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第55話 疱瘡の乱⑮そうだ、温泉に行こう
「あっ、待って祓戸! 少名毘古那さん!」
詩も駆けだした二人を追う。
ところが疱瘡の神はベンチから立ち上がると、さっとどこかへ逃げていってしまった。
「くそっ、逃がすか!」
少名毘古那が広場に面した道を指さす。
「あっちに行ったみたいだ!」
彼の指さす方に、疱瘡の神の背中が見えた。
(どうしよう……!?)
詩は困惑しながら神たちを追いかける。
もともと疱瘡の神は少名毘古那の神が苦手だった。
そして少名毘古那の神はどこまで本気か知らないが、疱瘡の神を潰すと言っていた。
彼らがぶつかって、いいことはなさそうだ。放っておけない。
(僕が行って止めなきゃ!)
そのうちに少名毘古那と祓戸が、疱瘡の神を路地裏へ追い込んだ。
「残念だったなあ、そこは行き止まりだ」
祓戸の言葉に、疱瘡の神は苦々しげに振り向く。
少名毘古那の神が一歩前へ出た。
「よくものうのうと帰ってこられたな」
疱瘡の神は答えない。
「僕は当然、お前のことを許してないからね。今日こそ落とし前をつけさせてもらおうか!」
少名毘古那の体から金色の光があふれだす。
それに呼応するようにして、疱瘡の神の体からは黒い瘴気 が噴き出した。
(これってもしかして……、疱瘡さんは穢 れの力を失っていないってこと!?)
詩が疱瘡の神の“魂”を取り戻したことによって、イザナミが彼に授けた穢れの力は失われたものかと思っていた。しかしそれは違ったようだ。
路地裏は一瞬にして黒い瘴気に埋め尽くされる。少名毘古那の力より、疱瘡の神が優勢か。
悪臭とともに、彼はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「面倒くさいやつだな……。けどいい、少名毘古那、お前には仕返しし足りないと思っていた……」
「――くっ!」
二人の間にバチバチと火花が散り、少名毘古那の右手が弾かれる。
「そのきれいな顔、もう一度見られなくしてやるよ」
「疱瘡さん!」
少名毘古那に向かって伸ばされた彼の手を、詩が横からさらった。
「……!? なんだ詩……」
祓戸や少名毘古那も息を呑んだ。
「疱瘡さん、ケンカしに戻ってきたんじゃないよね?」
握った手から、ピリピリとした電流のようなものが伝わってくる。
けど今放したらダメだと思った。
「疱瘡さんは、この街が好きだから戻ってきたんでしょ?」
「……………………」
彼は目を見開き、詩を見つめたまま答えなかった。
否定しないのがきっと答えだ。そのことに気づき、詩は内心勇気づけられる。
「疱瘡さんの魂、僕が持ってるよ。返してあげる。だから……」
詩は息を吸い、そして吐き出した。
「うちで一緒にお風呂入ろ?」
「おい、詩……!?」
「オニーサン……!?」
祓戸と少名毘古那が悲鳴みたいな声をあげる。
「風呂って……」
疱瘡の神がなんとも言えない顔をして、体から噴き出していた瘴気を収めた。
「こんな時に、正気か」
「正気も正気だよ! だって、こんなに汚れたままじゃよくないでしょ!」
詩は力説する。
「僕が洗ってあげるから」
「イヤだ」
「洗う!」
「イヤだ!」
彼がイヤだと言っても、詩は握った手を放さなかった。
「行こう、すぐそこがうちだから」
「こら放せッ!」
「そうだ。貰い物の、いい匂いのするボディーソープがあるよ」
「俺をいい匂いにする気か!」
詩は問答無用でぐいぐい引っ張っていく。
引きずられる疱瘡の神は涙目だった。
そして後ろから、祓戸の泣くような声も聞こえてきた。
「ちょ……待っ……詩と風呂って、疱瘡のヤツずるくないか!?」
「だったら代われよ!」
疱瘡の神が声を張る。
「僕は疱瘡さんを洗いたいの!」
「祓戸、フられちゃったね」
少名毘古那が言った。
そこで祓戸がある疑問にぶち当たる。
「あれ、でもあいつの穢れの力って、洗っちまったらどうなるんだろ……?」
