33 / 93

第二章・10話

 休日、瑞は早起きをした。  日の光がさす明るいキッチンで、涼真のためにチェリーパイを作った。  パイ生地もカスタードクリームも、お手製だ。  市販のもので簡単に済ませる気には、なれなかった。  チェリーだけは季節的に手に入らないので、缶詰だが。 「武藤さん、美味しいって言ってくれるかな」  いい匂い。  オーブンから漂うパイの焼ける香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。  ああ、こんなに楽しくお菓子を作るのって、久しぶり。 「武藤さん……」  胸いっぱいに吸い込んだのは、何もパイの匂いだけじゃない。  いつの間にか、胸は涼真でいっぱいになっていた。  瑞は、ようやく恋を自覚した。 「美味い……」  涼真は、瑞の心のこもったチェリーパイを噛みしめた。  塩っぱくない。  怒りや悲しみに任せて作ったお菓子じゃない。 「今までで、一番おいしいよ。ありがとう」 「どういたしまして」  会話も、明るいものばかりだった。  新参者の困惑も、Ωの悲哀も無い、健全な話題。  早く、武藤さんとこういう話をすればよかった。  そうすれば、僕はもう少し余裕のある毎日が送れていただろうに。  そんな風に、瑞は考えていた。  そして、考えていることがもう一つ。  いや、実は早くそれを言いたくって仕方がないのだが。  言うには、少し勇気が必要だった。

ともだちにシェアしよう!