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第54話 疱瘡の乱⑭春になれば

「インドネシアのトラジャ、粒ぞろいがいいなあ……! コスタリカのブラックハニー、これも評価が高いんだよな。買ってみようかな?」  休みの日、自家焙煎(じかばいせん)の店で豆を買っていたら、両手にずっしりとした重さになってしまった。 (うう、買いすぎた……こんなに仕入れてもうちの店、お客さんそんなに来ないのに……)  詩は小さな後悔とともに帰路に着く。  エコバッグの持ち手が手のひらに食い込むのを感じながら歩いていると、脇からひょいっと荷物のひとつを奪われた。 「オニーサン、持つの手伝うよ」  きらりとした笑顔を見せるのは、久しぶりに会う少名毘古那の神だった。 「少名毘古那さん! もう大丈夫なの?」 「なんのこと? 僕はこの通りピンピンしてるけど」  彼はしれっと言って鼻歌交じりに歩きだす。  この前、路地裏で倒れていた時のことには触れられたくないんだろうか。  可愛いけれどプライドの高い彼のことだ。あの日の敗北を認めるつもりはないんだろうなと、詩は推察した。  とそこで、少し前を歩いていた少名毘古那が振り向く。 「それより……オニーサンこそ大丈夫だったの? あいつに何かされなかった?」  あいつというのは、あの日詩をさらっていった疱瘡の神のことだろう。 「何か、されたかな」 「――え?」 「そんなにイヤじゃなかったけど……」 「えええっ?」  少名毘古那はその場に固まり、思案するように視線を泳がせたあと、苦々しげに吐き出した。 「くそっ……! あのヤロー、さっさとひねり潰しておくんだった」  のんびりした平日の昼間に似つかわしくない物騒な物言いだ。彼らしいといえば彼らしいんだけれども。 「僕がイヤじゃなかったって言ってるのに」 「オニーサンがよくても僕がイヤだ!」  少名毘古那が空いた片腕にしがみついてくる。 (せっかく軽くなったと思ったのに、重い……)  彼はぷうっと頬を膨らました。 「オニーさんのおしりは僕のものだ」  昼間の街中で「おしり」なんて言われても困る。詩は思わずすれ違う人の表情をうかがった。  けれどもそれは置いておいて……。 「……ごめん僕、少名毘古那さんは逆側だって勝手に思ってた……」  そのことを白状すると、彼は詩を見上げて含み笑いを浮かべる。 「さあ、それはどうだろうね。試してみる?」 「みません」 「みようよ。僕もオニーサンとベッドでキャッキャウフフしたい!」 (“キャッキャウフフ”……?)  少名毘古那とのベッドシーンは、そんな楽しそうな感じなんだろうか。  ちょっとだけ想像してしまう詩だった。  そんな時――。 「おーい、そこの二人、“密”だろう!」  どこから現れたのか、祓戸が詩と少名毘古那の間に割って入る。 「げっ、祓戸……!」 「げってなんだよ!」 「このお邪魔虫!」 「お前なあ、どっちがお邪魔虫だ」  祓戸が少名毘古那の持っていたコーヒー豆入りのエコバッグを取り上げる。 「さあ、帰った帰った!」 「祓戸のくせに、僕に逆らおうっての?」 「この前助けてやったの忘れたか?」  祓戸がニヤリと笑った。 「クッ、生意気!」  少名毘古那がツンとした表情のまま引き下がる。 (あれ……?)  前は主神である少名毘古那の神の方が優勢だったのに、疱瘡の神の件があってから、祓戸との間にも微妙に力関係の変化があったみたいだ。 「少名毘古那さん荷物運びありがと。よかったら店まで来てコーヒー飲んでってよ」  詩が誘うと、彼は勝ち誇ったような顔をする。 「……だって。祓戸聞いてた?」 「聞いてたよ、うるせえな」 「じゃあオニーサン、荷物運びは下僕に任せて、僕と手えつないで歩こ?」 「下僕って……コラ、くそガキ!」  祓戸の方は怒った態度を見せているものの顔は苦笑いで、本気で怒っているわけではないみたいだ。 (平和だなあ……)  祓戸は結局詩が持っていた、もうひとつのエコバッグも持ってくれた。  こういうところが男前だ。  周囲の景色は、平日でも比較的にぎやかな駅前広場に差しかかっていた。  音楽が聞こえてそちらを見ると、大道芸をする若者の周りに人が集まっている。 「少しは人手が回復したのかな?」  ニュースでは相変わらず少なくない感染者数が発表され続けているけれど、街の雰囲気は以前より幾分か明るかった。 「この冬を乗り切れば、きっといいことあるよね?」  口に出して言うと、商売の神と災いを(はら)う神が力強く(うなず)いてくれた。  そんな時だった。 「あいつ! 疱瘡の神……!!」  少名毘古那が遠くのベンチを指さす。  ベンチのところから遠巻きに、疱瘡の神は大道芸に集まる人々を見ているみたいだった。 「えっ、マジか! あいつ帰ってきてやがったのか!」  祓戸も声をあげ、ベンチの方へ小走りに駆けていった。

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