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「ん? あれ……? たーくみ」 風呂から上がり、髪を拭いていると和樹が肩に腕を組んで迫って来た。 お互いジャージの下だけを身に着けている状態でベタベタされるのはあまり好きではないし、体が温まっているから暑苦しい。 「ここ、付いてるぞ」 内緒話でもするみたいな小さな声で指摘する。つつ、と鎖骨のあたりを指でなぞられぞわぞわと総毛だった。 「つ、付いてるって何……っ!」 一瞬なにが? と思ったけれど、鏡に映った自分の首元を見て絶句。首と鎖骨の間に一か所だけ明らかに不自然な赤い痕が残っていた。 「拓海も隅におけねぇなぁ」 「なっ、これはちがっ!」 目を細め、にやにやしながら肘でつつかれる。言い訳しようにもコレじゃ何も言い返すことなんて出来ない。 「それ、付けたのアキラセンセーだろ?」 「な――ッ」 さっきよりもうんと小さな俺だけにしか聞こえない声で囁かれ、二の句が継げなくなった。まさか此処で和樹の口からアキラの名前が出て来るなんて思ってなかったからすぐに反論出来なくて間が出来る。 「ははっ、すげー顔」 「……何やってんの? 二人とも……」 「ッ!!」 涼しげな声が背後から響いてきて、わかりやすくぎくりと身体が強張った。心臓が口から飛び出すかと思った。 錆びついたロボットみたいにゆっくりと振り返ると、ユキがキョトンとした顔で俺達を見下ろしている。 どうやらさっきの会話は聞かれていないらしくて、ホッとしたのがあからさまに顔に出てしまい和樹にわき腹を小突かれた。 「な、なんでもないよ。今から女子んとこ行こうかって話してただけ。な、拓海」 咄嗟のフォローに俺は大げさなほどコクコクと首を縦に振る。 「……ふぅん」 ユキはそれ以上何も言わなかった。けれど思うところがあるのか訝し気な表情で俺を見ていた。とにかく一刻も早くこの微妙な空気を何とかしなければ、居心地が悪くて仕方がない。 「と、取り合えず外行こう! 俺、売店でアイス食いたいなぁ」 「あ! 拓海待ってよ」 その場から逃げるように、慌てて着替え脱衣所を出ようとする俺の隣で和樹が小さなため息を零す。 「お前、わかりやすすぎ……」 俺にしか聞こえない位の声で呟き苦笑いを浮かべるさらにその横で、ユキが俺たちの様子を何処か冷めた目で見つめていた。 売店は風呂上りの学生で賑わっていた。 パジャマには学校指定のジャージのみと決められていたので、黒一色のいつもの体育の時間のような不思議な光景が広がっている。 「拓海、嘘つくの下手だな」 「うるさいな。いきなりだったから仕方ないじゃん」 ロビーに置いてあるソファに座り買って来たばかりのアイスの蓋をゆっくりと開ける。 スーパーで買えば100円くらいで売ってありそうなアイスが、此処だと300円もした。普段だったら買わないのに、こう言う雰囲気だからだろうかついつい買ってしまった。 なんとなく、一気に食べるのはもったいなくて、スプーンで周りをつつきながらチラリと和樹に視線をやった。 「……あの、さ。さっきの……」 「安心しろよ。誰にも言わないって」 「ん、ごめん……」 なんで俺が謝らないといけないのかと腹も立つけれど、今は和樹の優しさがありがたい。 最初に気付いたのが和樹でよかった。 ユキから向けられた冷たい視線を思い出し気分がずんと重くなる。 「そういや雪哉、遅いな……」 「あぁ、確かに」 入るときには一緒に居たのに、全然店から出てこない。数人の女子に声を掛けられていて、「先に行ってていいよ」と言われたけれどやっぱり待っていた方がよかったんだろうか? あの時、先に行けと言われて何処かホッとしてしまった自分が情けない。 目の前にある売店の方へと視線を向けると、何やらうんざりとした様子のユキがいっぱいになった袋を抱えて出てきた。 「遅かったな雪哉。なになに、お前そんなに食うの?」 「違う。貰ったんだよ女子に」 どさりと音がして、向かい側のソファに置かれた袋からは明らかにお店の物ではない箱が大量に入っている。 ひとつ、ふたつ位なら嬉しいけど、さすがにこれは引く……。 綺麗にラッピングされたそれは大小様々。その辺に売ってあるチロルチョコを放り投げて渡された俺達とはえらい違いだ。 「ここまで来るとさ、なんか悔しいとか羨ましいって気持ちも沸かねぇな」 「仕方ないよ、ユキ普段からモテるし……今日のスキーでまたファンが増えたんじゃないか?」  だって、ユキの滑るところは俺も初めて見たけど、ゲレンデに颯爽と現れた王子さまって感じでキラキラしてて。先生も生徒もインストラクターのお兄さん達もみんな注目してた。  やっぱりユキは凄い。改めてそう思った。何をやらせてもソツなくこなせて、誰から見たって憧れの的になるのわかる。  そんな奴が俺の幼馴染だなんてちょっと誇らしい。 「でも、こんなに貰っても困るよ……」 「いいじゃん。