「さすがになくなるでしょ。でもまさか、疱瘡の神を洗おうとするなんて……。そうかあ、オニーサンが調布最強だったか」
少名毘古那が肩をすくめた。
*
それから1時間後――。
一仕事終えた詩は、店の奥から店内へと足を踏み入れる。
そして開口一番。
「いい? 少名毘古那さんも祓戸も。もうケンカしないでね? ケンカしたらうちの店、出入り禁止にするから」
休日の店内で待っていたふたりの神は、なんともいえない表情で頷 いた。
「それじゃ、コーヒー淹れようか。疱瘡さんもおいで?」
詩はエプロンをつけ、カウンターの中へ進む。
疱瘡の神は言われるままについてきて、少名毘古那と祓戸の間にあった空席に腰を下ろした。
「おい疱瘡! くそっ、お前何すっきりしてやがるんだ!」
詩がブラシを通して撫 でつけた彼の髪を、祓戸の神が横から乱す。
けれども疱瘡の神からの反応はなかった。
「あれ、大丈夫? あんまり気持ちよすぎて魂ごと持ってかれちゃった?」
彼の顔の前で、少名毘古那の神が手をヒラヒラさせた。
「そうだ。疱瘡さんの魂、返すの忘れてた」
詩はチャック付きポリ袋に入れて保管していた彼の魂を、店の冷蔵庫から取り出した。
「おい詩、今それどっから出した!?」
祓戸が目をむく。
「冷蔵庫だけど……。他に適切な保管場所が思いつかなくて」
「いっそ冷凍してやればよかったのに」
少名毘古那が意地悪な笑みを浮かべて言った。
「でもまあ、動いてるし無事みたい」
詩は袋を開けて疱瘡の神の方へ差し出す。
心臓の形をしたそれは勝手に跳びはねて、持ち主の胸の辺りに吸い込まれていった。
彼がふうっと息をつく。
目に精気が戻ったように見えた。
「疱瘡さん……?」
詩はドキドキしながら様子をうかがう。
「詩、コーヒーくれ。ラム酒入りのやつ」
その返事が返ってきてほっとした。
「酒は控えた方がいいんじゃねーのかぁ?」
イザナミの祠での一件を知っている祓戸がからかった。
「いいだろ、コーヒーに入れるくらい」
疱瘡の神は決まり悪そうに視線を逃がす。
詩はみんなの分のコーヒーをカップに注ぎながら言った。
「祓戸、疱瘡さんをいじめない。はい、さっき運んでもらったトラジャだよ」
「……ああ、サンキュ」
「少名毘古那さんはミルクとお砂糖入れる?」
「うん、もらう。ありがとオニーサン」
「疱瘡さんは、はい。ラム酒ちょっとだけ入れてあげたからね」
「この匂い、生き返る……」
暖房を入れたもののまだ暖まりきらない店内に、いくつもの幸せそうなため息が響いた。
(疱瘡さんが帰ってきてくれてよかった)
詩はしみじみと噛 みしめる。
「ミンくんもいればよかったのにね」
つぶやくと、少名毘古那が頬杖 を突いて聞いてきた。
「ねえねえ、オニーサンの本命って結局誰なの?」
「え、それを今聞くのかよ」
祓戸がカップから顔を上げる。
「あ、祓戸、その顔は自分だって言いたげだね?」
「悪いかよ?」
祓戸と少名毘古那がひじをぶつけ合う。
その横で疱瘡の神がぼそっと言った。
「一緒に風呂入ったのは俺だけだけどな」
「てめ、くそっ、さっきからいい匂いさせやがって!」
「あ、そうだ今度みんなで深大寺温泉にでも行く? ミンくんも誘って」
「いいねいいねえ♪」
詩の誘いに少名毘古那が乗ってきた。
「僕お兄さんにマッサージしてあげる♪」
「お前、下心アリアリだな! ……けど、あっち側は神じゃなく、仏のテリトリーじゃないのか?」
「別にいいよ、適当にやろっ」
祓戸の懸念を少名毘古那が笑い飛ばした。
(みんなで温泉、楽しそうだなあ……!)
コーヒーの匂い、常連である神さまたちの気配。
店はささやかな幸せに満ちていた。
これから先、この街がどうなるかはわからないけれど……。
詩は少し先の幸せな未来に夢を馳 せ、淹れたてのコーヒーをすすった。
<本編おしまい!>
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