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第53話 疱瘡の乱⑬想う気持ち

「うわっ、何これ……!?」  詩は思わず声をあげる。  こぶし大の生温(なまあたた)かいかたまりが、手の中でドクドクと脈打っていた。  反射的に投げだしそうになってから、詩はある記憶を思い出す。 (あれ? これって……)  ――返せよ、俺の心臓。 (前に疱瘡さんが僕の中に埋めていったやつだ……!)  ややこしい話だが、彼にとって“心臓”も“魂”も“心”も一緒だったんだ。  生死のない存在である神々にとって、心臓は象徴的なものに過ぎない。  それが象徴するのは魂であり心だったんだ。 「疱瘡さん、こんな大事なものっ、簡単にヒトにあげたらダメだよ!」  詩はついさっき投げだしそうになったそれを、上着のポケットにしまった。  さて、捜し物が見つかったからには、早々に退散しなければならない。  今詩はコソ泥のように他人の家に侵入しているわけだから。  (きびす)を返し、来た時と同じ大岩の隙間に身を滑り込ませようとする。  ところがその隙間から、青白い女の手がにゅっと入り込んできた。 (――え!?)  声にならない悲鳴が漏れる。 「誰だッ!? 私のモノを盗ろうとするのは!」 (ひえええええ!?)  詩は震え上がった。  イザナミだ。この(ほこら)(あるじ)が帰ってきたのだ。  しかも入り口から来られては逃げ場がない。 (待ってこれ、ほのぼの現代ファンタジーじゃなかったの!!?)  ホラーすぎる展開に腰を抜かしてしまった。 「ごごご、ごめんなさい! でもこれっ、疱瘡さんの魂、持って帰っちゃダメですか!?」 「それは私のモノだ!」    青白い手が岩の内側に爪を立てる。  話は噛み合っているようだが、交渉が通じる雰囲気ではなかった。 「盗人めッ、お前の魂も置いていけ!」 「それは困ります!」  見張りをしているはずの疱瘡の神は何をしているのか。 「疱瘡さーん!!」 「あいつなら勝手にかめの酒を飲んで眠っている」  それで詩は今まで知らなかった事実……“酒飲みは当てにならない”ということを知った。  こういう時に当てになるのは……。 「祓戸!? 祓戸助けて、どこにいるの!?」  とっさに声を張るが、神棚のある家の中ならまだしも、黄泉の国であげた声が彼のところに届くはずがなかった。 そうこうするうちに岩の隙間から髪の長い女の上半身が入ってくる。 「ギャーギャーうるさいやつだと思ったら、お前、生きた人間か!」 「ひっ!?」  次の瞬間、詩は早くも彼女にのしかかられる。  さすがにもう命はないと思った。  ところが……。 (え――?)  彼女の後ろで大岩が音を立てて動きだす。 「詩ッ、早く――こっち来い!」  大岩をどけて入ってきたのは、ここにいるはずのない祓戸の神だった。 「祓戸……!?」  彼に向かって手を伸ばすと、イザナミの体の下から引きずり出される。  イザナミが牙を向いた。 「どこの神ダ!?」 「俺は祓戸の神。あんたの旦那が(みそぎ)の時に産み落とした、取るに足らない存在だ」  祓戸は小さく両手を挙げてみせる。 「けど、こんな俺でも氏神として、大事な氏子は守らなきゃなんねえ!」  彼が詩の手首を握り直した。 「ってなわけで逃げるぞ詩……!」 「……えっ!?」 「早く!!」  祓戸に手を引かれるまま祠を飛び出す。  そこに疱瘡の神の姿はなかった。 「待てェ!」  イザナミが髪を振り乱して追いかけてくる。 「盗んだ魂ヲ返せ!」 「返さなきゃダメ?」  詩は彼女を振り返る。 「いいから早く! 脚を動かせ!」  祓戸が急かした。  それから詩は疱瘡の神と来た道を、祓戸の神と一緒に逆戻りする。 「いいか詩、イザナミは黄泉の国から出られない! ここを出られれば逃げ切れる!」 「わかった!」  疱瘡の神のことが気になったが、今は逃げることが先決だった。  ポケットの中では彼の心臓がドクドクと言っている。 (これを持ってればきっとまた、疱瘡さんに会えるよね……?)  詩はそれを祈って走り続けた。  それから光が見えてきて、二人は地上らしきところに踊り出る。 「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」  息が苦しくて、肺が潰れそうなほどだった。  詩はよろよろと地面に倒れ込む。  祓戸が抱き留めた。 「詩……! ここまで来れば大丈夫だ……」  呼吸が落ち着くと、爽やかな森の匂いが胸に満ちる。  周囲は山の中のようだった。 「祓戸……僕、帰って来られた……」 「ああ……よかった……」 「助けに来てくれてありがとう……」  あたたかな腕の中、安堵(あんど)の涙がこぼれた。 「助けに行くに決まってんだろ」  祓戸が笑った。 「お前がどっかで誰かと浮気してても、俺にとってお前は大事な氏子だ」 「浮気って……」  詩は腕の中から彼を見上げる。  祓戸は詩と疱瘡の神との間に、その種の関係らしきものがあったことを知っているんだろうか。  返す言葉に詰まっていると、顎をつかまれ強引なキスをされた。 「んっ!」 「祓戸……」 「俺は好きだ。お前が。誰より……」 「……うん……」  胸がくすぐったくてあったかい。  もちろん後ろめたい気持ちもあった。でも伝えたい。 「僕も祓戸が好きだよ」  背伸びをしてキスを返した。 それからまた確かめるように口にする。 「僕、祓戸のことが好き……うん、大好き」  目が合って笑って、気持ちがとても軽くなった。 誰かを想うことは素晴らしい――。

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