちのコーヒーは特別美味しいわけでもない、ごく普通のコーヒーです。でも豆は自分の目で確かめていいと思うものを仕入れていますし、道具のメンテナンスもしっかりしているつもりです。掃除も自分なりに頑張っています。うちは特別な日に来るような店じゃなく、普段使いのほっとする店を目指しているので」  祓戸もソンミンも、そして男も、何も言わずに詩を見つめていた。  詩は湯気の立つカップを男の前に置く。 「できました、調布ブレンドです。ミルクとお砂糖はお好みで」  男がカップと詩の顔とを見比べた。 「レビューの星の数がいくつかは、僕が決めることじゃないと思います。でもこれを飲まれたら、ぜひ実際の感想をお書きください」  視線の圧に負けたのか、男はコーヒーの熱と苦みをミルクで薄め、勢いよくのどに流し込んだ。  今度は詩の方が呆気にとられてそれを見つめる。  男は豪快に飲み干したあと、口元をそで口で拭った。 「わかったよ。この前のレビューを消せばいいんだろ?」  男は尻のポケットからスマホを取り出し、その場でレビューを消してみせる。 「ありがとうございます」  詩は心の中で息をついた。 「それで俺は警察に行けばいいのか? 黄泉の国は遠慮したいんだが……」  男に視線を向けられ、祓戸が困ったように詩を見る。 「警察じゃなくて、同じ通りの居酒屋さんじゃないですか?」  祓戸に代わって詩が答えた。 「居酒屋?」 「ええ。あなたはこの前、お代を払い忘れたはずです」 「…………。ああっ、忘れてた忘れてた」  男は苦笑いで言いながら、ふらりと店を出ていった。  張り詰めていた場の空気が緩む。 「てんちょー……」  ソンミンが気の抜けた声で言って抱きついてきた。  詩は抱きしめ返して背中をたたく。  その向こうから詩を見ている祓戸の顔には、ほっとしたような笑みが浮かんだ。 「ありがとう、祓戸……」 「今のは俺じゃなくて詩自身の手柄だろ」 「でも、あれからあの人を探してくれてたんでしょ?」  ここ数日顔を出さなかったのは多分そういうことだ。  祓戸は肩をすくめてみせる。 「天網恢恢(てんもうかいかい)()にして()らさず、ってな」 「けどあの人、本当に居酒屋さんにお金を払いにいったんですかね?」  疑問を口にしたのはソンミンだった。  店の窓から外を見ても、もう男の背中は見当たらない。 「どうだろうね」  詩は笑ってカウンターにもたれかかる。 「僕には未来のことはわからないけど、あの人もあの感じだと多少は懲りたんじゃないかな。まだ黄泉の国には行きたくないみたいだし」  それから詩は祓戸を見た。 「“黄泉の国へ送る”は脅し文句としてどうかと思ったけど」 「普通に物騒ですよね。人間なら脅迫罪とかに当たりますよ」  ソンミンも同意する。 「けど……、酷評レビューから店を守ってくれてありがとうございます。あなたが疫病神じゃなく、コーヒー代くらいは働いてくれているってことがわかりました」 「おっ? お前も俺にコーヒーを出す気になったのか」  祓戸が得意顔で返す。  ソンミンはその問いには直接答えず、詩の方へボールを投げ返した。 「店長、いいんじゃないですか? 彼の望み通り、コーヒー1杯くらい神棚に供えてあげても」 「そのこと、考えたんだけど……」  詩が鼻の頭をかく。 「神棚にコーヒーを上げるのはやめておく」 「ええっ、なんでだよ!?」  祓戸が声をあげた。 「だってそうしたら、あなたは店に出てこなくなるじゃないですか。祓戸、僕はできれば、あなたの顔を見たい」  視線が絡まり、祓戸がぱくぱくと息を継いだ。 「詩、おまっ……、神を誘惑してどうすんだ!?」 「いえ、別に深い意味はありませんけど……」 「なんだそれっ!? 無自覚か!」  きょとんとしている詩の頭を、祓戸がわしわしとなで回した。 「ちょっと! ふたりだけでいい雰囲気になるのはやめてくれません!?」  ソンミンがすねた顔をする。 「だいたい、なんですかその手は! 店長に気安く触らないでください。この人は店のマスコットでみんなのアイドルで、何割かは僕のものなんですから」 「詩は俺のだろ。俺にせっせと貢いでるんだし」  貢ぐって、神棚のお世話のことだろうか。  詩は苦笑いでふたりの間に割って入った。 「はいはい、ふたりともケンカしない。そろそろ会社帰りの人たちが来る時間だよ」  18時を過ぎると近くのオフィスビルから流れてくる人たちで、店も少しは忙しくなる。  街灯に灯りが灯るのを目の端に見ながら、詩は白いカップをみがき始めた――。

ともだちにシェアしよう!