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第11話 祓戸の神⑪神棚のひと
「何言ってるんですかてんちょー!」
「詩お前、人がいいにも程があるだろ」
詰め寄ろうとするソンミンと祓戸を、詩がやんわりと手で止めた。
「何も、善意で言っているわけじゃないんです。僕だって正義の味方でもなんでもない、商売繁盛を願うただの商売人ですから……」
詩はカウンターの内側に戻り、ハンドドリップでコーヒーを入れ始める。
「うちのコーヒーは特別美味しいわけでもない、ごく普通のコーヒーです。でも豆は自分の目で確かめていいと思うものを仕入れていますし、道具のメンテナンスもしっかりしているつもりです。掃除も自分なりに頑張っています。うちは特別な日に来るような店じゃなく、普段使いのほっとする店を目指しているので」
祓戸もソンミンも、そして男も、何も言わずに詩を見つめていた。
詩は湯気の立つカップを男の前に置く。
「できました、調布ブレンドです。ミルクとお砂糖はお好みで」
男がカップと詩の顔とを見比べた。
「レビューの星の数がいくつかは、僕が決めることじゃないと思います。でもこれを飲まれたら、ぜひ実際の感想をお書きください」
視線の圧に負けたのか、男はコーヒーの熱と苦みをミルクで薄め、勢いよくのどに流し込んだ。
今度は詩の方が呆気にとられてそれを見つめる。
男は豪快に飲み干したあと、口元をそで口で拭った。
「わかったよ。この前のレビューを消せばいいんだろ?」
男は尻のポケットからスマホを取り出し、その場でレビューを消してみせる。
「ありがとうございます」
詩は心の中で息をついた。
「それで俺は警察に行けばいいのか? 黄泉の国は遠慮したいんだが……」
男に視線を向けられ、祓戸が困ったように詩を見る。
「警察じゃなくて、同じ通りの居酒屋さんじゃないですか?」
祓戸に代わって詩が答えた。
「居酒屋?」
「ええ。あなたはこの前、お代を払い忘れたはずです」
「…………。ああっ、忘れてた忘れてた」
男は苦笑いで言いながら、ふらりと店を出ていった。
張り詰めていた場の空気が緩む。
「てんちょー……」
ソンミンが気の抜けた声で言って抱きついてきた。
詩は抱きしめ返して背中をたたく。
その向こうから詩を見ている祓戸の顔には、ほっとしたような笑みが浮かんだ。
「ありがとう、祓戸……」
「今のは俺じゃなくて詩自身の手柄だろ」
「でも、あれからあの人を探してくれてたんでしょ?」
ここ数日顔を出さなかったのは多分そういうことだ。
祓戸は肩をすくめてみせる。
「天網恢恢 疎 にして漏 らさず、ってな」
「けどあの人、本当に居酒屋さんにお金を払いにいったんですかね?」
疑問を口にしたのはソンミンだった。
店の窓から外を見ても、もう男の背中は見当たらない。
「どうだろうね」
詩は笑ってカウンターにもたれかかる。
「僕には未来のことはわからないけど、あの人もあの感じだと多少は懲りたんじゃないかな。まだ黄泉の国には行きたくないみたいだし」
それから詩は祓戸を見た。
「“黄泉の国へ送る”は脅し文句としてどうかと思ったけど」
「普通に物騒ですよね。人間なら脅迫罪とかに当たりますよ」
ソンミンも同意する。
「けど……、酷評レビューから店を守ってくれてありがとうございます。あなたが疫病神じゃなく、コーヒー代くらいは働いてくれているってことがわかりました」
「おっ? お前も俺にコーヒーを出す気になったのか」
祓戸が得意顔で返す。
ソンミンはその問いには直接答えず、詩の方へボールを投げ返した。
「店長、いいんじゃないですか? 彼の望み通り、コーヒー1杯くらい神棚に供えてあげても」
「そのこと、考えたんだけど……」
詩が鼻の頭をかく。
「神棚にコーヒーを上げるのはやめておく」
「ええっ、なんでだよ!?」
祓戸が声をあげた。
「だってそうしたら、あなたは店に出てこなくなるじゃないですか。祓戸、僕はできれば、あなたの顔を見たい」
視線が絡まり、祓戸がぱくぱくと息を継いだ。
「詩、おまっ……、神を誘惑してどうすんだ!?」
「いえ、別に深い意味はありませんけど……」
「なんだそれっ!? 無自覚か!」
きょとんとしている詩の頭を、祓戸がわしわしとなで回した。
「ちょっと! ふたりだけでいい雰囲気になるのはやめてくれません!?」
ソンミンがすねた顔をする。
「だいたい、なんですかその手は! 店長に気安く触らないでください。この人は店のマスコットでみんなのアイドルで、何割かは僕のものなんですから」
「詩は俺のだろ。俺にせっせと貢いでるんだし」
貢ぐって、神棚のお世話のことだろうか。
詩は苦笑いでふたりの間に割って入った。
「はいはい、ふたりともケンカしない。そろそろ会社帰りの人たちが来る時間だよ」
18時を過ぎると近くのオフィスビルから流れてくる人たちで、店も少しは忙しくなる。
街灯に灯りが灯るのを目の端に見ながら、詩は白いカップをみがき始めた――。
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