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第21話 疱瘡の神⑨こころ

「何それ……!?」 「人ならぬ者の匂いがする。誰かが詩の中に埋めていったのか――」  祓戸がそれを握りつぶそうとする。だがその物体はミチミチと音をたてながら抵抗し、彼の手をすり抜けた。 「くそっ!」  その時、開いていなかったはずの窓から強い風が吹き込んだ。 (え――?)  何者かが外側から窓枠に片足をかける。 「返せよ、俺の心臓」  和装をしたあばた顔の若い男――以前詩が、駅前広場のベンチのところで声をかけた男だった。 「お前か! 詩にちょっかい出してるのは!」  祓戸が彼をにらむ。  心臓が床の上を跳ねていき、男がそれを拾い上げてから祓戸を見た。 「祓戸の神か。詩には俺が先に(つば)をつけたんだ」 「もともと俺の氏子(うじこ)だ! 勝手に唾つけんなっ」 「気に入ったのに」 「お前に気に入られたら迷惑なんだよ、人間は!」  二人の視線が、詩を挟んで火花を散らした。  詩が聞く。 「祓戸、彼を知ってるの?」 「ああ。やつは疱瘡(ほうそう)の神だ。天然痘(てんねんとう)を引き起こす神だとして人から恐れられてきた。その後、人類は天然痘を撲滅したがな……」  確か少し前にワクチンが開発され、流行の心配がなくなった病気だったと、詩は思い出した。  駅のベンチでひとり酒を飲んでいたのはそのためか。この神は多分、孤独なんだと思う。 「寂しくて僕のところに来たの?」  詩が疱瘡の神に問いかける。  しかし答えたのは祓戸だった。 「バカ、こいつの殺した人間が、黄泉の国にはゴマンといるぞ? 寂しいなんてことがあるもんか」  彼が腰の剣を抜く。 「情けをかけたって、ロクなことになんねえ……。詩にちょっかい出すなら、俺がお前を黄泉送りにする!」  狭い寝室に、気迫の嵐が吹き荒れた。 「面白い」  疱瘡の神は背負っていた弓を取る。 「俺様を消せるモンなら消してみな!」  彼は鳥のように窓辺から飛び去った。  それを祓戸が追いかける。 「あっ、待ってふたりとも!」  詩は窓辺に駆け寄る。  夜の空に、いく筋もの閃光が走った。  どっちがどっちを攻撃しているのか。疱瘡の神が放つ矢の、弓なりに伸びる軌跡からかろうじてそれがわかる。  となると短い光の筋が祓戸のものなのか……。 (どうしよう、このまま見ていていいの……!?)  何もできないまま、詩の胸にはあせりと不安が広がり続ける。  自分は祓戸の勝利を願っているのか? それもわからない。  疱瘡の神に対し、特別な恨みがあるわけじゃない。  そもそもなぜ病が神になるのか……。  森羅万象(しんらばんしょう)に神々は宿る。人がいなくても神は存在するのかもしれない。  けれど人から見れば、神は祈りの対象として存在している。  だったら相手が悪しき神でも、願いを込めて祈るのが、神への作法であって共存の道ではないだろうか。 「祓戸……――」  空に向かって呼びかけようとした時、何者かが窓から飛び込んできて、詩の背中を抱きしめてきた。 「疱瘡の神……!?」 「詩、悪い助けてくれ……」 「だ、大丈夫……?」  振り向くと彼は額から血を流している。  そして詩は気がついた。  背中にぴったりと貼り付いた冷たいこの気配を、自分は知っている。  何度も見た夢の中で、詩の腹の中をかき回していた者の気配だ。  あんな一方的な行為の末に、彼は自らの心臓(こころ)を残していったのか……。  ……やっぱり憎めなかった。 「おい、詩から離れろ!」 「祓戸、もうやめて!」  疱瘡の神を追ってきた彼に、詩は懇願する。 「もう彼に戦う意思はないから……」 「そんなやつに(だま)されんな!」  祓戸がこちらに剣を向けるが、詩は(ひる)まなかった。 「騙されてなんかいない。けど……一度くらいなら騙されてあげてもいいと思う……」 「……詩……」

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