この中から彼女選び放題だろ?」 「選び放題って。僕は好きでもない子から貰ってもあまり嬉しくないし……」 「ちぇ、贅沢だな」 こんな話をユキがするのを初めて聞いた。和樹はそう言うけど本人にしてみたら毎年同じことが繰り返されるわけで。バレンタインだけじゃない。誕生日とかクリスマスとか、イベントにかこつけて色々貰ったりするなら、やっぱり迷惑に思うのかもしれない。 そう言えば、ユキって好きな奴いるんだろうか? 告白してきた子みんなフッてしまうのは単に好みじゃなかったってだけじゃない気がする。 「なぁ。雪哉ってさ好きな子いんの?」 和樹も同じことを思ったのだろう、ドストレートに聞いてくる。ユキとは今までその手の話をしたことがなかった。あの子が可愛いだとか、この女優が美人だとかエロイとかそんな話をするのは和樹だけで、俺とユキはいつも聞き役に回っていた。 別に女の子に興味がないわけじゃない。だけど、ずっと一緒にいたからだろうか? ユキとこんな話をするのは何となく気まずくて、なんとなく避けていた話題だった。 ユキは困ったように頬を掻いて、何と答えようかと逡巡したそぶりを見せた。ほんの一瞬だけ俺と目が合って、小さく息を吐くと近くにあったソファにすとんと腰を落とした。 「……いるよ」 「えっ!? マジかよどんなヤツ? かわいい? 俺達の知ってるやつか?」 ぼそりと呟いた言葉に、俺より先に和樹が食いついて矢継ぎ早に質問され、ユキは更に困った顔になる。 「それは、言わない」 「えーっ、なんでだよ。いいじゃん教えろよ」 「嫌だ」 そう言ってふいっとそっぽを向く。ユキは意外と頑固だ。言わないと決めたのなら絶対に話すことは無いだろう。 しばらく押し問答していたが、なかなか口を割らないユキにようやく和樹が折れた。諦めたようにソファから立ち上がったタイミングでクラスメートから声を掛けられ、和樹の興味はそっちに向いたようだ。 「斎藤さんの部屋でウノやるって! お前らも来いよ」 斎藤さんといえば、いつもクラスの中心にいる女子だ。明るくて友達も多い。 笑った顔が可愛いんだと、和樹が言っていた。俺はあまりそういうのに興味が湧かないからよくわからないけど、確かにいつもころころ笑っていて人を笑顔にするのが得意な子だとは思う。 ただ、大人数でゲームするのって俺は少し苦手だ。 「ウノか……俺はいいや」 「じゃぁ、僕も」  「あぁ、拓海はゲーム系弱いもんな!」 「うっさいな!」 にやりと笑いながら、斎藤さんの部屋へと向かう和樹を見送るとすかさずユキが隣に移動してきた。 咄嗟に肩にかけたタオルを握り首を隠すような仕草をしてしまった俺をユキがジッと見つめてくる。 何かしていないと落ち着かなくて、少しずつ溶け始めたアイスをつついて口に含んだ。 正直言って気まずい。何か、会話を探さないと……。 「……拓海はさ、好きな子とかいるの?」 「ブホッ」 売店を行き来する奴らを眺めながら天気の話でもするような感じで唐突に尋ねられ、思わずアイスを吹き出しそうになった。 「な、なんだよ突然」 「そんなビックリすることじゃないだろ。さっき、僕にも聞いてきたくせに」 「いや、そうだけど……」 ユキの考えていることがわからない。なんで今、そんなことを聞くんだろう?  「で? いるの?」 そう聞かれて返答に困った。だって、一番に浮かんできたのがアイツの顔だったから。 アキラの事が好き? そんなわけない! だってアイツは人をからかうのが趣味で、アプリで女漁りしてるような変態なんだから。 そもそも俺は男だし、そんな奴好きになるなんてあり得ない。 それより、なんでユキはそんなに苦しそうな顔で俺を見るんだろう。切れ長で涼しげな瞳は切なそうに細められて、不安で押しつぶされてしまいそうな雰囲気さえ醸し出している。 「……いないよ。好きな奴なんて」 「それは本当?」 「あぁ、ホント」 「……そっか……」 数秒間、重い沈黙の後ユキはふぅと息を吐いてソファに凭れた。 「ねぇ拓海。そのアイスちょっと頂戴」 「へ?」 「僕も買おうと思ったんだけどさ、人がいっぱいいたし女子に囲まれちゃって結局買えなかったんだ」 凄く残念そうにユキは言う。そっか、買いたいものもろくに買えないなんてそれは不憫だ。 「でもこれ、食べかけだぜ? ちょっと溶けてるし」 「それがいいんだ」 甘えるような仕草でじっと俺を見てくる。子供みたいに口を開けて待っている様子に、幼いころのユキが重なる。 そういや、昔はよく二人で半分こして食べてたな。少ない小遣いを出し合って二人で食べた懐かしい思い出。 それならば、とスプーンで掬って半分溶けかけたアイスを口に運んでやる。 「ふふ、チョコの味がする」 そう言ってユキは満足そうに笑う。ここ最近では見たことのない微笑みを見て胸が温かくなった。

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