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第42話 疱瘡の乱②神々の死闘

「カフェモカは税込み440円だから、1万円からのおつりは……」  レジからお札を取り出し前を向くと、そこにいたはずの少名毘古那がいなかった。 「えっ、少名毘古那さん?」  霧のように消えてしまったのかと思ったら、すぐにドアベルが聞こえる。  店を出ていくブレザーの背中が見えた。 「待って、お釣り……!」  詩はお札と小銭を握り、彼を追いかけようとする。 「放っておけよ。どうせ詩に構われたいだけだろ」  カウンターに頬杖(ほおづえ)を突き、祓戸が言った。 「だとしても、お釣りを返さないでいるわけにはいかないし……」 「金とか細かいこと気にすんなよ」  普段お代を払わない彼がぼやく。 「じゃあ、カフェモカは今日から1万円にしましょう! 少名毘古那さん限定で」  ソンミンは嬉々(きき)としてそんなことを言っている。 「いや、そういうわけにはいかないから……。僕、行ってくるね? 店番よろしく!」  詩は一歩遅れて店を飛び出した。  すると商店街の入り口をくぐり、大通りに出ていく姿が見える。 「あっ、少名毘古那さん……!?」  足を止め、振り返った彼は微笑んでいた。 「あれ。オニーサンの方から追いかけてきてくれたんだ。めずらしいね?」 「お釣りを忘れてるよ」  彼の前まで小走りで行き、詩は握ってきた釣り銭を渡す。 「お釣りなんてよかったのに。でもありがとう」 「実は、それだけじゃなくて。疱瘡さんのこと、少名毘古那さんは何か知ってるんじゃないかと思って」 「僕が……?」  少名毘古那は心当たりがなさそうな顔をしていた。 「どうしてオニーサンはそう思うの?」 「少名毘古那さんは布田天神の主神でしょう?」 「そうだけど……」 「あと、疱瘡さんとあなたとの間には何かあるみたいに見えるから」 「そのこと……」  彼はようやく思案顔になる。 「そんなに気になるならついてきて」 「ついて? ってどこへ?」  少名毘古那はもう歩きだしている。  詩は店のことが気になりつつも彼を追った。 「前に言ったでしょう? 疱瘡の神は僕の逆鱗(げきりん)に触れて消されかけたことがあったって」 「うん……」  2人は午後の大通りを並んで歩く。 「あいつは江戸時代に、ものすごい猛威をふるってたんだ。明治の頃もヒドかったな……。人間がたくさん死んで、だいぶ悲惨だった。僕の仕事にも影響が出まくりだったよ」 「少名毘古那さんの仕事って?」 「人間を栄えさせること。そのために邪魔になるやつは潰さなきゃならない。あいつが力を失いながらも消えずにいるのは、ある意味、僕の温情なわけ」 「そうだったんだ……」  それならふたりが相容れない関係なのも(うなず)ける。 「とはいえ今のあいつは両手をもがれて生きてるみたいなもんだから、この世から消してやった方がラクかもね? 僕にはそれができるけど、あいつが逃げ回ってるからしないだけ」  そう話す少名毘古那は、ほんの少し凶悪な顔をしていた。  店のカウンターに並んで飲み物を飲む神さまたちは平和そうに見えるけれど、それは彼らのほんの一面に過ぎないんじゃないか。自分たちのあずかり知らぬところでは、人知の及ばない力を使って死闘を繰り返しているのかもしれないと詩は思った。 「けど……」  少名毘古那が続ける。 「あいつがオニーサンの夢に出てこなかったことについては、僕は関わってないよ。あらかじめ知ってたら阻止したと思うけど、昨日は何も知らなかったわけだし」 「……そっか」  だとしたらここで声をかけたのは無駄だったのか。詩は肩を落とす。 「じゃあ、疱瘡さんに会って直接聞くしかないね」 「それなんだけど……」  少名毘古那が詩の顔をちらりと見た。 「……え、何?」 「会えないかもしれない」 「どういうこと?」 「ついてくればわかるよ」 (そういえば、『気になるならついてきて』って言ってたっけ……)  詩は大人しく彼についていくことにした。  ちょっと遅くなりそう、と店にいるソンミンにスマホからメッセージを送る。  少名毘古那はいつもの通りを歩き、布田天神に向かっていた。  鳥居をくぐり、木漏れ日の降りそそぐ参道を行く。 「見てショックを受けないでね」  少名毘古那が前置きした。 「ショック……ってどういうこと?」  聞く詩に曖昧な笑みだけを返し、彼は拝殿ではなく他の神々を(まつ)った(やしろ)へ向かう。  そして疱瘡の神を祀る小さな社を指さした。 (えっ……!?)  詩はその場に立ち止まり、声を失う。  そこにあったはずの石造りの社は、見る影もないほどに粉々に砕かれていた――。

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