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エピローグ 冬を失くした

 夏が短く命を咲かせ枯れていこうとする頃に一通のメッセージが届いた。それは運命の番からだった。 『高槻紫音様 まだまだ暑い日々が続きますね。しっかり水分補給すると同時に塩分補給も忘れないでくださいね。 さて、いつか高槻さんに幸せになったらメッセージを送ると言ったことは覚えていますか?実は、そのまさかです。 なんと、梅雨の時期に第一子が無事に誕生いたしました!連絡が遅くなってしまい申し訳ありません。初めての子育てに夫とばたばたしていたのです。 やっといち段落したので、是非遊びに来てください! 安条春子』 そうか、彼女はしっかりと幸せを掴めたのか。 それが自分のことのように思えて嬉しくなった。 俺は早速返信をして、数日後に彼女とその子どもに会う約束をした。 ◇◇◇  四年ぶりに再会した彼女は既にお母さんの顔をしていた。とても強くて優しい、そんな感じだ。あの時も可憐な少女のようなイメージがあったが、今もそれは健在だ。ころころと笑い、俺の固い心を溶きほぐしてくれるみたいだと思った。  子ども連れを歓迎するお洒落なカフェで、俺たちはランチをすることにした。 「高槻さん、ちょっと痩せました?」 席について開口一番、彼女は俺に訊ねた。 「そうですか?多分、夏バテかなぁ?」 やんわりと受け流すと、彼女は「うーん」とメニュー表を見つめながら考え込んだ。何となくその姿がかつてのアオを連想させた。 「あ!そしたらこのメニューとかどうですか?鶏肉を梅しそで味付けしたものなんですけど、さっぱりしてて食べやすいと思います!野菜がメインですし夏バテ気味でも食べられると思いますよ!」 どうやら彼女は夏バテの俺でも食べられるメニューを探してくれていたようだ。 「ありがとうございます。じゃあ、それにしようかな。」 「是非是非!いっぱい食べて元気になってくださいよ!」 そう言って彼女は横のベビーカーに寝そべる子どもに「ね〜」と笑いかけた。  食事も終わると俺たちは四年の歳月を埋めるかのように沢山のことを話した。あれから縁談の顛末はどうなったかとか、彼女の夫の面白い癖や、話しかけると楽しそうに笑う子どもの話など、話題は尽きなかった。俺は彼女とその子どもを見て、ふとアオと俺にもこんな未来があったのだろうかと思った。 「た、高槻さん!?」  目の前の彼女が突然焦り始める。 「......なにか?」 「高槻さん、泣いています。」 「え....?あ、あれ?俺、どうして.....」 彼女はそっとハンカチを差し出してくれた。 「アオさんのことですか?」 「え....?」 彼女はがばりと頭を下げて言った。 「ごめんなさい!聞いていいのか分からなかったのですが、高槻さんがあまりにも、その、憔悴しているように見えましたから。アオさんがまだ見つかってなかったらとか、そもそも高槻さんからは幸せになったってメッセージが来てなかったなとか......」 「色々と心配してくれたんですね。」 俺は彼女に安心してもらえるように最大限の微笑みを作った。けれども上手くできたかはわからなかった。 「大丈夫です。アオは見つかりました。今はきっと運命の番の元で落ち着いた生活を送っていると聞いています。」 「え.....それじゃあ高槻さんは?高槻さんは幸せなんですか?!」 今度は彼女が目に涙を浮かべていた。 「俺は、幸せというか、今は安心しています。自分でも信じられないくらい心が静かなんです。それに、俺にはもう一つやらなければいけないことがあるんです。そのために、生きている。」 「そんな......」 酷く心配そうな表情を浮かべる彼女に申し訳ない気持ちも込み上げたが、こればかりは譲れなかった。 「そろそろ、お迎えが来る頃じゃないですか?」  居た堪れなくなって俺は強引に話題を変えた。カフェの窓から空を見ると、陽が沈みかけていた。 「あ、そうですね。すぐ隣のショッピングモールの駐車場に来てくれているみたいです。」 「そこまで送りますよ。外、雨降ってるみたいですし。」 「いけない、ベビーカー用の雨具忘れちゃった。この子抱っこしてベビーカーは畳むので、申し訳ないんですけど高槻さん、傘さしてもらえませんか?」 俺は誰かに頼む方法を知った彼女にまた安心した。 「もちろんですよ。」 俺たちは彼女の夫が待つ駐車場へと向かった。 「ふふ、よく寝てる。」  行きがけに思わず呟くと彼女もつられて笑った。 「子どもって本当に可愛くて、守られるべき存在ですよね。」 その言葉は、オメガとして生まれた彼女の人生観から出たものに感じられた。 「高槻さん、幸せになったら絶対にメッセージくださいね。」  別れ際に彼女は念を押すように言った。 俺は曖昧に微笑むことしかできなかった。 ◇◇◇  金木犀の香りも終わり、冬が近づいた。 相変わらず忙しいなりに空虚な生活を送りながら「そろそろ潮時だ」と感じることが多くなった。  目を閉じればすぐに思い浮かぶ光景。優しく淡いキャンドルの光に包まれて、微かなクリームとイチゴの香りに包まれて、そうやって俺たちは時を紡いだこともあった。 