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第35話 少名毘古那の神⑨花を咲かせる少年

(このキスに深い意味はないんだよね?)  少名毘古那から離れた詩は、小さく息をついて胸のドキドキを落ち着かせる。 「オニーサンこっちこっち。こっちに美味しいアイスクリームがあるんだよ」  その少名毘古那はキラキラと瞳を輝かせ、詩を手招きしていた。 (もう、切り替え早いな……)  どちらかというと気をつかう性格の詩は、自由すぎる彼が少しだけうらやましい。 「アイスクリーム、オニーサンは何味が好き?」 「うーん、チョコとかバニラとか……わりとなんでも食べるよ」 「ここはね、ストロベリーのが美味しいんだよ。手作りの味がして」 「そうなんだ」  そんな話をしながら歩いていくと、すぐに目的の店に到着した。  アイスクリーム屋かと思ったら軽食も出しているカフェである。 (落ち着いた雰囲気で、居心地がよさそうな店だな)  そんなことを思いながら、詩は少名毘古那とアイスクリームのケースの前に並んだ。 「じゃあ、僕はおすすめのストロベリーにする」 「僕はミルクとブルーベリーとピスタチオと……」 「相変わらずいっぱいたべるんだね……?」  ハンバーガー屋での彼を思い出す。  しかし今回はアイスクリームだ。食べきる前に溶けてしまわないのか?  詩が心配していると……。 「オニーサンにもわけてあげるね♪」  少名毘古那はキラキラの笑顔で言ってきた。  それからひとくち食べて、 「ん~っ、美味し! オネーサン、いっぱい商売繁盛させとくね」 (え、御利益の大盤振る舞い!?)  詩にはその結果が想像できるけれど、オネーサンと呼ばれた店員は不思議そうな顔をしている。  売り上げ計算の時に、腰を抜かさないといいけれど……。 「行こ、オニーサン。河原で食べよ♪」  少名毘古那は両手にアイスクリームを抱えて店を出ていってしまう。 「ああっ、お会計……!」  詩はあわててお金を払い、彼を追いかけた。  *  アイスクリームを食べながら少し歩くと、何分もかからずに多摩川の河川敷に出る。 「いいかぜ~♪」  少名毘古那はスプーンを持った手で伸びをして、土手のコンクリートブロックの上に座った。 「いいお天気だね」  詩も彼の隣に座る。土手に咲く花々が風でいっせいに揺れていた。 「なんの花だろう、小さい紫色がきれい」  詩がつぶやくと、少名毘古那がアイスクリームのスプーンをくるくる回す。 「何してるの?」 「オニーサンにサービス♪」 つぼみがポンポンッと弾けるようにして開いた。  目の前の景色に、小さな紫色が次々と散りばめられる。 「すごい……!」 「えへへ、こんなの朝飯前だよ~」  少名毘古那はくすぐったそうに笑っていた。 「昔は田んぼでこれやると、農家の子供たちがきゃっきゃと笑って喜んでくれたんだよ。今はこの辺じゃ、田んぼも畑もすっかりなくなっちゃったけどね」 「そうだったんだ」  彼の横顔がどこか寂しそうに見えてドキッとする。 「けど、今は美味しいアイスクリームが食べられるし。遊んでいる人がいっぱいいるから悪くないな~」  土手の下では、野球やサッカーをする子供たち、散歩やサイクリングをしている人たちが大勢見えた。 「豊かになったってことなのかな?」  詩は河原の景色を眺めながら、思いを()せる。  他人事みたいに言っているけれど、少名毘古那は神として、人の暮らしを豊かにしてきたんだろう。そして生活は様変わりした。  いいことも、悪いこともあったかもしれない。けど……。 「豊かさっていうのはものや娯楽があふれてることじゃなくて、好きな人と笑顔でいられることだと思うよ」  少名毘古那がそんなことを言ってきて、詩はまたドキリとさせられてしまった。 「そうだね……!」  こう見えて彼はすごい神さまだ。  見つめていると、少名毘古那が顔を近づけてくる。 「……え、なに?」 「なんか、オニーサンにちゅーしたくなった」 「ダメだよ」  条件反射みたいに拒否するものの、輝く瞳に見つめられ、耳の中が熱くなった。 「うそだ、キスしてほしそうな顔してる」 「してないよ」  とはいえ自分の顔は見えないからわからない。 「祓戸とはちゅーとかするの?」 「えっ……」  不意打ちの質問に、思わず何度もまばたきする。 「あれっ、そうなんだ? わかりやすい反応ありがとう。じゃー僕とはもっとすごいことしなきゃね」  少名毘古那がニヤリと笑った。

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