7 / 35
第2話 偶然?の再会
「――はぁっ」
悪夢のような出来事から一週間。
未だにあの事件を引きずりながら、それでも俺は平和な日常へと身を投じていた。
部屋から見る景色も、庭の木も人も車も、何も変わらないのに俺だけが酷く汚れてしまったような気がして気が滅入る。
結局あの後、どうやって別れたのか全く記憶が無い。
気がついた時には家に帰る電車の中で、 ほぼ放心状態のまま帰ってきたような気がする。
和樹から何か来ていたようだったけれど、見る気すら起きなくて未読スルーをかましてしまった。
言えるわけがない。
男に悪戯されました、なんて……。いっそ、あの日の事が夢だったらいいのに。
なんて都合のいい考えすら浮かぶ。
もう、忘れよう。あの男の事も、あの日の出来事も。
もう二度と会うことはないんだから――。
「よぉ、拓海! どうしたんだよLINEみないなんて……。心配したんだぞ」
学校に着くなり和樹が俺の所に駆け寄ってくる。
そういえば、和樹はどうだったんだろう? アイツのお友達とやらに酷いことされたりしてないのだろうか?
「この間はごめんな? 見張ってたらさ、マッスーに道を聞かれちゃってさぁ……気づいたらもうお前らいなくなってて」
「はぁ!?」
悪い! と、手を合わせられて、思わず大きな声を上げてしまった。
あの野郎……友達と茶でも飲んでるなんてハッタリもいいところじゃん! 信じらんねぇ
「なんか、アイツ方向音痴だったらしくてさぁ」
「へぇ、そうなんだ」
自分でもびっくりするくらい感情の乗らない声だった。俺にとっては副担任のマッスーこと、増田センセの方向音痴情報なんてどうでもいい。
「なんだよ、食いつき悪いな。てゆーか、どうだったんだよそっちは」
「っ! べ、別に……普通の人、だったよ」
覚悟はしていたけれど、話題に出されると緊張が走る。動揺を悟られないように自然にしなきゃって思えば思うほど胃のあたりがキュってなった。
「本当に?」
「写真は、その……言い出せる感じじゃなかったから無い、けど……」
「なぁんか怪しいな」
訝しがるような態度に思わず「元はと言えば和樹のせいだよ!」 って言いたくなった。
けど、本当のことなんて言えるわけがないし、話す勇気もない。
「おはよ。 須藤先生、冬休み中に産気づいたらしくて、代わりに今日から新しい先生が来るって……、何かあった?」
微妙な空気の間に割って入ってきてくれたのは俺の親友で幼馴染の萩原雪哉だった。
「それがさぁ、拓海が――」
「和樹! 別になんもないって。 大したことじゃないからっ。それよりさ、新しい先生ってどんなやつ? 女かな?」
何か言いたげな和樹の言葉を遮って、半ば強制的に話題を変える。別に、新しい先生の情報なんて興味なかったけどこの際仕方がない。
「うーん、どうだろ? 詳しくは知らないんだ」
「そう、なんだ」
クラスのみんなもソワソワと落ち着かない様子で、どんな先生が来るんだろうかとそんな話題で持ちきりだ。
まぁ、俺にしてみたら先生なんて誰が来ても同じで、産休だろうが臨時教師だろうが関係ない。
先生が変わったところで授業がなくなるわけでもないし、この気持ちが晴れてくれるとも思えない。
気持ちを切り替えなきゃいけないのに、心に重くのしかかったしこりが浮上しようとしている気分に蓋をする。
和樹はまだ何か言いたげだったけれど、それ以上しつこく聞いてくることは無かった。
ほかのクラスメイトと話し出したのを見てホッとした半面、この間の事をネタにみんなに言って回るんじゃないかなんて不安も頭をよぎる。
また蒸し返されたらなんて答えよう。和樹がいろんな奴に話し出したらどうしよう。考えれば考えるほど気が滅入る。
平和そうに話をしているクラスメイトたちの存在すら鬱陶しく思えて、席に着くなり大きなため息が洩れた。
「拓海、大丈夫?」
「っ、大丈夫だってば」