「お誕生日おめでとう、アオ。」 「ありがとう、紫音。」 うっかり冬に咲いてしまった蒲公英みたいだ。 そして、それを踏み潰したのは間違いなく自分だ。  冷たい涙が、一筋、落ちた。 ◇◇◇ 『アオ、幸せですか? 運命の番とはちゃんと番になれただろうか? 私は、私の命をかけてあなたを救える選択肢を増やそうと思います。それが、私のあなたに対する償いだと思っています。相変わらず、独りよがりですまない。 アオ、私はあなたに謝罪をしたいのです。許しを乞おうなんて思ってもいません。けれど、それでも、謝らせて欲しいのです。 私の身勝手であなたを深く傷つけて、あなたの一番大切なものも奪ってしまったことを。 本当に、申し訳ありませんでした。 アオ、私はあなたの幸せをいつまでも願っています。』  夢心地の中で、終わったはずの金木犀の香りがふわりと漂う。 「紫音の莫迦!!!!!!」  耳をつんざくような声に俺は思い切り目を開いた。 「.....あ、あれ?」 声がした方を見上げれば、顔を真っ赤にさせえ怒っているアオがいた。 「な、なんで!!!なんで、自殺なんかっ!!!それで、僕が救われるとでも思ったの?!そんなんだったら紫音は大莫迦者だっ!!!!!」 ぼろぼろと涙を流しながら荒い息を吐くアオの背中を佐伯さんが摩っていた。よく見ればアオの右手には紙切れが握りしめられている。多分、俺の遺書だ。 「紫音!!!よく聞いて!ぼくは、ぼくは!!」 アオが力強くがしっと俺の肩を掴む。そして、片方の手を拳にしてドンと俺の左胸を叩く。 「僕は今、幸せです。紫音、あなたが死ぬ必要はありません。」 ドンドンとアオは俺の左胸を叩き続けた。 「アオ、言ってくれないか?」 「え?」 「いはで思ふぞ、と言ってくれないか?」 アオはハッとしたような顔をした。それから、小さく咳払いをして言った。 「いはで思ふぞ」 「山吹の 花色衣 主や誰 問へど答へず くちなしにして.......俺は、おまえをこうやって想い続けるよ。けれども、俺はもう二度とおまえの前には姿を見せない。」 俺はアオに微笑む。アオは「莫迦だ。紫音は莫迦だ。」と言って益々泣き始めてしまった。 ◇◇◇  泣き疲れたアオを佐伯さんがそっと抱き寄せて、二人は帰って行った。  俺は一人きりの病室でじっと天井を見つめていた。どうやら、佐伯さんとアオに俺のことを連絡したのは一色さんらしい。この病院も一色さんの甥が勤めているそうだ。 (これから、どうやって生きていこう。)  俺が漠然と考えていると控えめなノックが聞こえた。「どうぞ」と入室を許可すると、入ってきたのは佐伯さんであった。 「きみに言いたいことがあってね。アオには知り合いの看護師と待ってもらっているから安心してくれ。」  俺は佐伯さんに罵倒されようが殴られようが良かった。それくらい自分は、アオに許されないことをしたのだから。けれども、佐伯さんは声を荒げるようなことはしなかった。ただ、淡々と俺へと告げた。 「まずは、アオと私を引き合わせてくれたことを感謝したい。ありがとう。しかし、きみが過去にアオへしたことを、、許さない。」 俺は何も言わなかった。それは、至極当たり前のことで、自分がこれからも一生背負い続けるものだからだと、今なら思えるからだった。 「生きろよ。」 佐伯さんは最後に一言告げて、立ち去った。  しばらくしてから、一色さんがやって来た。彼はベッド脇の小さな椅子に腰掛けると「すまなかったね。きみの苦しみに気づいていながら、止めることができなくて。」と謝罪した。 「そんな、謝るのは俺の方です。莫迦なことをしてごめんなさい。」 一色さんはそっと俺の頬を撫でた。 「それが、きみにとっての最善だったのですから、その意志を咎めることはいたしません。」 「一色さん、アオは俺にとってのタンポポみたいな存在だったんです。ずっと寒くて仕方のなかった俺の心に一つ咲いた黄色いタンポポだったんです。」 ぽろぽろと涙が溢れ、みっともないくらい嗚咽が漏れた。 「紫音くん、タンポポはいずれ綿毛となって飛んでいくでしょう?アオくんはそうやって自身の道を切り開き幸せを掴んだのだと思います。あなたの傍に飛び立ったアオくんはもういませんが、アオくんがあなたの心に咲かせた花は永遠に残るでしょう。」 「そ、そうだと、いいんですが......」 「紫音くん、いつか私はあなたに意志もまた、一つの孤独であると言いましたな。しかし、孤独はまた同時に豊かさや創造力をもたらしてくれるのです。あなたは哀しみだけの孤独から解き放たれるのです。そして、今がその時期だと私は思います。」 「紫音くん、それでも哀しい時には、いつでも私の館に遊びに来てください。」  一色さんは去り際に、穏やかな声音で言い残していった。  俺が踏み潰した蒲公英は、いつの間にか美しく花開いていた。  この蒲公英はいつまでも咲き続けるのだろうか?  それとも、いずれ綿毛となって俺の元を飛び立っていくのだろうか?  今は、そのどちらでも、呼吸ができると思った。 『雪の果てに咲いた』おわり

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