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アホ?

 胸のうちで笑うアスカの密やかな企みが、男に気付かれる心配はない。男はアスカより先に悠々と歩き出し、しなやかでありながらも逞しく、妬ましい程に見惚れる背中で付いて来いと伝えている。どう見ても、男の関心はアスカが素直に従うかどうかにしかなさそうだった。 〝キイに案内は不要〟  しわがれ声が別荘の主人であるヌシの言葉として言ったことだが、男が変態気分満々で建てた居城でもある。応接室がどこかくらいは承知しているはずだ。ヌシの頻繁な呼び出しによる慣れとも考えられるが、男の背中は屈強として、使い走りにあるような卑屈さは見られなかった。  男はそうした背中でアスカをいざない、左手にある階段へと向かった。上階へは行かずに横手の廊下を奥へと進む。アスカはロングドレスと格闘しながら、男の後ろをよたよたと付いて行った。暫くして声を捉えた。 〝ヌシ、怖い〟 「アホがっ」  人間の声ではないとわかるからこそ、アスカはしれっと答えた。

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