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第49話 疱瘡の乱⑨1か月遅れのトリックオアトリート

 疱瘡の神がゆっくりと近づいてくる。 「1か月遅れの“トリックオアトリート”だな、詩」 (……あっ)  こちらへ伸ばした彼の腕から、(うじ)とへどろのようなものがぽつぽつとこぼれ落ちた。  ひざの上に少名毘古那の頭を抱えた詩は、その場から動くことができない。  このホラー的な状況を前に、できることは何もなかった。 「どうした? ずいぶん(おび)えた顔をしてる」  疱瘡の神が詩の目の前に片ひざを突く。  目の高さに来た口元は、薄い笑みを浮かべていた。 「俺が怖いのか?」 「……っ……」  汚れた手が詩の(ほお)をなで、それから顔中をなで回す。 「俺がこんな格好だからイヤなんだよな? それとも元々あまり好きじゃなかったか?」  詩の顔を散々汚した手がゆっくりと離れていった。  それで詩はようやく息ができる。 「そんなことない……」 「ん……?」 「イヤなんじゃない。けど、疱瘡さんがわからないよ……」  詩はいつもと違う彼の中から、本心を探り出そうとする。 「どうしてこんなことしたの? それに少名毘古那さんは疱瘡さんが、病の神をたくさん持ち帰ったって言ってた」  その少名毘古那の神は気を失ってしまったのか、ぴくりとも動かなかった。 「どうしてだと?」  疱瘡の神が聞き返す。 「そんなこともわからないのか」 「え……?」  詩はどう答えていいのかわからない。 「罪だな、詩……。お前が俺に、無責任に“好き”だとか言うからだ」  ――でも、僕は好きだよ?  人間に嫌われていると言う彼に、詩が言った言葉だった。 「お前みたいなやつに好きだなんて言われたら、こっちだってその気になる。けどお前を手に入れるためには、こいつを筆頭に、邪魔なやつらがいるだろう?」  疱瘡の神は、詩のひざの上にいる少名毘古那を目で示す。 「勝つためには力が必要だった。それで俺は黄泉の国に行き、自分の魂と引き替えに穢れの力を手に入れた」 「穢れの、力……?」 「ああ。この穢れを背負っている限り、俺は最強だ」  疱瘡の神が歪んだ笑みを浮かべる。彼の前髪の先を歩いていた蛆が落下した。 (あっ……)  それに気を取られているうちに、詩は顎をつかまれてしまう。 「だから、こんな姿だけど我慢しな」  顎を片手で固定され、強引に唇を奪われた。  ぬるい舌に唇の形をなぞられる。 「……っ、やぁっ……」  詩は少名毘古那を(かば)いながらも、疱瘡の神の胸を押し返した。 「イヤだよ、僕はこんなの望んでない……!」 「だったら何が望みだ! 俺がお前のひざにすり寄って、にゃーんと鳴いてやるとでも思ったか!?」  凶悪な顔をした彼にのどをつかまれる。 「言っただろう、首輪をはめられるのはそっちだって!」  締め上げられる。息が苦しい。  詩の腕をすり抜け、少名毘古那の頭が地面に落ちた。 (少名毘古那さん……!)  ハッとした瞬間。少名毘古那が目を開けて、疱瘡の神の足首をつかむ。 「疱瘡おまえ……いい加減にしろ、人間に乱暴は許さない……!」 「ハッ、死に損ないがッ!!」  疱瘡の神が少名毘古那の体を蹴り飛ばした。 「――グッ!!」 (少名毘古那さんっ!?)  さっきまで動けずにいた相手に何をするのか。  思わず疱瘡の神をにらむが、彼はそのまま詩の体を抱え立ち上がる。 「来い、詩。今日からお前は俺のものだ」  冷たい腕の中、体が宙に浮き上がった――。

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