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「ねぇ、拓海ってなんで加地に『ハル』って呼ばれてるの?」 「ブハッッ」  アキラがやって来て数週間が経ったある日。唐突にユキからそう尋ねられ俺は思わず飲みかけの牛乳を吹き出しそうになった。 「な、なんだよ。急に……」  口元を袖で拭って平静を装おうとしているところにすかさず和樹が口を挟んでくる。 「「ハル」って、リアコイに登録した時のアレじゃん? やっぱアイツがそうなわけ?」 「和樹、リアコイって?」 「それがさぁ、出会い系の――」 「あああああっ!! 何でもないっ! 違うッ! ぜんっぜん関係ないからっ!」  動揺したら変に思われるってわかってるけど、和樹にしゃべらせたら何を言い出すか分かったものじゃない。  慌てて立ち上がった瞬間、食いかけの弁当が派手な音を立てて床に落っこちた。教室中に響く音で周囲の視線が一気に集まる。  あぁ、最悪。みんなの視線が痛い。出来ることなら今すぐに教室から逃げ出してしまいたい位だ。 「ウケる、動揺しすぎだって」 「五月蠅いっ! 動揺なんてしてないってば」 「ほー、じゃぁ何をそんなに慌ててるんだ?」 「それは……ッ」  問われて咄嗟に言葉が出なかった。ほら見ろと言わんばかりの表情でニヤニヤ笑みを浮かべる和樹。そんな俺たちの一連のやり取りをジッと見ていたユキがむつかしい顔をしながら口を挟んでくる。 「出会い系って何? どういうこと? 僕だけのけ者とか酷くない? それに加地先生とどういう関係が……」  確かにユキの言う事も一理ある。いつも3人でつるんでるのにユキだけ蚊帳の外と言うのはよくない事なのも分かってる。  けど、俺の黒歴史を自分から話すなんてとてもじゃないが出来る事じゃない。と、言うか言いたくない。 「まぁ、簡単に言っちゃえば拓海が女装して、出会い系で会った男が加地センセーじゃないか?って疑ってるとこ」 「……女装?」 「ちょっ、和樹!! 色々端折りすぎだ!」  俺の葛藤なんてお構いなしに和樹が色々と誤解を生みそうな説明をする。その言い方だと、まるで俺がノリノリで女装して男に会いに行ったように聞こえるじゃないか! 「ユキっ違うから! 俺は別に好きでやったわけじゃ」 「女装したのは事実なんだ」 「そうそう、すっげー可愛かったぜ。見るか?」 「……っ和樹ぃ、これ以上俺の人生の汚点を広げるなってば!」  待ってましたとばかりに雪哉へと差し出されたスマホには女装してた時に撮った写真が映し出されていて、慌てて止めようとしたけど後の祭り。 「……これ、本当に拓海?」 「…………ッ」  差し出されたスマホを見つめること数秒。何処か呆れたような低い声。  あぁ、絶対に軽蔑された。俯き加減で表情までは見えないけれど絶対こんなのドン引きするに決まってる。 「この格好で……男に会ったの?」  「ち、ちがっ」  声色に心なしか怒りの色が滲んでいるような気がする。ユキは真面目な奴だからきっとこう言う悪ふざけは嫌なはずだ。 「実物はもっと可愛かったんだぜ」 「――誰が可愛かったって? アイドルにでも会ったか?」 「!」  空気を読まない和樹の発言に文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけた瞬間。俺の背後にある廊下の窓から突然声が降って湧いた。 「おー、アキラセンセーじゃん」 「おー、じゃないだろ。この時間、校内のスマホ利用は禁止のはずだぞ」 「やべっ」  呆れたようにそう言って、教室に入ってくる。此処までばっちりと見られてしまっては隠しようがない。 「見逃してくれよ、センセー」 「悪いな。一応規則だから。放課後には返すから諦めろ」  胡散臭い笑顔を張り付かせたアキラが手を出すと、和樹はガックリと肩を落とし渋々手に持っていたスマホを差し出した。 