色々考えていると、凛とした涼しげな瞳が心配そうに俺を見ていた。穴が開きそうなほど真剣な顔で見つめてくるから、とっさに視線を逸らしてしまう。
だけどすぐに手が伸びてきて両手で頬を挟まれ、半ば強制的に顔を向けられる。
「全然大丈夫って顔、してない」
「――っ」
額と額がくっつき、視線が絡む。
頭を固定されてるから逸らすことも出来なくて、思わずグッと息を呑んだ。
いつもそうだ。ユキには大抵なんでも見透かされてしまう。
ユキとは幼稚園からの長い付き合いだから、俺の微妙な変化は直ぐにわかるらしい。
そう言えば中学でいじめにあった時も、目を見ただけで「何か隠してるだろ?」って言って、いじめてた奴らをボコボコにしてたっけ。
他にも、俺がパフェ食べたいなって思ってたら奢ってくれたりとか、口に出さなくても伝わってるって事が何度かあった。
「悩み事なら、一人で抱え込むなっていつも言ってるだろ?」
親身になってくれるその姿勢は凄く嬉しい。だけど、その気持ちが今の俺には苦痛に感じる。
そもそもユキは俺と違って背も高いし、顔もイイ。いつも落ち着いていててクールに見えるのに、スポーツ万能でバスケ部期待のルーキーだって専らの噂だ。
よく女子に呼び出されているのは有名な話らしい。何故か、告白とかそういう類は全部断っているらしいけど。
ユキは俺の大事な親友だから、なおさら知られたくない。 真実を話して軽蔑されるくらいなら黙っていたほうがいい。
「拓海?」
「俺なら、大丈夫だよ」
「でも」
ユキの形のいい眉が不安げに寄る。
「ほんとに大丈夫だって。たいした事じゃないし」
納得していない様子のユキに、俺は精一杯の笑顔を作って見せた。
ユキはまだ何か言いたそうに口をモゴモゴさせていたけど、増田センセが教室に入ってきた事によってそれは中断され、慌てて姿勢を正した。
深く追求されずに済んだ事に、タイミングよく来てくれた増田センセに今日ばかりはありがとうと言いたくなった。
「あー、もう知っている奴もいるかと思うが、産休に入った須藤先生の代わりに今日から臨時教師として新しい先生が来てくれることになった」
廊下にはうっすらと黒い影。身長は180㎝超と言ったところだろうか。
一気にざわめきが大きくなり、ソワソワしているクラスメイトが酷く幼稚に思えて、くだらないと悪態を吐いてしまいそうになりながら俺は一時限目の準備を始めた。
「お前ら、イケメンだからって騒ぐんじゃねぇぞ?」
副担任のこれから起こることを予測したかのような発言とともにゆっくりと長身の男が教室内に入ってくる。
なんだ、男か……。
がっかりと肩を落とす男子とは正反対に、女子の黄色い声が一斉に上がる。
「女子って凄いな」
ポツリとユキが半ば呆れたように呟いて小さく息を吐いた。
「おいおい、イケメンって……。ハードル上げすぎだよ 。あー、どうも。本日からお世話になることになった加地彰です。教科は日本史で……」
「――っ!」
聞き覚えのある低い声に驚いて反射的に顔を上げた。
そこにはあの時出会った変態男の姿。
スーツこそ着ているけれど、あの整った顔立ちを見間違えるはずはない。
なんで、アイツがこんなところに?
「拓海?」
「な、なんでもない」
ふと、アキラと視線が合ったような気がして慌てて教科書を盾に隠れた。
なんで? どうして?
頭の中はそればっかりだ。
心臓がバックバックと激しく打ちつけ動揺を隠し切れない。
「――海。渡瀬拓海! おーい、居ないのか?」
「拓海。呼んでる」
ツンとユキに肘で突付かれ慌てて席を立った。
「は、はい!」
周りが一気に静まり返り、増田センセがはぁ、と息を吐く。
「出席取ってるだけだから立たなくてもいいぞ。つか、まだ寝てんのか?」
「あ……すみません」
ストンと腰を降ろした瞬間、教室中がドッと笑いに包まれた。
「……」
「大丈夫?」
「やっぱり、大丈夫じゃないかも」
心配そうに覗き込んでくるユキともう一つの視線を感じながら、俺はグッタリと机に突っ伏した。
ともだちにシェアしよう!