ざまーみろ。和樹には悪いけどちょっとだけそう思った。それにしても、なんでこんな時間にアキラがここに居るんだろう? 5限目の授業まではまだまだ時間あるはずなのに。 「……センセーなんで此処に居るんだよ」  和樹も同じことを思ったのか、不満そうな声を上げる。 「オレか? オレは――」 「お、わ……ッ」  唐突に腕が絡んできてバランスを崩す。すっかり油断していた俺は抵抗する間もなくアキラの腕の中。 「ちょっとハルを借りに来たんだ」 「はぁ!? 嫌だしっ! お前また俺に荷物持ちさせる気だろっ!」 「お前、じゃなくて先生な?」  俺をがっしりとホールドしたまま、にっこりと営業スマイル張り付かせ教師であることを強調する。  どうでもいいけど、なんでコイツはこんなにも力が強いんだろう。俺だってけっして非力ではないはずなのにびくともしない。 「次の授業で使う歴史の資料を探すの手伝って欲しいんだ」 「面倒臭いからヤなんだけど! つか、資料探しなら女子に頼めばいいじゃん」  アキラは大人気だから、声を掛けたらむしろ大喜びで何人も手伝ってくれるはずだ。実際、その辺にソワソワしてる女子なんて沢山いる。 「ハルは社会科の教科係だろ?」 「……そう、だけど……」  それを言われてしまえばぐうの音も出ない。4月に決めた係活動がこんなところで裏目に出るなんて。  行きたくない。せっかくの昼休みなのに資料探しなんて面倒くさい。  出来れば引き受けたくはない。 「――僕も手伝います。先生に聞きたいこともあるので」  俺が嫌がってるのを察したのかユキが名乗り出てくれた。 「いや、君はいい。資料室は狭いから。ハルだけで充分だ。それに、聞きたいことって? ここではできない話なのか?」 「いえ……あの」  一瞬、ユキがちらりと俺を見た。なんだろう、嫌な予感がする……。 「なぜ、加地先生は拓海を”ハル”と呼ぶんですか?」  やっぱり! ユキの言葉に僅かながらアキラがピクリと反応したのがわかった。  俺の背後にいるコイツは今一体どんな顔をしているのだろう? 本当の事は言わない(言えない)にしてもなんと言い訳するつもりなんだろう。 「あー、そう……だな……。実はうちの実家の猫に似てて」 「はぁ? ネコ!?」「ネコ、ですか」  思わずユキと声が被ってしまった。どんな言い訳をするのかと思えば猫って!  「警戒心が強くて近づくとすぐ怒るくせに、懐に入れてしまえば大人しくなるところとか」  アキラの話を聞いて、教室のところどころから「あー」と、妙に納得したような声と小さな笑い声が聞こえてくる。って! そこは納得するところじゃないだろっ! 「まぁ確かに、警戒心の強い猫って感じするわ」  今の一言でアキラ=出会い系の男という図式は和樹の選択肢の中から消えたようだ。結果的に良かったんだけど、それはそれでなんか複雑っ! 「と、言うことでハルは貰っていくから」 「って、ちょぉ! 俺まだやるなんて一言も……」  ギラリとアキラの目が光り肩に回された腕に力が籠る。 「おれのスマホに何が入ってるか忘れたのか?」 「っ!」  俺にしか聞こえないような低い囁きが耳に届きサーっと血の気が引いていくのを感じた。背中に冷たい汗が流れていくのを感じた。  忘れるわけなんてない……。あの日の事、忘れられるわけがない。 「おまっ、卑怯だぞ……ッ」 「ふふ、やってくれるだろう?」  恨み言なんて何もないような涼しい顔をしてもう一度、にっこりと含みのある笑みを浮かべながら念を押され軽い眩暈がした。 「……ヤラセテイタダキマス」  深いため息とともに出た言葉を聞いてアキラは満足そうに笑った。

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